大竹彩子(焼酎&タパス 彩) 焼酎ソムリエの「つまみになる話」毎月第4月曜号掲載 第四回 「さつま白波」鹿児島を牽引してきた焼酎

大竹彩子(焼酎&タパス 彩)
焼酎ソムリエの「つまみになる話」毎月第4月曜号掲載

第四回 「さつま白波」鹿児島を牽引してきた焼酎
 皆さんお待ちかね、連載初、芋焼酎の登場です。主役は鹿児島を代表する「さつま白波」。大海原に真っ白な波が立つ存在感満点のラベルとそれに負けない強い芋の風味を残すお味は、一度飲んだら忘れられないはず。そんなさつま白波を作るのは名蔵「薩摩酒造(株)」です。創業は昭和11年、元々は主に「薩摩乙女」という芋焼酎を造る従業員たった十数人の蔵でした。今では県内に3つもの大きな蒸留所を持つまでに成長した同蔵がどのようにさつま白波を産み、全国展開を果たしたのかというお話です。

 創業当時、地元枕崎市には人気の焼酎メーカーがありました。しかし、経営者が売上金を使い果たし、多額の酒税を払えず税務署によって工場や設備一式が競売にかけられました。戦後の物不足のこの時代に落札する蔵は現れず、税務署は「地元の同業者なんだから」と薩摩酒造に依頼。断れなかった薩摩酒造はとうとう落札し、その閉鎖していた工場を再開して、倒産した蔵の銘柄を売り出すと、たちまち人気に。そう、それが「白波」。今の「さつま白波」です。当時の薩摩酒造社長の地元同業者とその芋焼酎を思いやる気持ちが一件の焼酎工場を再開させたのです。
 そんな同焼酎が九州から東京、日本全国で人気銘柄となるまでには並々ならぬ苦悩と経営努力がありました。薩摩酒造によってさつま白波が発売された翌年から、鹿児島県では生産規制が始まり、各蔵の生産量や販売場所、その量までも決められてしまいます。その無競争時代下で同蔵は、課題であった焼酎特有の臭いの原因となる脂肪酸の取り除きに挑戦するなど品質向上に努めた他、他メーカーから生産枠を譲り受けるなどして生産量を増加。昭和44年の生産規制撤廃と共に一気に九州進出を果たします。規制開始から実に15年という月日が経っていました。
 九州、東京への進出時、同蔵はテレビCMに芸能人を起用するなどして宣伝に力を入れ、特に東京進出時は「白波はロクヨンで」「酔いざめさわやか」という文句がうけ、出荷量は増大。倒産した地元メーカーから引き継いださつま白波も、薩摩酒造によってその後幾度となく品質改良され、進化を遂げてきました。特に同蔵の蒸留所はいずれもサツマイモ畑に囲まれるように建設されており、収穫されたサツマイモはその日のうちに工場に運ばれ原料となります。新鮮なサツマイモを使うことで、イモ本来の甘みと良い香りをもたらします。
 より美味しい焼酎造りに尽力する薩摩酒造は今年2月、さつま白波をリニューアル。発売から62年経った今でも進化を止めず人々に愛される同焼酎は、芋焼酎大国鹿児島を牽引してきた大きな存在だと言えます。

本日の〆
 長期貯蔵麦焼酎に代表される「神の河」。実は芋焼酎大国鹿児島県で造られているのはご存知でしょうか。麦焼酎は長崎県や大分県で造られるものが多い中、薩摩酒造は神の河をはじめ多くの麦焼酎も造っています。近年では「神の河Light」という新銘柄も登場し、こちらは樫樽貯蔵。焼酎そのものだけでなく、貯蔵する樽の管理を行う職人まで自社に持つのは、業界で薩摩酒造のみ!


大竹彩子
東京都出身。2006年、米国留学のため1年間ミネソタ州に滞在。07年にニューヨークに移り、焼酎バー八ちゃんに勤務。13年10月に自身の店「焼酎&タパス 彩」をオープン。焼酎利酒師の資格をもつ。

焼酎&タパス 彩
247 E 50th St (bet 2nd & 3rd Ave)
212-715-0770 www.aya-nyc.com