百年都市ニューヨーク 第21回 創業1907年 カタギリ&カンパニー(下)

顧客は、米国人の富裕層および知識階級、日本人駐在員、日系人など。品ぞろえも3者が満足するように工夫がなされていた

顧客は、米国人の富裕層および知識階級、日本人駐在員、日系人など。品ぞろえも3者が満足するように工夫がなされていた

 1937(昭和12)年に会社を法人化したカタギリ&カンパニーを率いたのは、2代目社長のジョー・カタギリである。バーモント大学で経営学の学位を取得したジョーは、日本でも高等教育を受けており、今でいう完璧な「バイリンガル」だった。ジョーの義理の息子でハワイ在住のアルビン・オナカ博士は言う。
 「ジョーは身なりもスタイリッシュで、当時の2世、3世がみんなそうであったように「200%」(100%じゃないですよ!)米国人になろうとしていました。家庭での会話は英語だし、ライフスタイルも極めて欧米的でした。そしてビジネスに関しては、とてもスマートな人でした」

2つのたくあん?

 日米両国の文化に通じていたジョーは、米国人顧客(主に富裕層で知識階級)、日本から派遣された会社駐在員、そして日系人の嗜好の違いにも気を遣いながら商品の仕入れをしていたそうだ。「例えばたくあんです。ジョーは日本産と並べてハワイ産のたくあんも入れていました。というのもハワイをはじめ日系人の好きなたくあんは、少し甘みが強いのです。『どうして2種類もそろえるのですか』。あるとき、私は義父に聞きました。すると『米国には米国人が好む日本食、日本食材がある。それは必ずしも日本の本場の味と同じではない。アメリカナイズされた日本食品も同等に扱うのが私たちの身上だ。それによってマーケットが広がるのだから』と説明されました」
 1937年当時のニューヨークには既にカタギリのライバル食材店だけでなく、高級日本料理店も数軒あり、自家製豆腐を売る店すらあったそうだ。日本食=奇妙奇天烈な東洋の食べ物という差別意識は少なくともここでは希薄だった。
 そんな空気を追い風に順調にビジネスを拡大したカタギリだったが、世界情勢には暗雲が立ち込め、日米関係は急速に悪化。1941年、日本軍の真珠湾攻撃によって太平洋戦争が勃発した。翌42年には、フランクリン・D・ルーズベルト大統領の命により、全米に暮らす日系人12万人が財産、家屋、農地、ビジネスなどの一切を没収され、砂漠のど真ん中の収容所に強制移住させられた。そのため西海岸などで古くから続いていた日本食料品店は閉店を余儀なくされた。

ニューヨーク日系人会発行の「紐育便覧1948〜49年版」。片桐商会の広告が掲載されている

北米新報(当時)発行の「紐育便覧1948〜49年版」。片桐商会の広告が掲載されている(資料提供:ニューヨーク日系人会)

戦争が分けた運命の明暗

 カタギリはそうした人種差別を受けなかったのだろうか?
 「ジョーは当時のことをあまり語りたがらなかったですね。私自身、カタギリがどうして財産没収を免れたのか、その辺の詳細はよく分からないのですが、とにかくカタギリの経営と歴史は戦時中も続きました。日系商店を焼き討ちにしたり、日系人墓地を破壊したりするといったあからさまに非人道的なヘイトクライムはニューヨークでは少なかったようです」とオナカ博士は言う。戦時中の日系人差別も全米を見渡すと、決して一色ではなかったようだ。
 ちなみにニューヨーク日系人会が所蔵する「紐育便覧1948〜49年版」を紐解くと終戦直後に戦時中を振り返った興味深い記述があった。

「日米開戦と共に日系人の商店は自発的あるいは強制的に一両日ないし数週間閉鎖されたばかりでなくビジネスは戦争初期において一時極度の不振に陥った。(中略)しかし戦時中これらのビジネスは顧客を白人社会に求めて旧に倍する商売をした。また日本製商品を売っていたものはストックの減少とともに一時は弱ったが、結局他国製品及び米国製品に転換した」

 意外な歴史的事実だが、太平洋戦争の戦時好景気のおかげでニューヨークの日系人ビジネスは、差別されるどころか、かえって伸長していたのだ。戦場に兵士を送るせいで米国も男子の労働人口が不足し、そのために日系人労働者の雇用先や給料が増えたという記録もある。同じ日系人でもその運命は東と西では明と暗、大きく異なる。ただし、カタギリなどニューヨークの日系商店が困難な時代を生き抜けたのは、ひとえに、ジョーのように日米一方に偏らない柔軟かつしたたかなビジネスマインドがあったからに他ならない。便覧の記述はこう結んでいる。

「いずれにしろ、戦時中継続した商売は戦前の2倍ないし数倍の利益を上げたと伝えられている」
(6月1日号に続く)

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Katagiri & Co.
片桐智博、義雄兄弟が1907(明治40)年、Katagiri Brothersの屋号で創業。日本食品や日本製品の専門店として人気を博し、37年にはKatagiri & Co.に社名変更。戦前戦後を通じて片桐一族の家族経営でビジネスを拡大する。小売店業にとどまらず62年にセントラル貿易を設立。ニューヨークとロサンゼルスの両市に拠点を持ち、日本製品の米国輸入を手掛ける。2012年カメイ株式会社の100%子会社となり社名をKCセントラル貿易株式会社に変更。ニューヨーク市で最も歴史のある日本食品の卸、販売業者である。
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取材・文/中村英雄 映像ディレクター。ニューヨーク在住26年。人物、歴史、科学、スポーツ、音楽、医療など多彩な分野のドキュメンタリー番組を手掛ける。主な制作番組に「すばらしい世界旅行」(NTV)、「住めば地球」(朝日放送)、「ニューヨーカーズ」(NHK)、「報道ステーション」(テレビ朝日)、「プラス10」(BSジャパン)などがある。