気になるニュースをピックアップ③ ホロコーストの時代を生き抜く(上)  ブロンクス区在住のジャクリーン・キメルスティールさん


12年間で600万人が虐殺

 ヨーロッパ戦線において第2次世界大戦が終わったのは1945年5月8日。今から72年前のことだ。枢軸国イタリアのムッソリーニはパルチザンによって同4月28日にコモ湖付近で捕らえられ、29日に処刑。ドイツのヒトラーは30日、ベルリンの総統地下壕で前日に妻となったエバ・ブラウンと共に自殺。翌月8日、ドイツは 無条件降伏文書に調印し、6年にわたったヨーロッパ戦線は終焉した。
 同戦線の悲惨さを象徴するのはナチスドイツによるホロコーストだろう。33年から45年の間に強制収容所で虐殺されたユダヤ人は推定600万人。生存者の高齢化が進み、彼らの証言は年々、貴重なものとなっている。4月18日付ニューヨークタイムズはブロンクス区在住のジャクリーン・キメルスティールさんの証言を掲載した。

青春なく、各地を転々
 ドイツ・フランクフルト生まれのジャクリーンさんと家族は、 ホロコーストが猛威を振るった12年間、フランス各地の小さな町を転々とした。「私には『青春』と呼べるものがなかった。勉強もほとんどできなかった。89歳になった今でも、そのことが悔やまれてならないの」。同紙の取材に応えてジャクリーンさんは涙ながらに語る。
 フランスでは町によっては普通の生活ができ、ヘブライ語の勉強もした。「毎日、駅に連行される人を見たわ。ある時、ヘブライ語の先生が列に並んでいるのを見て、ばかな私は手を振ったの。先生は無視してくれた。もしあのとき目を合わせていたら、私も収容所送りになっていた」。ジャクリーンさんと家族は47年8月、ニューヨーク市に逃れた。「自由の女神を見たとき『I’m free. I’m free』ってつぶやいてた」。昼はガーメント地区で縫製師として働き夜は英語学校に通い、そこで夫となるアルバートさんと出会った。アルバートさんはアウシュビッツ強制収容所を生き延びた1人だった。
 ジャクリーンさんの若き日の体験は、ブロンクス区のSAR高校などで4月23日に開催された生存者32人による「語りの会」と同校生徒たちによる再現劇で披露された。これは非営利のユダヤ人慈善団体UJA連盟が運営するウィットネス劇場がヨム・ハショア(ホロコースト追悼記念日)に毎年行っているものだ。
「ホロコーストの存在を否定する人はとても多い。夫もその腕に数字は彫られてなかった(*編集部注)。私に残された日は少ない。語りの会に参加するのは私の使命であり、亡くなった夫の面影をたどることでもあるのよ」
 
 ホロコースト生存者のための非営利の調査団体セルフヘルプ・コミュニティー・サービスの調べによれば、市には現在、5万人の生存者がいる。全米内の他の都市と比べて2倍。
(次週に続く)

*編集部注:アウシュビッツ強制収容所では、囚人の腕に登録番号を刺青していた。戦争末期は収容所側に刺青を彫る余裕がなかったとされる。刺青がないことを理由に「虚偽の証言」と非難された生存者も少なくない。
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