連載169 山田順の「週刊:未来地図」 社会をする「人種差別」の罠(2、上) 私たちはなぜ知らず知らずに差別してしまうのか?

 今回は、「なぜ人種差別がなくならないのか?」を、違ったアプローチから考える。私たちはなぜ、知らず知らずのうちに他者と自分の違いを探し出し、それによって相手を区別(差別)してしまうのだろうか? 学者は、「人間の脳がそのようにできているから」と言う。脳はものごとを単純化して分類しないと、記憶できないというのだ。

理想は白人と同じ白い肌

 外国人からよく言われることに、「日本人はガイジンをリスペクトしすぎだ」がある。「なんでテレビCMやポスターがガイジンばかりなの? オカシイですよ。日本人はもっと自分たちに自信を持ったらどうですか?」とか、「マンガのヒロインの女の子は日本人なのになぜガイジン顔なの?」などと言われると、カチンとくるが、たしかにそのとおりだから仕方ない。この場合、ガイジン(外国人)といっても白人(西洋人)のことであるのは言うまでもない。
 「色が白く」「鼻が高く」「目が青く」「彫りが深く」「金髪で」「スタイルがいい」…これが、日本人が理想とするガイジン(いや人間)像だ。私たちは、小さいころから、これを刷り込まれているので、自然と「白人信仰」をしてしまう。
 とくに女性にとっては、肌が白いことは最大の憧れだ。その証拠に、「美白洗顔水」「美白クリーム」など、多くの化粧品のラベルに「美白」の文字がおどっている。
 「自分の顔を整形したいと思うか?」とのアンケート調査がある。それによると、日本人はアメリカ人の約3倍、ドイツ人やフランス人の約10倍もの比率で、整形願望を持つという。もちろん、整形願望においてはダントツに韓国が上で、女性の8割が顔を整形しているという。
 いずれにせよ、白人以外の人々(いわゆる有色人種)は、みな白人信仰を持っていると言っていいだろう。

有色人種の「白人コンプレックス」

 白人信仰は、「白人コンプレックス」(白人に対する劣等意識)の裏返しである。
 最近は、日本人の白人コンプレックスを痛感することが多い。たとえば、外国人に道を尋ねられたとき、相手が白人かアジア人では反応が異なる。白人の場合、たいていは英語だから、日本人は動揺する。そうして、なにを言っているのかわからないと、「ダメダメ」「わからなーい」などと言って、すまなそうな顔をする。
 しかし、これがアジア人、とくに最近急増している中国人観光客だと、態度ががらりと変わり、相手がたとえ英語で話しかけてきても、「わからない。日本語で話してくれないかな」となる。少しも、すまなそうな態度にならず、むしろ迷惑顔になるのだ。
 そうはいっても、中国人もまた白人コンプレックスのかたまりである。北京政府の要人たちは面子があるからアメリカ人と対等に渡り合うが、一般社会では、中国人は白人に対して日本人と同じような卑屈な態度を取る。中国の街角で、私は何度も日本と同じ光景を見たことがある。
 じつは、白人コンプレックスは、有色人種の間では大昔からあるという。古代のメソポタミアでは、王のために捧げる女奴隷は、有色人種女性より白人女性が優先されたそうだ。
 ところが、このような白人コンプレックスを、まったく感じさせないツワモノがいる。それは、「大阪のオバハン」だ。海外の観光地で、見かけたことがある人も多いと思うが、大阪のオバハンの堂々たる態度は敬服に値する。
 大阪のオバハンは、世界どこだろうと気後れせず、相手が誰だろうと、単語を並べただけの下手な英語、あるいは日本語オンリーで話しかける。その結果、不思議にも相手はなにを言っているのかを理解し、注文通りのモノが出てきたり、サービスが受けられたりする。いったい、なぜ、大阪のオバハンはこんなことができるのだろうか?

大阪のオバハンの「人間みな同じ」思想

 あるとき私は、海外の観光地で大阪のオバハン軍団と遭遇し、話をしてみてわかったことがある。それは、彼女たちには、人種を差別(区別)するような意識がまったくないということだ。
 私が「すごいですね。日本語だけ並べているのに、向こうは全部わかってくれるんだから」と言うと、「当たり前やわよ。あんたね、みな同じ人間やおまへんか。目は2つ、鼻は1つ、口も1つ。そう思うたら、言葉なんて何語でもええんよ。伝えたいことがあれば、言葉なんて関係おまへんわ」という答えが返ってきた。
 たしかに、そのとおりである。大阪のオバハンは、言葉でわからないと、今度は身振り手振りを総動員する。もう、恥ずかしいなんて意識はひとかけらもない。これを見ていると、コミュニケーション学などという学問があるのがバカバカしく思えてくる。
 大阪のオバハンを見てわかったのは、自分も相手も同じ人間だと思っていることだ。自分はイエロー、相手は白人などと思っていない。だから、コンプレックなどない。コンプレックスにしても差別にしても、相手と自分を比べて、その違いを意識するところから始まる。相手が自分と同じだと考えれば、差別も区別もしようがないのだ。
 つまり差別は、区別して分類することから始まる。金髪、白い肌、青い目などを、自分とはぜんぜん違うと意識するからいけない。こうして、相手を自分と区別して白人という1つのカテゴリーに分類しまとめてしまうことで、「ステレオタイプ思考」というドツボにはまっていく。
 分類をこと細くやれば、白人、黄色人種、黒人という単純分類から始まり、白人ならドイツ系、スコットランド系、アイルランド系、イタリア系など、アジア人なら中国系、韓国系、ベトナム系、マレー系などと、どんどん細分化され、結局、頭のなかで、人類はバラバラに分断されてしまうのである。         
(つづく)

【山田順】
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。
2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。
主な著書に「TBSザ・検証」(1996)「出版大崩壊」(2011)「資産フライト」(2011)「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)など。翻訳書に「ロシアンゴッドファーザー」(1991)。近著に、「円安亡国」(2015 文春新書)。

この続きは10月29日発行の本紙(アプリとウェブサイト)に掲載します。 ※本コラムは山田順の同名メールマガジンから本人の了承を得て転載しています。