百年都市ニューヨーク 第11回 創業1913年 ファイザー(中)

虫下し「サントニン」を発売

 世界最大の薬品会社「ファイザー」は、ドイツ移民チャールズ・ファイザーとチャールズ・エルハルトの2人が1849年に創業したブルックリン生まれの企業である。当時のニューヨークは急速な工業化のただ中にあって人口が急増。上下水道も未整備で、生活環境は劣悪。特に貧しい労働者街では伝染病の流行が絶えなかった。
 そんな状況の下、ファイザーたちが第一に発売したのが「サントニン」と呼ばれる虫下し薬。腸や胆管に寄生する回虫を殺して体外に排出させる薬は効果てきめん、各社が競ってサントニンを製造した。中でもファイザー社製のサントニンは破格の人気、「初打席から順調に出塁」を果たした。
 功労者は、チャールズ・エルハルト。祖国ドイツで菓子職人だったエルハルトは砂糖や飴の知識と製造技術に長けていた。その経験を生かし、苦い虫下しの薬剤にアーモンド菓子のフレーバーを添加し砂糖でコーティングして三角錐のキャンディの形状に仕上げた。格段に飲みやすくなったサントニンは評判を呼び、ダントツの売り上げを達成。今では当たり前になっている「糖衣錠」はここニューヨークで誕生した。

1868年に移転した旧本社があった場所。現在は番地も存在しない。左に見えるのは連邦準備銀行

1868年に移転した旧本社があった場所。現在は番地も存在しない。左に見えるのは連邦準備銀行

 ちなみに余談になるが、筆者の少年時代(昭和30年代)の東京では、まだ回虫がうようよ徘徊しており、その検査である「検便」も小学校で頻繁に行われていた。一方、薬といえば苦い粉薬が主流で、オブラートに包んで工夫はしていたものの服用はいつも苦痛で、親から逃げ回っていた記憶がある。そこに登場したのが「糖衣錠」。言葉自体、科学的で進歩的な響きがあったし、新薬の宣伝では盛んに「糖衣」を謳っていたので、子ども心にも「糖衣錠なら飲んでもいい」と決めていた。ニューヨークでは19世紀半ばに糖衣錠が開発されたのだが、日本はその100年後か、と思うと感慨深い。

南北戦争で飛躍

 伝染病にしろ「口に苦い良薬」にしろネガティブな情勢を逆手にとって売れる薬を開発するファイザー社の経営戦略は、この後も続く。次なる苦境は戦争。1861年に勃発した「南北戦争」である。奴隷制か? 工業化か? で米国全土が真二つに割れ、4年にわたって争った。社会も経済も混乱した。
 しかし南北戦争は、高性能の大砲やライフル銃が登場する大規模な近代戦のハシリで、この頃から戦場で負傷した兵士を救援し緊急治療する衛生兵(medics)が重要な戦闘要員となってくる。衛生兵は部隊と共に進軍し、負傷兵を手当し、軽傷者は戦線に復帰させ重傷者は野戦病院に搬送する。そこでは止血剤や鎮痛剤をはじめありとあらゆる薬剤が必要となる。

マシュー・B・ブラディが撮影した南北戦争Scene showing deserted camp and wounded soldier. (Zouave) , Coverage Dates: ca. 1860 - ca. 1865. U.S. National Archives

マシュー・B・ブラディが撮影した南北戦争Scene showing deserted camp and wounded soldier. (Zouave) , Coverage Dates: ca. 1860 – ca. 1865. U.S. National Archives

 またまたファイザー社にとっては好機到来。衛生兵の存在を重視した北軍の要請によってモルヒネ、ヨウ素、クロロホルム、ショウノウなどを盛んに供給した。中でも製造に力を入れたのが、硫石酸(下剤と消炎剤の原料)と硫石英(腸内洗浄剤と排尿促進剤の原料)だったというが、この軍需が母体となってファイザー社は1862年に両者の商品化に成功する。ともに、加工食品の製造には欠かせない原料で、同社の医薬品以外への事業拡大は既にこの時に始まっていた。
 医薬品以外といえば興味深いのが水銀の製造。これも南北戦争の副産物だが、19世紀半ばに誕生した銀盤写真は、南北戦争をきっかけに、それまでのスタジオ内でのポートレート写真から、生々しい戦場の実態を伝える記録写真(ドキュメンタリー)へと発展していった。その第一人者が写真家、マシュー・B・ブラディ(1822〜96年)だ。リンカーン大統領の特待の下、戦場に仮設スタジオまで持ち込んで戦いの一部始終をカメラに収めた。今でいう「戦場カメラマン」の先駆けだが、ブラディの活動で必要となった大量の水銀の供給を担当したのが他ならぬファイザー社だった。
 南北戦争の恩恵を受けて、押しも押されぬ薬品「企業」に成長したファイザー社は従業員も150人を超え、68年に本社をブルックリンからマンハッタンはウォール街のメイデンレーン81番地に移す。

(※来年1月5日号に続く)   

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Pfizer
1849年ニューヨーク市で創業。2016年度の営業利益は147億ドル(1.64兆円)。日本を含め全世界に営業拠点を構える世界一の製薬会社。グローバルヘッドクォーター(世界本社)は42丁目と3番街の角。開発部門本部はコネティカット州グロトンにある。
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取材・文/中村英雄 映像ディレクター。ニューヨーク在住26年。人物、歴史、科学、スポーツ、音楽、医療など多彩な分野のドキュメンタリー番組を手掛ける。主な制作番組に「すばらしい世界旅行」(NTV)、「住めば地球」(朝日放送)、「ニューヨーカーズ」(NHK)、「報道ステーション」(テレビ朝日)、「プラス10」(BSジャパン)などがある。