アートのパワー 第28回 ディア芸術財団の展示会場2カ所で二人の女性アーティストの個展 1:ディア芸術財団について

 

1:ディア芸術財団について

デルシー・モレロス(Delcy Morelos)展 (ディア・チェルシーで7月20日まで)

メグ・ウェブスター(Meg Webster)展(ディア・ビーコンで長期)

 

 少し長くなるが、個展の話の前に、展示スペースを提供しているディア芸術財団Dia Art Foundationについて説明したい。ディア芸術財団は1974年に発足した慈善団体で、美術館や画廊におさまらない大型の記念碑的—モニユメンタルな作品の実現と維持を目的とする。ドイツ系アメリカ人アートディーラーのハイナー・フリードリヒHeiner Fredrichとその妻となったフランス系アメリカ人フィリッパ・デ・メニルPhilipa de Menil (世界最大の油田サービス企業シュルンベルジェSchlumbergerの遺産相続人)、そして美術歴史家ヘレン・ウィンクラーHelen Winklerが設立した。「ディア」はギリシャ語で、「を通してthrough」「導管conduit 」を意味する。1960〜70年代のミニマルアート/コンセプチュアルアート、中でも屋外の広大な土地や海、河川などに大規模に展開するランド・アート(又はアースワーク)と呼ばれる芸術作品に重点を置いている。初期の10年間は支援アーテストを12人以下に制限し、ルネサンス期のメディチ家風パトロンとなり、生活費から制作費、スタジオ、スタジオアシスタント、作品の記録・保管支援までを提供し、「テキサスのメディチ家」、「ミニマリストのメディチ家」等と呼ばれた。

 フィリッパ・デ・メニルの母ドミニック・デ・メニルDominique de Menilは、1920年代に油田探査装置を開発したフランス人シュルンベルジェ兄弟の兄の方の娘で、パリがドイツ軍に占領された後、夫のジョン・デ・メニルとアメリカに逃れ、同じくフランスを脱出していたシュルンヴェルジェ社の本社があるヒューストンに定住した。パリで銀行家だったジョンは、シュルンベルジェの重役となり、油田探査・開発サービス等、事業の拡大に携わった。父の遺産を継いだドミニクは、数十年にわたりヒューストンとニューヨークを往復しながら、夫妻で美術品を集めた。当時は文化を誇るような都市ではなかったヒューストンを、デ・メニル夫妻が芸術の中心地に変貌させていった。1948年に自宅のデザインをアメリカのモダニズムを代表する建築家フィリップ・ジョンソンPhilip Johnsonに委託、1971年にはロスコ・チャペルRothko Chapel(宗派を問わずあらゆる人々が祈りを捧げ、思索するためにデ・メニル家が開いた無宗派の礼拝堂。マーク・ロスコが描き下ろした絵画14点を展示する)の設計も委託した。ロスコ・チャペルの近くにあるメニル・コレクションMenil Collection美術館は、30エーカーの敷地に、メニル夫妻の蒐集作品を収蔵・展示する。ディア芸術財団設立者の一人であるヘレン・ウィンクラーは、ドミニク・デ・メニルの展示アシスタントだった。

 ディア芸術財団は、米国とドイツに9つの展示施設、ニューヨーク市内には3つのスペースを持っている。マンハッタンではソーホー地区2カ所にウォルター・デ・マリア Walter De Mariaのインスタレーション作品が常設で 展示されている。3つ目は1987年にオープンしたディア・チェルシーで、 541&545 West 22nd Street にある。マンハッタンからメトロノースで約90分北上した、ハドソン川沿いには、財団のコレクションを展示するため2003年にオープンしたディア・ビーコンDia Beaconがある。

 デ・メニルが初期に支援した5人の白人男性作家の作品には、ジェームズ・タレルJames Turrellの驚くべき規模のインスタレーション・プロジェクト『ローデン・クレーター』 がある。この作品は1977年に購入されたアリゾナ州の死火山のクレーターで制作されている。この他、デ・マリアの『ライトニング・フィールド 稲妻の平原』(1977)はニューメキシコ州の砂漠に、ロバート・スミッソンRobert Smithsonの『スパイラル・ジェティ』(1999)はユタ州グレートソルト湖で制作された。

デルシー・モレロス『Cielo terrenal』2023の一部
メグ・ウェブスター『Stick Spiral』 1986 の一部

 

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文/ 中里 スミ(なかざと・すみ)

アクセアサリー・アーティト。アメリカ生活50年、マンハッタン在住歴37年。東京生まれ、ウェストチェスター育ち。カーネギ・メロン大学美術部入学、英文学部卒業、ピッツバーグ大学大学院東洋学部。 業界を問わず同時通訳と翻訳。現代美術に強い関心をもつ。2012年ビーズ・アクセサリー・スタジオ、TOPPI(突飛)NYCを創立。人類とビーズの歴史は絵画よりも遥かに長い。素材、技術、文化、貿易等によって変化して来たビーズの表現の可能性に注目。ビーズ・アクセサリーの作品を独自の文法と語彙をもつ視覚的言語と思い制作している。

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