摩天楼クリニック「ただいま診察中」(連載32) 心の病気 【10回シリーズ、その9】心の病気と犯罪(上)

心の病気と犯罪(上)
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大山栄作 Eisaku Oyama, M.D.
ニューヨーク州立マンハッタン精神病センター精神科医。安心メディカル・ヘルス・ケア心療内科医。1993年東京慈恵医科大学卒業。2012年マウントサイナイ医科大学卒業。米国精神医学協会(APA)会員。日本精神神経学会会員。日米で10年以上の臨床経験をもつ。

これまで8回にわたり心の病の実態と治療について、心療内科を専門にする大山栄作医師に話を聞いてきた。同医師は、安心メディカルで在米邦人の心のケアに携わると同時に、ランドールズ島にあるマンハッタン精神病センターで唯一の日本人精神科医として米国人の治療にも当たっている。ニューヨーク州が運営する同センターは、重篤な精神病を患いながら犯罪を犯した人たちの治療施設だ。今回は過酷な臨床現場での経験を基に心の病と犯罪の関係について聞いた。

Qマンハッタン精神病センターとはどのような病院なのですか?
Aマンハッタン精神病センター(MPC)は、ニューヨーク州の精神衛生局(OMH)の傘下にある25の精神病院の1つで、心神喪失などの状態で重大な他害行為を行なった者の治療と観察を目的とする機関です。日本でいうと「指定入院医療機関」に当たる施設です。創立は1848年。もとは移民専用病院だったようです。

Qいわゆる精神鑑定によって責任能力がないと判断された犯罪者の治療施設と考えてよいのですね。
Aはい。ただし、中には有罪の判決を受けた人もいますから、患者全員が病気ゆえに「無罪になった」わけではありません。そこは留意してください。

Q他害行為というと具体的にはどのような犯罪が多いのですか?
A僕が診ている患者には性犯罪者が多いですね。現在、担当している病棟では14人の入院患者がいますが、うち2人は殺人などを犯した重犯罪者です。残りは、暴行、レイプ、強盗、破壊行為、公務執行妨害などさまざまです。

Qどんな精神病の人が多いのですか?
A統合失調症や躁うつ病ですね。

Q統合失調症は、本シリーズで紹介いただいた心の病とは似ているものの少し系統が違う病気ですね。
Aこれが大変難しい病気で発病のメカニズムもまだ解明されていません。思考や感情がまとまりにくくなり他者とのコミュニケーションに障害が現れ、ときには異常行動を伴い、幻聴、幻覚や被害妄想なども起きる厄介な病気です。

Qその病気の患者たちが犯罪を犯しやすいのでしょうか?
Aいいえ。その考え方は間違いです。最近のマスコミ報道などは、通り魔や猟奇事件、無差別殺人の原因を精神病に結び付けたがる傾向がありますが、本当に病気の人は体力も気力も衰えていてとても他者を傷つけるようなエネルギーはないのです。ましてや本シリーズで紹介してきた「うつ病」などは病気が進行すると、まずベッドから起き上がれませんし、自責の念が強くなり自傷傾向こそあれ他傷へ向かうことはまずありません。「犯罪の原因は心の病」といった先入観は捨てるべきです。

Qすると先生が日々診療されている患者さんたちはどこで犯罪と結び付いてしまったのでしょう?
Aさまざまなケースがあっていちがいには言えないのですが、薬物の関与が犯罪に導く事例は多いです。そもそも統合失調症の患者は、幼年期に受けた性的暴行や家庭内暴力がトラウマになっていることが多く、それゆえに薬物に手を出すことがよくあります。
 例えば、僕がずっと診ている男性患者は少年期に、大好きだったいとこの「お兄ちゃん」からレイプされ、それがずっと心の傷になっていました。成人すると激しい人間不信に陥り、特に「父親から嫌われている、父親に殺される」という妄想が年々強くなりました。忌まわしい肛門虐待の記憶を胸の奥深くしまったまま、人間嫌いになり、肉親を憎み、やがて不安を解消するために、ご多分に漏れず麻薬に溺れます。それも一番たちの悪い麻薬PCP(フェンサイクリディン)に。

Q本シリーズ2回目に登場したドラッグで通称「エンジェルダスト」。暴力的になる副作用がありました。
Aはい。このドラッグは、醒めるときに暴力を誘導し、しかも、その行為を本人が記憶していないという非常に危険な代物です。この患者の場合、エンジェルダストが原因で実の父親を半殺しの目に合わせ、しかも、犯行現場に叔母と自分の息子を呼びつけ、瀕死の父が息絶える姿を見ながら、食事をしたというのだから、異常犯罪の極みです。

Qその一部始終を本人は覚えていない?
Aその通り。でも後に話したときの様子では、呪われた過去を克服したある種の達成感はあったようです。しかし単なる統合失調だけでは、こんな犯罪は犯さないと思います。やはり薬物が介在したことで、積年の怨恨が爆発して、想像を絶する他者破壊のエネルギーが放出したのでしょう。

Q身の毛のよだつような話です。当然、裁判では無罪の判決を受けてMPCに送られてくるわけですね。治療の見通しはあるのでしょうか?
AMPCに入っている限り、薬物との接触はなくなるので、その点は快方に向かうと考えてよいでしょう。また、統合失調症に効く薬もあるので薬物療法は有効です。中でも、日本では全国の病院でも100施設ほどにしか許可されていない「クロザピン」という強力な薬があります。米国の一般病院では、平均すると患者の10%ぐらいに適用していますが、僕が勤めるMPCでは60%に使っています。

Qどんな治療薬なのでしょうか?
A向精神薬の1つで、統合失調症だけでなく躁うつ病にも高い効果があります。ただし服用した人の約1%に、白血球数が急速に低下して命の危険を招く副作用が出るという欠点もあります。それも体質なので使ってみて初めて副作用が出るかが分かる。誰に出るか分からない。つまり、「賭け」のようなリスクがあるため日本では適用に慎重なんですが、実は大変よく効く薬で、これを使うと、それまで暴れたり、周囲に迷惑をかけてばかりいた患者が突然おとなしくなり、「真人間」に変わってしまいます。

Qしかし100分の1の確率で出る副作用は怖いですね。
Aそうですね。でも米国ではこの方法を取っているわけです。ところで、「クロザピン」の注射を打つのもひと苦労です。というのもMPSの患者の中には薬の投与を拒絶したがる人が多く、注射の際に抵抗して大暴れするケースも少なくないのです。暴れる患者をスタッフ全員で取り囲んで最後は毛布で簀巻きにして押さえ込み、注射する。患者にストレスを与えないような決まりのプロトコル(手順)があって院内で何度も予行演習をやっているのですが、毎回、さながら「大捕り物」の騒ぎです。
 それにしても治療には時間を要します。中には20から30年も入院している患者がいますから病棟内の人間関係も自然と濃くなり、家族以上の緊密な関係も生まれます。
 まさに体力と気力の勝負ですね。興味は尽きないですが、紙幅が尽きました。続きは次回で。