新連載④ 河原その子の偏愛的劇場論

photo by Joan Marcus

photo by Joan Marcus

 

病気の子どももつ母の苦悩描く「Mary Jane」

上演時間1時間40分、休憩なし。
New York Theatre Workshop 79 E. 4th St.212-460-5475
www.nytw.org/show/mary-jane/

 
 

ニュースだけでは世界は分からない。小説が、演劇(ドラマ)が世界を、人間を露わにしてくれる。大事件が起こらなくても。薄いベールが丁寧に剥がされるように、感情を揺さぶる物語は誰の中にもある。
イーストビレッジにある席数200人弱の劇場、ニューヨーク・シアター・ワークショップで上演中の「メリー・ジェーン」(エイミー・ハーツォグ作、アン・カウフマン演出)を観た後、思った。希望はあると信じたい。そんな気持ちにさせられる舞台だ。
登場人物5人は全て女性。作・演出をはじめ、女性がほとんどだという制作チームが作った、ある母親の物語。「リアリズム演劇とはこういうもの」と思い出させてくれる演技、演出、美術、音、照明。虚構を超えたリアルを見事に描いている。

メリー・ジェーン(キャリー・コーン)は30代のシングルマザー。25週の未熟児で産まれ、脳性麻痺を患う2歳半の息子を在宅で看護する。教師だったが現在は休職中。夫は重度の身体障がい者の親という重荷に耐えられず、出ていった。生活は決して楽ではない。キャリアを中断し、メリーの生活は子ども中心に回っている。子どものことを一心に思い、健気に明るく毎日を過ごしている…ように見える。
ニューヨークのクイーンズ区にある小さなワンベッドのアパート。夜は自分の寝床になるソファーベッドがあるリビングルーム。詰まったキッチンシンクを修理する管理人と、洗濯物をたたみながら日常会話に忙しい。通いの看護師と、前日の残り物をレンジで温めてランチを取りながら、話題にするのは看護師の庭の植物の心配。友人を通して知り合った同じ境遇の別の母親に、介護生活のノウハウを立て板に水のごとく語る。看護師の若い姪が訪れると、大喜びで暖かく歓迎する。その間、何度も鳴る子どもの医療アラーム、痰の吸引にメリーは何度も、しかしさりげなく席を立つ。

メリーの家を訪れる女性たちは、溌剌さの裏に隠れた緊張や、元気な会話、暖かい歓迎の裏にある不安定さを察知する。この不安こそがメリーが母親として否定したがっている、見ないでおきたいと思っているものなのだろう。
重病の子どもの看護というメリーにとっての日常生活の中で、会話は淡々と続く。そこはかとない危うさを抱えつつも、このままの状態がずっと続くと感じながらあることを境に彼女は自分の気持ちに直面せざるを得なくなる。
舞台はアパートから病院へ。この転換が見事だ。場面転換というよりも、気づきへの転機が、天からいきなり訪れたかのようだ。メリーは同じように物語の中心にいるが、周りが変わる。アパートを訪れた4人の俳優は、医師、音楽療法士、宗教の教えに忠実なユダヤ人の母親、そしてチャプレン(病院で働く宗教家)として再びメリーと関わる。

病気の子どもとその母親の物語だが、闘病記ではない。子役は登場せず、その存在は、子ども部屋のドアの向こうから聞こえる医療機器の音や、メリーが思わず添い寝する病院のベッドの中に存在する。「私、ちゃんとやれているよね」「(病気は)私のせいなのかな?」というメリーのセリフを、発したことのない母親はいないのではないだろうか?「米国の母親」ではなくて、「母親の物語」だと、強く感じだ。彼女の疲弊と迷いが、観劇している側の(立場が違っても)日々の疲弊や迷いと重なる。英語のメリー・ジェーンという女性名は、日本では山田花子のような感じの名前らしい。作家がこの母親に与えた名前はそういう意図もあるのだろう。
希望はあるのか? 出口はあるのか? この舞台はそのどれにも答えてはくれない。答えはないのかもしれない。しかし、切ない共感は残る。

 
 

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ワンポイントアドバイス!
会話劇なので日本人にはハードルが高いかもしれないが、普遍なテーマとして理解できるはず。評価が高く上演が2週間延長となった。
10月29日まで。
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河原その子(舞台演出家、ニューヨーク在住)
New York Theater Workshop, The Drama League、Mabou Maines などのフェロー&レジデント。フォーダム大学招待アーティスト。リンカーンセンター・ディレクターズラボ、日本演出者協会会員。コロンビア大学M.F.A.(演出)。www.crossingjamaicaavenue.org