百年都市ニューヨーク 第33回 創業1818年 ブルックスブラザーズ(続々)

 ポーツマス講和会議に出席する小村寿太郎がブルックスブラザーズ(以下「ブルックス」)でフロックコートを誂えたのは1905年。それから10年後の1915年に、同社はマジソンアベニューと東44丁目の角に10階建ての本店ビルを構える。以来、現在に至るまで103年間、ブルックス本店はこのロケーションから動いていない。

発信地はグラセン駅近

 1818年の創業第1号店はローワーマンハッタン。当時は海上輸送がビジネスの要。港に近く貿易商や株屋が行き交うロケーションは紳士服を売るにはもってこいだった。1820年のニューヨーク市の人口はわずか12万2000人。やがて、蒸気船発明、鉄道開通、石油発掘などで工業化が進み、交通網も飛躍的な発展を遂げる。当然、経済の拠点、ニューヨークにはヨーロッパ各地から大量の労働力が流入し1870年時点で人口は144万超に。マンハッタンは北に向かって急速に発展し、それにつられてビジネスや文化の中心も北上する。
 ブルックスも1874年にはボンドストリートとブロードウェーの角(現在のソーホー。当時はアパレル産業の中心)の4階建てビルに本店を移転。1884年になると、22丁目とブロードウェーの角(現在のフラットアイアン。このころは23丁目とマジソン・スクエア・パーク周辺が市内最大の盛り場)の5階建てビルに移り、その後も本店は北進を続ける。
 20世紀に入ると中長距離鉄道が輸送の花形に。ニューヨークでもペンシルベニア鉄道とニューヨークセントラル鉄道という二大鉄道会社がしのぎを削る。両社ともに終着駅の駅舎改装では金に糸目をつけず見栄を張り合った。
 米国で本格的な工業化が始まり、英仏に追いつけ追い越せとばかりに意気軒昂な空気の中1913年、ニューヨークセントラル鉄道は9年の歳月を費やした新装グランドセントラル駅を42丁目のレキシントンアベニューとバンダービルトアベニューの間にオープン。古代ギリシャやローマの意匠も取り入れた壮麗なボザール様式の駅舎周辺のエリアはホットスポットと化す。大企業もこぞって「グラセン駅近」にオフィスを移転し、人や物の流れがガラリと変わった。ロングアイランドやアップステートに大きな一戸建てを買い、列車で通勤する成功者のライフスタイルが羨望の的となるなど鉄道が作る流行のまっただ中、グラセン開駅の2年後にブルックスが「駅近」に腰を据えたのは納得がいく。ちなみに、このときニューヨークの人口は779万人を突破している。

マジソンアベニューと東44丁目の角に建つブルックスブラザーズ本店。トラッドの総本山は103年間不動。ニューヨークのランドマークだ

新スタイルの萌芽

 面白いことに米国北東部の名門、ハーバード(創立1636年)、イェール(1701年)プリンストン(1746年)、ペンシルベニア(1755年)、ダートマス(1769年)などいわゆるアイビーリーグ校は、いずれもグラセンを中心に鉄道でつながっている。そして、各大学の卒業生会館もほとんどグラセン駅近4ブロック以内に集まっており、今も昔も夜な夜なエリートのネットワーキングの場となっている。
 誇り高き卒業生たちは、適度の身だしなみとスタイルを遵守したがった。それは、学問と人間性に対する尊敬の証であり、彼らが仕事やプロジェクトを進める上での最低要件でもある。欧州に比べたらはるかに新興国の米国には、王室や貴族の伝統がない。さりとて、服装の全てがカジュアルや庶民的で良いはずがない。かといって袂を分かった旧宗主国、英国の紳士服の模倣や追従に甘んじるわけにもいかない。この国の男たちは近代工業国にふさわしい新しいスタイルの規範を模索していた。
 マジソンアベニューへの本店移転から2年後、米国は、それまでの中立を破って第1次世界大戦に連合国として参戦。難なく戦勝国となった後は、戦時中の対英仏輸出で作った莫大な貿易黒字ゆえに未曾有の好景気に突入する。スコット・フィッツジェラルドが小説「グレート・ギャツビー」で描いた時代、ローリングトゥエンティーズ(狂騒の20年代)だ。そのころからブルックスは、次々と新しいスタンダードを打ち出してくる。レオナルド・ディカプリオ主演の同作品の映画化(2013年)で、ブルックスが全面的に衣装協力しているのには、理由があるのだ。
(つづく)

シャツを平積みするディスプレイは、商品の品質を手に取って体感してもらうため。その流儀は100年前と変わらない

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Brooks Brothers
1818年創業の米国最古の衣料品メーカー。No1サックスーツ、ボタンダウンシャツ、ポロスーツなど同社が生み出したスタイルは紳士服の歴史に革新的な影響を与えてきた。歴代の大統領に愛用され、フレッド・アステアのダンス映画から最近の「グレート・ギャツビー」までハリウッド映画でも多数起用されるなど、米国服飾界のスタンダードとなっている。マジソン街本店を中心に米国内では210店舗を展開(2015年現在)。日本では1979年に海外店舗第1号店として東京に青山店をオープン、現在75拠点80店舗を展開中。
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取材・文/中村英雄 映像ディレクター。ニューヨーク在住26年。人物、歴史、科学、スポーツ、音楽、医療など多彩な分野のドキュメンタリー番組を手掛ける。主な制作番組に「すばらしい世界旅行」(NTV)、「住めば地球」(朝日放送)、「ニューヨーカーズ」(NHK)、「報道ステーション」(テレビ朝日)、「プラス10」(BSジャパン)などがある。

     
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