百年都市ニューヨーク 第18回 創業1905年 パトナム・ローリング・ラダー社(完)

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  「前職はCIA(米中央情報局)職員でした」。可動式ハシゴ専門会社パトナム・ローリング・ラダー社(以下パトナム社)の4代目社長(現相談役)グレッグ・モンシーズさんの口から意外な言葉が飛び出した。

裏切りと欺瞞を後にして

 CIAは泣く子も黙る米大統領直属の情報機関。グレッグさんは、父親の母校ペンシルべニア大学ウォートン校を卒業後、法科大学院に進み、司法の専門家となってCIAに就職した。
 1976年から80年の在職中に手掛けた大きな仕事は「グロマー・エクスプロア号事件」(CIAが大富豪ハワード・ヒューズと秘密裏に手を組んで、68年にハワイ沖の深海に沈没したソ連=当時=の弾道ミサイル搭載潜水艦を引き揚げようとした計画)と「トルオン/ハンフリー事件」(77年に発覚した軍事スパイ事件。国務省の機密通信内容が北ベトナム=当時=に流出した)。
  「情報収集に明け暮れる毎日でした。政府機関同士の敵対や内紛も絶えず4年間ですっかり憔悴しましたね」。今では淡々と振り返るグレッグさんだが、当時は冷戦時代のまっただ中。職場のどこに二重スパイが潜んでいるかも知れず、家族や友人も巻き込む壮絶な諜報合戦が水面下で繰り広げられていた。「特に、トルオン/ハンフリー事件では、関係者の妻が二重スパイと分かり、彼女と接触するために、その父親を使ってロンドンにおびき寄せるなど映画みたいな展開もありました」
  裏切りと欺瞞に満ちた職場に見切りをつけて、グレッグさんがパトナム社に再就職したのは、30歳のときだった。「CIAには全く未練はありませんでした。でも、社長業を引き継ぐ気も毛頭なくて、あくまでも父親の下で従業員として働きたかったのです」
 ハシゴ作りは子どものころから見て知っていたが、製造の現場や販売に関してはズブの素人だった。「一から父の指導を受けました。父は本当に仕事の鬼でしかも頑固。父から褒められたことは滅多にありません」。つらい訓練ではあったが、情報局とは違い、実際に手で触れる商品を作る喜びは何よりも大きかったという。
 注文主との信頼関係や人間的なやりとりにも新鮮な驚きがあった。「父の口癖は、The customer is always right.(お客様は神様)でした」。カスタムメイドの可動式ハシゴには、素材からサイズ、ニスの色まで無限大のチョイスがある。それを決めるのはクライアントであり、ハシゴ屋はそのリクエストを最大限満足させなくてはいけない。「サンプルや設計の相談は延々と続きますし、頼まれれば実際にお客様の書斎やリビングルームに採寸に行くこともあります」とグレッグさん。

明日に架けるハシゴ

 とはいえ、1970年代以降ホームデポのような巨大チェーンが全米いたるところに出現し、外国製の廉価なハシゴが出回るようになる。手作り注文ハシゴ会社のマーケットはみるみる縮小していった。頼みの綱は、住宅を新築する人たちだが、それも2008年のリーマンショックで一時激減した。最盛期は21人いた従業員も現在は工員8人プラス事務方5人の13人体制だ。
 「経営は苦しいです。今まではソーホーに本社ビルがあったので家賃収入を補填してなんとか回していましたが、それも売却しましたので、もう当てにできません。51億円の売却益を取り崩すのも限界があります。3年前に僕は社長を退き、今では息子のグレッグ・ジュニアが経営の実権を握っています。彼は合理的な考えの持ち主なので、うまく立て直してくれると期待しています」
 先代社長ウォーレンさんが、生前、たった一度だけグレッグさんを褒めたことがある。宣伝にインターネットの利用を提言したときのことだった。紙媒体や放送媒体ではなく、これからはクライアントと直接つながれるインターネットで可動式ハシゴをアピールすべきだ。そう言うグレッグさんに父は深く同意した。サイトを充実させ、セレブの購入実績をさりげなく掲載してみた。案の定、効果は抜群で、こだわりを持った(注文の多い)クライアントからのオーダーが続々入る。文字通りネットのおかげで新しい「ハシゴ」が、架かるようになった。
 グレッグさんは言う。「息子の代で終わりになってもかまわないんです。彼の自由ですから。でも、ハシゴ作りの職人たちは一生懸命だし、彼らの生活も支えたい。ハシゴを求める人たちも真剣です。僕たちには、大量生産とは違うニッチマーケットがあることを確信しています。大事なのは、時代の流れに負けてむやみに変えないこと。父のモットーと同様、うちのハシゴには創業以来変わらないものがあります。それは、78度に決められた踏み板の角度。ハシゴを架けるのに最適な黄金の角度なのです。これだけは守っていきたいのです」
(了)

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Putnam Rolling Ladder Co, Ltd
作り付けの木製可動式ハシゴおよび木製スツールの製造・販売会社。顧客はニューヨーク市をはじめとした全米の富裕層。ジョージ・W・ブッシュ元大統領、オノ・ヨーコ、ブルック・シールズ、ダイアン・フォン・ファステンバーグと、セレブリティーの名前がきら星のごとく並ぶ。2016年の総売上は約300万ドル(約3.2億円)。
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取材・文/中村英雄 映像ディレクター。ニューヨーク在住26年。人物、歴史、科学、スポーツ、音楽、医療など多彩な分野のドキュメンタリー番組を手掛ける。主な制作番組に「すばらしい世界旅行」(NTV)、「住めば地球」(朝日放送)、「ニューヨーカーズ」(NHK)、「報道ステーション」(テレビ朝日)、「プラス10」(BSジャパン)などがある。