摩天楼クリニック「ただいま診察中」(連載33) 心の病気 【10回シリーズ、その10】心の病気と犯罪(下)

心の病気と犯罪(下)
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大山栄作 Eisaku Oyama, M.D.
ニューヨーク州立マンハッタン精神病センター精神科医。安心メディカル・ヘルス・ケア心療内科医。1993年東京慈恵医科大学卒業。2012年マウントサイナイ医科大学卒業。米国精神医学協会(APA)会員。日本精神神経学会会員。日米で10年以上の臨床経験をもつ。

心療内科が専門の大山栄作医師は、安心メディカルの専任医師として日本人の心の健康管理に当たっているが、その傍ら週に5日はランドールズ島にあるマンハッタン精神病センター(MPC)で精神病に苦しむ米国人患者の治療に携わっている。中には他の医療機関では手に負えないほどの重篤患者や、暴行や殺人などの犯罪を犯すも精神病ゆえに責任能力がないと判断され入院している者も少なくない。「ダイハード」ともいえるMPCでは一体何が起きているのか? シリーズ最終回は先週に続き心の病の極限状態について聞く。

Q そもそも先生はなぜこのような過酷な職場を選んだのですか?
A 僕自身が高校生のときにパニック障害で苦しんだ経験があります。わけもわからず突然、激しい胸の痛みに襲われ、調べてみても何の異常もなく、「心の問題」と診断されました。最初は信じられませんでしたが、この病気にとても興味を抱きました。結局、鍼灸で症状が改善したため鍼灸師を目指したのですが、鍼灸の先生から「東洋医学をやるのならその前に西洋医学を学べ」と助言され、医学部を受験しました。思春期の心の病気を研究しようと慈恵医大に進みましたが、日本では小児精神医学の分野が未成熟で、しばらく小児科に在籍したものの、自閉症が中心で自分には合わないな、と思いました。そこで思いきって来米し、米国の医大で学び直したのです。

Q 心の病気の治療法は日米でかなり違いますか?
A そうですね。日本と違って米国では精神医学でも心理学を学びますね。いわゆる文系の学問ですが、古典のフロイトから始まって最新の理論まで徹底的に叩き込みます。それが新鮮でした。病気をさまざまな視点から多角的に診て、決して薬だけで治そうとしないことが分かり目からウロコが落ちる思いでした。
 薬に関しては日本で認可されていない薬剤も使用するのですが、1つの薬が効かないとなるとすぐにその処方は中止して、別の薬に切り替え、両方を併用することはありません。日本の場合、効かなかった薬に新しい薬を追加するケースが大変多いようです。これでは本当の効果が分かりませんよね。
 また、パキシル(抗うつ剤SSRIの1つ)のように副作用がかなり強くて米国ではもはや使われていない薬を、日本では「どこの病院でも使っている。一番売れている」との理由で製薬会社が有無を言わさずに売り込んでいますが、その状況にも疑問を感じました。

Q 先生が扱う心の病=脳の病、そして精神病は他の病気やけがと違って病巣を切除したり、外傷や損傷の回復を助けたりするだけでは治療が終わりません。MPCの入院患者さんで一応「完治」して退院する人はいますか?
A MPCの患者は重篤で2から30年入院中の人がザラですが、中には病気が改善して退院するケースもあるにはあります。例えば、実名は伏せますが、僕がずっと診ている患者に世界的なチェスプレーヤーがいます。彼は躁うつ病で躁状態のときはとても調子が良くチェスの大試合でも楽勝するのですが、うつ状態に入ると別人のように生気を失って機能しなくなるのです。自分でも病気のことがよく分かっていて、精神状態を「躁」に持ってゆくためにコカインやPCPなど薬物を使い始めます。そこから依存が始まり、異常な行動が続きMPCに送られてきました。入院当初の彼は、全裸で院内を走り回るなど手がつけられない有様でした。3カ月の治療で薬物は完全に抜け、すっかり健康になりました。ところが、晴れて退院となり社会復帰するや、またもや薬物に手を出し、1週間後にボロボロになって再入院。そして3カ月の治療の末、再退院。この繰り返しがもう10回ぐらい続いています。

Q 重症患者を社会復帰させることはかなり困難なのですね。
A 悲しいですが、退院後の元精神病患者が無差別殺人や暴行事件を起こすケースもときどきあります。これはとても難しい問題で、全般的には医療界も患者の人権を尊重し社会復帰を奨励する風潮が大勢ですが、地下鉄ホームでの突き落とし事件などが起きるたびに世論は、重症患者の院内拘束に傾きます。医師の責任も大きく、1974から76年にカリフォルニア州の法廷で争われたタラソフ事件(精神病患者が精神科医に特定個人の殺人予告をしたものを、医師が患者の守秘義務ゆえに警察に通報しなかった事件)をきっかけに「医師や治療者は患者によって危険が及ぶと予測される人を、危険から守る方策をとるべきである」との共通認識が米国にはあります。

Q それだけに先生が担当した患者が退院するときは気が気でないでしょう?
A そうですね。2年ほど前、マンハッタンの34丁目あたりで「アジア系女性をハンマーで殴る」暴行事件が頻発したのですが、新聞で容疑者の名前を見て驚愕しました。自分の元患者ではないですか! それがしばらくするとメディアではその名前が伏せられて、結局は黒人婦人警官に殴りかかったところを射殺されたそうです。なんとも言えない虚しい気分になりました。

Q やはり精神病や心の病の「完治」はないと?
A 完全に治ることはないでしょうね。病気を認めて受け入れて、病気と共に生きると決意する。それしかないのです。慢性的な病気(持病)の1つと考えてください。
 糖尿病や高血圧症と同じです。例えば糖尿病の診断を受けた患者は、食事の糖質を制限し、血糖値を毎日測り、インシュリンを注射する、などライフスタイルが全く変わります。同様に心の病気の場合も、今や病気のメカニズムもずいぶん解明されてきましたし効果のある優れた薬も多いわけです。それらを正しく服用して発作や発症を抑えながら病気と一緒に生きる。それが唯一の治療法ではないでしょうか。

Q それにしても大変な仕事ですね。
A MPCの現場は毎日、事件の連続です。今週も19歳のときに13歳の少女を地下鉄車内でレイプして30年間入院していた統合失調症の男性患者が退院することになったのですが、院内に恋人がいて、この女性の退院時期がまだ先なので男性と別れたくない一心から男性に「レイプされた」と訴え始め、病院内が大騒ぎになりました。

Q まるでドラマの世界ですね。
A 客観的に見るとね。実際は本当に大変で、完治の見込みがないため医師や看護師も虚しくなって辞めていく人が多いです。そんな中で僕は、医師としては自分をさらけ出して、患者と嘘のない関係を築き、常に患者の言葉を真実として信頼し、反対に自分のことも100%信じてもらう。そんな人間関係の中でしか、薬の投与もできないし、そもそも心の病気の治療はできないと感じています。ですから、高校時代に自分がパニック症候群だったことも包み隠さず話すようにしているのです。(了)

*来週からはカイロプラクティック治療について解説します。