摩天楼クリニック「ただいま診察中」(連載29) 心の病気 【10回シリーズ、その6】うつ病(下)

うつ病(下)
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大山栄作 Eisaku Oyama, M.D.
ニューヨーク州立マンハッタン精神病センター精神科医。安心メディカル・ヘルス・ケア心療内科医。1993年東京慈恵医科大学卒業。2012年マウントサイナイ医科大学卒業。米国精神医学協会(APA)会員。日本精神神経学会会員。日米で10年以上の臨床経験をもつ。

うつ病と自殺は深い関係にある。本シリーズ第4回目で紹介した米国におけるうつ病の診断基準「DSM-5」によると、「死についてよく考える」はうつ病の重要な兆候と定義されている。また自殺の側面からみると日本の場合、自殺の原因が「健康問題」だった人の4割以上をうつ病患者が占めていたとの統計がある。うつ病はなぜ自死に結びつくのか? うつ病による自殺は防げるのか?マンハッタン精神病センターと安心メディカルで心の病気の治療に携わる大山栄作医師 (心療内科) に話を聞いた。

Q大山先生が診察される患者の中にも自殺願望がある人はいますか?
A多いですね。確かにうつ病と自殺とは相関関係があるように思えますが、これはなかなか難しい問題です。うつ病になったからといって必ず自死するとも言い切れず、自殺にも他にたくさんの原因があるんです。僕も日本で働いていたころに大勢の自殺願望者を診てきましたが、境界性人格障害が原因になっている場合も少なくなかったです。

Q境界性人格障害とは、うつ病とはまた別の病気で、感情や思考の制御がきかなくなったり、衝動的な自己破壊行動に及んだりする障害ですね。
Aはい、不安やうつ症状は似ているのですが、原因が違うようです。ちょっと脇道にそれますが、自殺者の例として僕の経験をお話します。
 その患者(女性、25歳)は、人気バラエティー番組にも出演していたモデルさんなのですが、華やかな活躍の裏で毎週のように手首を切っては病院に駆け込む生活を繰り返していました。
 境界性人格障害の患者を治療するときに主治医は境界設定を設けておくのが常なんです。事前に予約を入れた時間以外には面接しないといった取り決めをしていることが多いのです。しかしあるとき症状が非常に悪化し、彼女は境界設定を無視して「会ってくれなければ死ぬ」などと脅しをかけてきた。主治医を無理に呼び出すのは、患者と主治医の間に結ばれた治療契約を無視する行為です。主治医だった僕の上司もついには彼女との治療契約を打ち切ると宣言しました。
 極端に落ち込んだ彼女を見て僕はとっさに入院手続きを始めたのですが、ほんの一瞬、書類を取りに席を立ったそのすきに悲劇は起きました。診察室に戻ると天井が真っ赤に染まっていたのです。頸椎をナイフで切って大量出血。即死状態でした。

Q凄まじい話ですね。
A死への願望を専門用語で「希死念慮」と呼びますが、これがある人は常に死ぬことを考えています。自責の念が強くて「悪いのは自分だ」と思い込む傾向がありますね。でもその中で本当に死ぬ人は一部にすぎなくて、みんなどこかで「自殺なんかしたらダメだよ」という周囲の言葉を待っている。最近、問題になっている自殺サイトにしても本当に死にたくて接触してくるというよりは、自分の話を聞いてほしくて参加するのではないでしょうか。世の中で人間関係が希薄になっているのも原因の1つかもしれません。

Qなるほど。そのような自殺を巡る状況の中で、うつ病と自殺の関係はどう理解したらよいのでしょうか?
A難しいですね。ただ最近の研究によると、北ヨーロッパなどの日照時間が少ない地域の自殺者を調査すると、他地域に比べて脳内物質セロトニンの量が圧倒的に少ないことが分かってきました。うつ病の原因である脳内物質不足が自殺と関係があることは明らかです。

Q自殺願望があるうつ病患者への治療は?
A入院治療がベストでしょう。自殺願望者はどんなタイミングで自死を図るか予想がつかないんです。うつ状態が最悪のときは、体も動けないしベッドから起き上がる力もありませんから、むしろ自殺はしない。ところが、脳内物質を復活させる薬などが効いてきて、食欲も出て少し元気になると、自殺に走るのです。
 以前、診ていた患者さんは、入院治療で少し体調が良くなり本人と家族の要請もあって病室を出て院内を散歩したいというので許可しました。ところが昼休みの散歩中、ちょっと家族が目を離したすきに、自力で病棟の屋上に上がって、そこから身を投げました。僕は、たまたま中庭に出ていたので患者さんが飛び降りる瞬間を目撃してしまった。あれはショックでした。一瞬の差で救うことができませんでした。体力が回復し始めたころが一番危ないのです。

Q「ベスト」の入院治療であっても完璧には防ぎきれないのですね。
A残念ながらそうです。それでも医師や看護師の目が24時間届く入院が最良の手段です。
 別の患者さん(男性、銀行管理職)の場合は明らかなうつ病で、元気なときはイタリアンマフィアのような派手な出で立ちで職場を仕切るのに、うつになると髪もボサボサ。身なりもひどいという状態でした。自殺願望こそ口には出しませんでしたが、あるとき、診察中に自分を責める言動が過剰になり、ついには「息子が受験に失敗したのは、俺が一緒に野球をしてやれなかったから」と妄想まで口走るので、「危ない」と感じて無理矢理入院させたのです。そこからはベッドに拘束して嫌がる薬をチューブで飲ませるなど壮絶な治療が始まったのですが、結局、セロトニンの回復薬が効いて、食事も元に戻り、いまでは見違えるように健康になっています。計1カ月半ぐらいは入院していたでしょうか。

Q入院治療の成功例ですね。それにしてもこれは体力勝負。大変な集中力と根気が必要なのですね。
Aその通りです。でも後日、奥さんから感謝されましてね。「先生、よかったです。入院後に主人の部屋を整理していたら、押し入れから首吊り用のロープが出てきました。それから、書き損じの「遺書」もたくさん」と。

Q表面には出さなくても自死の準備はしていたのですね。ところで、先ほどのお話で「妄想」という言葉が出ましたが、妄想は危険信号の1つなのですか?
Aはい。うつ病には3大妄想があって、1つは「心気妄想」(自分は重篤な病気ではないかと心配する)、もう1つは「貧困妄想」(お金がない。このままでは飢え死にすると恐れる)、そして3つ目が「罪業妄想」(自責の念。朝、息子のお弁当を作れなかった私は罪人。警察に出頭するなどといった)です。特に貧困妄想はお年寄りに多いですね。貯金通帳には残高が十分にあるのに、「もうお金がない、将来がない」と悲観するタイプです。

Qこれは治るのでしょうか?
Aはい。これだけ症状がはっきりしていると、かえって治りやすく、「貧困妄想」の高齢女性のケースでは、電気ショックを施したところ、効果が大きく、1週間ほどで治ってしまいました。

 なるほど。早期発見、早期治療で改善するケースもあるのですね。次回は話題を変えて、もう1つの「心の病」パニック症候群について教えてください。