百年都市ニューヨーク 第20回 創業1907年 カタギリ&カンパニー(中)

米国式の経営術を身につけた2代目ジョー・カタギリはテニスが趣味のダンディーな紳士だった

米国式の経営術を身につけた2代目ジョー・カタギリはテニスが趣味のダンディーな紳士だった

都市型移民の町で創業

 カタギリ&カンパニーの母体であるカタギリブラザーズが創業したのは今から111年前の1907(明治40)年。日露戦争終結の2年後で、当時の米大統領は、同戦争後の講和条約締結を推進したセオドア・ルーズベルト。国際社会での日本の存在感が、急速に大きくなった時代だ。
 産業界では生糸の対米輸出が史上最高を記録し、1906年には米国内の生糸シェアの56.5%を日本産が占めた。一方、医学界では高峰譲吉や野口英世がニューヨークを舞台に驚くべき発見や研究を発表して世界中の度肝を抜く。成功者たちの手で日本クラブやジャパン・ソサエティーが創設され、ニューヨーカーの日本への興味は格段に上がった。
 「東海岸の日系人は教養を身につけ商才に長けた都市型のバックグラウンドを持った人が多かったのです。西海岸やハワイの日系人とはコミュニティーの作り方が違いました」と話すのはニューヨークの日系人社会史を専門に研究するコロンビア大学のダニエル・イノウエ准教授だ。1867年から1930年代が、東海岸の日系人史的には一番興味深いというが、まさにそのまっただ中に生まれたのが片桐智博、義雄兄弟によるカタギリブラザーズだった。

顧客は富裕層や外国人

 開店当時の様子は資料がほとんどないので正確には分からないが、宅配サービスも売り物にしていたようだ。1910年版のビジネスディレクトリー(情報は住所のみでまだ電話番号の記載はない)を見ると「k」の欄にKatagiri Chi Hero Impr (Importer=輸入業の略か?)244 E 59thとあり、その下にYoshioとBros.も同職種同住所で列記されている。ディレクトリーを活用していたと思われる顧客には、アッパーイーストサイドの富裕層や、ひっきりなしに入港する外国航路の関係者が多かったらしい。良質な日本の食料品、食器、衣類、書籍などを広範に取りそろえていたが、西洋の嗜好品も扱っていた。コーヒー豆を挽いて提供するという、最近のニューヨークでは当たり前のスタイルもいち早く取り入れていたらしい。
 順調に顧客を増やしていった同店は、37年にカタギリ&カンパニーと改称。ビジネスの操縦桿は、創業者智博の長男、ジョー・カタギリ(1912〜2004)に受け渡される。
 「彼こそがカタギリのビジネスを近代化した立役者です」と語るのはジョーの義理の息子でハワイ在住のアルビン・オナカ博士(72)。ジョーは最晩年をハワイの博士の家で過ごしたので、博士はジョーから山ほど昔話を聞かされている。「とても折り目正しく、勤勉で敬虔なクリスチャン。最後まで頭もしっかりしていて特に昔のことは鮮明に憶えておられました」

1910年版のビジネスディレクトリー。主要商店やその経営者の名前がアルファベット順に掲載されている

1910年版のビジネスディレクトリー。主要商店やその経営者の名前がアルファベット順に掲載されている

近代化の立役者長男ジョー・カタギリ

 ジョーが生まれたのは1912年。カタギリブラザーズ創業から5年目。タイタニック号沈没でニューヨーク中が騒然となった年だ。幼少期は米国で過ごしたが、親の勧めで中学高校は東京の青山学院に進学。その後、米国に戻り、マサチューセッツ州にある名門寄宿学校クッシングアカデミーに転入。ここで英語と米国式ライフスタイルを叩き込まれ、バーモント大学に進んだ。
 「本人は、医学の道に進みたかったようです。でもお父さんの智博さんの強い希望で経営学を専攻しました。家業を継がせたかったのでしょう。当時の日本人家庭は米国であっても父親の権威が大きくて、とても反論できるような雰囲気ではなかったようです」とオナカ博士は言う。自分の思い通りいにかずとも決して腐ったりひねくれたりする性格ではなかったジョー。気持ちを切り替えて米国式のビジネス術をしっかり身につけた。それが後々のカタギリの法人化や販路拡大につながったのは間違いない。
 「義父は、与えられた状況の中で最大の能力を発揮する人でした」。オナカ博士が語るジョーの思い出話は止まらない。続きは次回に。

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Katagiri & Co.
片桐智博、義雄兄弟が1907(明治40)年、Katagiri Brothersの屋号で創業。日本食品や日本製品の専門店として人気を博し、37年にはKatagiri & Co.に社名変更。戦前戦後を通じて片桐一族の家族経営でビジネスを拡大する。小売店業にとどまらず62年にセントラル貿易を設立。ニューヨークとロサンゼルスの両市に拠点を持ち、日本製品の米国輸入を手掛ける。2012年カメイ株式会社の100%子会社となり社名をKCセントラル貿易株式会社に変更。ニューヨーク市で最も歴史のある日本食品の卸、販売業者である。
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取材・文/中村英雄 映像ディレクター。ニューヨーク在住26年。人物、歴史、科学、スポーツ、音楽、医療など多彩な分野のドキュメンタリー番組を手掛ける。主な制作番組に「すばらしい世界旅行」(NTV)、「住めば地球」(朝日放送)、「ニューヨーカーズ」(NHK)、「報道ステーション」(テレビ朝日)、「プラス10」(BSジャパン)などがある。