連載⑥ 河原その子の偏愛的劇場論

誰かを探していた女を演じる北村武美=右から2人目(photo: Richard Termine)

「Falling Out」


作: ファントムリム、 演出・デザイン: ジェシカ・グラインドスタッフ
作曲・人形デザイン: エリック・サンコ、 振付: 松岡大
上演終了 BAM Harvey Theater
(2018年BAMネクスト・ウェーブ・フェスティバルの一環として上演)
www.bam.org/theater/2018/falling-out

 文明に守られた安定の危うさ。分かっていながら直視するのを避けていた自分が暴かれる。
 抽象的な表現の続く舞台の中盤、バラバラの人形が等身大の人間の形になった瞬間、劇場は心地よく、明るく、平和な日常を感じさせる歌に満たされる。同時に背後には健康で文化的な生活を可能にすべく化学の粋を結集した広大な工場施設が写し出される。整然とし、威厳さえ感じられる原発施設。そのとき世界は逆転した。
 誰かを探していた女(演じるのはニューヨーク市在住のパフォーマー、北村武美)が、やっと巡り合えた喜びを全身で表しながら人形の腕にすがりつく。愛おしそうに人形を抱く腕は、女とともにゆっくりと人形から引き離されてゆく。しかし女は気づかない。そして人形は背後から女を見ている。無言で。安心と破壊は背中合わせだった…。
 ニューヨーク市を拠点に、人形を使った舞台活動を展開する人形劇団ファントムリムによる「Falling Out」は、地球の環境問題をテーマとした3部作の最終章。東日本大震災と福島第1原発事故を題材にしている。ブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージック(BAM)での上演は終了しているが、この作品は今後各地で上演され続けるべきであり、そしていつか日本でも上演できるかもしれないとの祈りを込めて書いている。
 舞台は6人のパフォーマーと、彼らが操る2体の等身大の人形、そしてスクリーンに投影される映像で織り成なされる。舞台上には、番号が付けられた大きな黒いビニール製のごみ袋が、土手のように少し乱雑に積み上げられている。汚染土を詰めたあの黒い袋だ。日本人の私は、「黒い袋」はまず市販のビニール袋ではないし、乱雑には積み上げられてもいないし、これでは海外の観客に誤解を与えてしまうのでは? と現実との違いにちょっと敏感になったが、その意図は後に明らかになる。
 ごみ袋の堤防の向こうを無機質な人形を肩に抱えた男性がゆっくりと横切り、それに合わせて英語で被災地を案内する声が流れる。突如として声の発信主である現地の案内人の映像が流れ、時間が一瞬のうちに被災地の「今」に繋がる。映像は地元の人たちへのインタビューに続くが、英語の字幕はない。さまざま立場から発される話は、マイクが拾う通訳の声によって観客に伝えられる。話し手の身ぶり手ぶりは舞台上のパフォーマーにより同時に再現される。メッセージは言葉のみではない。
 やがてごみ袋の山をかき分け、赤子を探す若い女が現れる1本の電話が繋がり女性は結末を知る。そろいのトレンチコートを着た人々が何かを地面に撒く動作を繰り返す。繰り返しの動作は時折耳に触るアラーム音とともに無機質だ。
 映像は福島の海沿いの、畑であり、街だった場所の今を静かに映し出す。そして目に止まるのはあの「黒い袋」だ。整然と積み上げられた布の袋。舞台上のごみ袋のように日常身近に存在するものとは明らかに違う異様な存在。映像は終わりなく続く黒い袋を映し出し、トレンチコートたちは、舞台上の、似て非なるごみ袋がいつまでたっても片付かないことに苛立ち疲弊する。映像の中の黒い袋は動じることなく永遠に続くかのようだ。整然であるほどその気味悪さに圧倒される。舞台上でそうしようとしているように、ごみ袋に入れて捨ててしまえば、目の前から消えるものではないのだ。
 袋の中から、バラバラなった、頭身大の人形がこぼれ落ちる。この時点で、観客は、日本で黒い袋に人が入っていると思う人はいないだろう。これはメッセージなのだ。表情のない人形が人間の形になったとき初めて舞台の上に、慈愛に満ちた血の通いを感じる。そして冒頭の場面に繋がる。再生は幻だったのか、私たち人間が壊したのか?
 舞台はインタビューの言葉以外は無言で続く。海の底に漂う身体、静寂の海、荒れる海。原発施設の赤い悲鳴。人が侵食してきた自然は、痛いともつらいとも語らない。半身の人形とパフォーマーが融合するように繋がる場面は、人間のみで完成する形はないと伝えているかのようだ。海と大地、そして人間を含めた命の繋がりを探求する振り付けは、山海塾の舞踏家、松岡大による。
 ラストシーンの、パフォーマーたちが白い布でゆっくりと海を再生する場面は、美しすぎて息を飲むほどだ。希望はある。私たちが気づきさえすれば…。人形は随所に登場する2体の人体のみ。人形師が無機質なものに命と感情を与えて語らせるなら、このラストの海へのトランスフォーメションでは、登場する人形のみでなく、劇場空間とそこに流れる時間にまで命と感情を与え、その場にあるものすべてが全身全霊で観客に語りかけるかのようだった。
 海と同化した黒い袋の山は黒光りする宝石にも見えるし、「簡単には消えないぞ」という、人間の作りだしたもの(原発)の結末にも思える。

 
 

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ワンポイントアドバイス!
先入観などは捨て去って、真っ白な気持ちで観てください。
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河原その子(舞台演出家、ニューヨーク在住)
New York Theater Workshop, The Drama League、Mabou Maines などのフェロー&レジデント。フォーダム大学招待アーティスト。リンカーンセンター・ディレクターズラボ、日本演出者協会会員。コロンビア大学M.F.A.(演出)。www.crossingjamaicaavenue.org