百年都市ニューヨーク 第14回 創業1913年 ファイザー(補)

考古美術品のコレクターでもあったアーサー・M・サックラー

考古美術品のコレクターでもあったアーサー・M・サックラー

医薬品商法を変えた男アーサー・M・サックラー

 第二次世界大戦中から戦後にかけてのペニシリン量産で大儲けしたファイザーは、ついに自社開発の薬剤の発売に乗り出す。化学薬品企業から製薬会社への転身である。その先駆けとなった薬がテラマイシン。ファイザーはこの新しい抗生物質のセールスに全く新しい手法を取り入れた。
 一言で言うと、現場の医師に向けての直接セールスである。発行部数60万の医学専門誌に大々的に広告を打ち、医師のオフィスに押しかけて効能を説き、テラマイシンの名前が入ったペンだのノートだのを配りまくる。今なら当たり前の薬品セールスの「いろは」だが、当時は斬新だった。
 ピンポイント攻勢はさらにエスカレートし、接待や景品はもとより「新薬セミナー」と称して医師を夫人や家族同伴でリゾート地に招待するなどして歓心を買った。テラマイシンは確かに優れた薬だったが、医師たちが率先して処方したおかげで驚異的な売り上げを記録。こんな賄賂まがいの戦略を考案したのが、当時、ファイザー担当の広告代理店社員だったアーサー・M・サックラーだ。
 東欧系ユダヤ人移民の子としてブルックリンに生まれたサックラーは、大学で精神医学の学位を取得。クィーンズにあるクリードムーア精神病院に勤務し、統合失調症の専門医として150本もの論文を残している。ファイザーの抗生物質開発とほぼ同時期に薬品業界のバラ色の将来を見抜いたサックラーは広告業に転身。臨床経験に基づく正確かつ最新の薬品知識を武器に医師たちへの売り込みを展開したのだった。
 テラマイシンの大成功で代理店の経営権を買い取るとサックラーは、抗不安薬の「ヴァリウム」で一財産を築く。その財産を投じて収集したのが中国や中近東の考古美術品だ。米国の美術館や博物館に詳しい人なら、アーサー・M・サックラーと聞けばピンと来るはずだ。ワシントンDCやニューヨークの一流美術館にはその名を冠した展示室がある。ちなみにメトロポリタン美術館ではダンドゥール神殿をはじめ古代エジプトの出土品の多くが彼の寄贈によるもの。一連の展示室はサックラー棟と呼ばれている。ニューヨーク大学などに研究施設も寄贈したサックラーは医薬品界、医学界と社会に多大な遺産を残した大偉人…のはずなのだが、実は厄介な負の遺産も残している。

メトロポリタン美術館内のダンドゥール神殿(photo: Hideo Nakamura)

メトロポリタン美術館内のダンドゥール神殿(photo: Hideo Nakamura)

処方せん中毒まん延の元凶に

 1950年代に彼の一族が買収したパーデュー製薬は、84年にモルヒネ系鎮静剤MSコンティンを発売。本来の目的は末期がん患者や外科手術直後の痛み止めだった。同薬剤は96年にオキシコンティンとして改良販売される。この処方せん薬こそが、今、米国で「疫病」と言われるほど大問題になっているオピオイド中毒の元凶なのだ。サックラーの申し子「パーデュー製薬」が、テラマイシンと同じ接待まみれの直接セールスで医師たちにオキシコンティンを売り込んだのは間違いない。「中毒性のない鎮痛剤」という製薬会社の甘言を信じて全米の医師たちはいとも簡単にオキシコンティンを処方した。鎮痛剤拡散の構造的な原因は、60年代にファイザーが切り開いた強引な医薬品商法にある。なんとも根深い話なのだ。
 ちなみにファイザー自体は、オピオイドの製造販売は行っていない。製薬会社として、日本を含め世界中に関連企業を増やし巨大化した同社は、競合会社を吸収合併しながらラインナップを着実に増やす。有名なのは2000年に買収したワーナー・ランバート社が持っていたコレステロール低下剤リピトールの利権。ファイザーが大ヒットさせて累積売上1300億ドルを突破。史上最高に売れた処方せん薬となった。

業績不振もバイアグラで再起

 最後に、誰もが知っている勃起不全治療薬バイアグラについて一言。もともと狭心症の薬としてファイザーが開発したものの効果が芳しくなかった同薬だが、臨床試験中止後なぜか被験者たちが薬の返品を拒否する。問い詰めると「勃起促進」作用を告白した。
 この逸話には、何度聞いても笑ってしまう。瓢箪から駒のような夢の特効薬は、発売時の1998年第2四半期に6億2800万ドルの売り上げを計上。前期の38%もアップした。当時、ファイザーは、新薬の認可が拒否されるなどご難続きで医療機器部門を整理するなど「うなだれていた」最中だったが、バイアグラの朗報で一気に景気は上向きに。文字通り「立ち直った」というめでたいお話。この会社は本当に強運に恵まれている。
(了)

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Pfizer
1849年ニューヨーク市で創業。2016年度の営業利益は147億ドル(1.64兆円)。日本を含め全世界に営業拠点を構える世界一の製薬会社。グローバルヘッドクォーター(世界本社)は42丁目と3番街の角。開発部門本部はコネティカット州グロトンにある。
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取材・文/中村英雄 映像ディレクター。ニューヨーク在住26年。人物、歴史、科学、スポーツ、音楽、医療など多彩な分野のドキュメンタリー番組を手掛ける。主な制作番組に「すばらしい世界旅行」(NTV)、「住めば地球」(朝日放送)、「ニューヨーカーズ」(NHK)、「報道ステーション」(テレビ朝日)、「プラス10」(BSジャパン)などがある。