連載188  山田順の「週刊:未来地図」 2019年の世界はどうなる?(2の下) 米中戦争の主戦場は「関税」から「半導体&5G」、 そして最終的に「金融&通貨」へ!

クアルコムがハイシリコンを養成した

 ファーウェイのスマホが世界第2位にまで躍進したのは、安価なうえにハイスペックな点にある。これを実現させているのが、ハイシリコン製の半導体で、この半導体はいまや世界トップクラスだと、半導体の専門家は言う。
 現在、スマホ向けの半導体は、1つのチップ上に必要な機能の多く、もしくはすべての機能を実装しており、これはSoC(エスオーシー:System on a Chip)と呼ばれている。
 このSoCのメーカーは、クアルコム、サムスン、ハイシリコン、メディアテック(MediaTek)、アップルなどがあるが、クアルコムのものが世界的によく使われ、高性能とされている。
 このクアルコムの高性能にほぼ匹敵するのがハイシリコンで、クアルコムのスマホの定番である「Snapdragon」(スナップドラゴン)ブランドに、ハイシリコンのブランド「Kirin」(麒麟)は十分に対抗できるという。
 しかし、ハイシリコンの高度な技術は、もともとはクアルコムが育てたとされている。クアルコムは1990年代後半から北京郵電大学を通して、巨額の研究投資を行い、人材養成をしてきたからだ。ハイシリコンを率いる何庭波(He Tingbo)総裁は女性で、北京郵電大学の卒業生である。
 スマホ以前の時代、携帯電話メーカー最大手だったモトローラも中国には巨額投資をしていた。
 それを考えると、アメリカという国も日本と同じく相当な「お人好し」といえるだろう。その結果、自分で蒔いたタネを自分で刈り取らなければならなくなるのだ。
 そして、ここで思い出されるのが、1980年代に起こった「日米半導体戦争」である。このとき、アメリカは日本の半導体が不当にダンピングしているとしてWTOに提訴した。そして、日本の半導体の米国市場への進出は、アメリカのハイテク、防衛産業の基礎を脅かすという安全保障上の脅威としたのである。
 1986年、日本の半導体は確かに技術面でアメリカを超えていた。だから、世界シェアでトップに立った。しかし、その翌年、「日米半導体協定」が結ばれ、それを機に日本の半導体産業は凋落した。そうして、1993年、アメリカは世界シェアトップを取り戻したのだった。

中国が5Gの覇権を握るとどうなるか?

 ここまで半導体のことばかり述べてきたが、ファーウェイ潰しのメインターゲットは、次世代通信技術「5G」である。5Gの核心技術と基地局設置などのインフラにファーウェイ製品を使わせないことである。
 アメリカはすでに、5GインフラからのファーウェイとZTEの排除を決めている。それにともない、アメリカの通信大手は2020年8月までに、ほかのメーカーの製品にリプレイスしなければならなくなった。日本でも、今回、国内通信大手3社、NTTドコモ、KDDI、ソフトバンクが、アメリカ同様の措置を取ることを決めた。
 それでは、なぜ5Gがそれほど大事なのか、改めてまとめてみたい。5Gがこれまでの4Gとどう違うのかといえば、次の3点である。
 (1)超高速・超大容量(2)大量同時接続(3)超低遅延
 これが実現すると、デジタルエコノミーの発展は一気に進む。5Gは、すべてのモノがインターネットに接続するIoT社会には不可欠なインフラだからだ。
 たとえば、自動運転車は5Gによってより正確さが増し、実用化も早くなる。また、工場のロボットによる自動化もますます進み、AIもどんどん進化する。VR(仮想現実)、AR(拡張現実)、MR(現実と仮想現実の融合)も5Gによってより現実化する。
 つまり、5Gによって、この世界にあるすべてのモノがネットに接続されるようになり、そのインフラを中国企業が握り、ネットで使われる通信端末の多くが中国製品だったどうなるかと考えてみるといい。さらに、もし中国が5Gのインフラを世界に先駆けて整備してしまったら、どうなるかと考えてみるといい。
 そうなれば、あなたの個人情報はすべて北京政府に握られ、中国の工場は人手がかからないうえに生産性が高いIoTによる最先端ハイテク工場に生まれ変わる。日本人のプライバシーはなくなり、日本のものづくり産業は中国に大きな遅れを取ることになるだろう。日本ばかりではない。中国の5Gを使えば、アメリカをはじめすべての国がこうなるのだ。
 すでにアメリカでは、ベライゾンとAT&Tの2社が主要都市での5Gネットを構築し、商業サービスを開始している。ここからファーウェイとZTEが排除される。
 しかし、日本は世界一とされる光ファイバー網がアダとなり、5Gの本格的商用サービスは2020年の東京オリンピックに合わせて行われる予定になっている。
(つづく)

【山田順】
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。