百年都市ニューヨーク 第43回 1807年創業 ドミノシュガー

 2018年にブルックリンのウィリアムズバーグに開園したドミノパーク(広さ2.4ヘクタール)は、荷揚げクレーンやレンガ建ての工場など19世紀の産業遺産を活用した公園だ。アート感覚あふれるデザインは、マンハッタンのハイラインを設計したチームの手によるもの。最新のニューヨーク名所として注目の的だが、そもそもはどんな企業の工場だったのだろうか? ちょっと調べてみただけでなかなか興味深い歴史が見えてくる。

写真左奥の建物が火災の後、1883年に竣工した製糖工場。当時としては最新式かつ世界最大の規模だった。ドミノパークにはブルックリンが砂糖で世界を支配していた栄光の時代をしのぶ遺構が保存されている

ドイツ移民ハブマイヤー兄弟が創業

 今、ドミノパークがある場所ではその名の通り、2004年までドミノシュガーの製糖工場が操業していた。ドミノシュガーは、米東海岸のスーパーマーケットや食料品店で一番よく見かける砂糖。現在は世界的な精製糖企業グループASRの傘下ブランドで、年間220万トンの砂糖を生産している。
 ドミノの祖は、18世紀末にドイツから移民として渡って来たウィリアムとフレデリックのハブマイヤー兄弟。当時の甘味といえばハチミツで、砂糖はまだ高価な嗜好品だったが、ニューヨークはすでに東海岸の製糖業の拠点で、数社がしのぎを削っていた。ドイツ人特有の勤勉さと合理主義を身につけた2人は、1807年にマンハッタンのヴァンダムストリートに最初の砂糖会社を起業。後発なるも、低温で結晶化ができる真空沸騰装置や、炭化した家畜の骨を利用したろ過システムなどの「最新技術」を駆使して、みるみる頭角を表す。
 増産が進むにつれ工場が手狭になると、2人はさっさとマンハッタンに見切りをつけ、未開拓のブルックリンに製造拠点を移す。それが、ウィリアムズバーグの南、現在公園のある川岸の一角だ。1827年にイーストリバーを渡る蒸気船の定期航路も開通。河川運輸の発達もあって、ウォーターフロントのロケーションは原料や資材の搬出搬入にうってつけだった。産業革命による時代の変化を敏感に察知したところに先見の明があった。

全米で唯一グラニュー糖を生産

 1928年、ハブマイヤー兄弟がそれぞれの息子たちにビジネスを移譲すると、コロンビア大学で最新の科学を学んだ第2世代は、蒸気機関によるオートメーションを製造工程に導入する。おかげで大量生産とそれによる価格安定に成功。1日当たりの生産量は3000ポンド(約1360キロ)から1万2000ポンド(約5440キロ)に急増し、砂糖市場はニューヨーク周辺だけでなく東海岸一帯に広がった。一般家庭でも手軽に砂糖が買える時代の到来だ。
 ハブマイヤーの会社を中心に、競合中小や製糖関連の下請け業者が文字どおり「砂糖に群がるアリ」のごとく集まりウィリアムズバーグは一大砂糖城下町に発展していく。もっとも、急成長につきものの歪みもあちこちで出現した。工場では3000人の工員が昼夜休みなく蒸し風呂のような劣悪な環境で、ふんどし1本の惨めな格好で労働を強いられていた。ガスや化学薬品による中毒事故が頻発し、近所の病院では、製糖工員用の緊急受け入れ態勢ができていたというから、純白な砂糖のイメージとはうらはらのブラックな世界である。
 構内の保安もずさんで、とうとう1882年1月8日には大爆発を伴う大火が発生、建屋を全焼した。被害総額は当時の金額で150万ドル。その内訳は建物25万ドル、機械75万ドル、原料50万ドルだった。
 しかし、上り調子のハブマイヤー家は、すかさず家族会議を開き、あらん限りの財力を投入、700万ドルの再建資金をかき集める。そして、わずか18か月で最新防火型の10階建てのレンガ工場を建てた。108器の鋳物製ろ過装置や24台の遠心分離機を装備し、工場は当時の世界一かつ世界最先端のものだった。1日当たりの生産量は300万ポンド(約1360トン)超。この工場は全米で唯一、グラニュー糖を製造した他、「角砂糖」や「黒砂糖」といった新製品もここから生まれた。

現在も全米の砂糖市場で最大のシェアを誇るドミノシュガー。ニューヨーク市発祥の企業だという事実は、意外に知られていない

米西戦争の黒幕

 ハブマイヤー家が砂糖で築いた産業は、石油王ロックフェラー(同じブルックリンに製油所を持っている)に習って構築したトラストで、全米砂糖市場の3分の1を席巻するほど巨大化した。キューバやカリブ海諸島の利権を巡り米国とスペインの間で1898年に勃発した米西戦争の黒幕もハブマイヤー家というのが定説だ。1891年に反トラスト法適用で独占に歯止めがかかり、社名をアメリカ製糖会社とするが、1900年に採用した新社名が現在の「ドミノ」。いかにも世界制覇の野望を孕んだ名前ではないか。
 大火の灰塵から不死鳥のように蘇った工場は今、ドミノパークのセンターピースとして君臨する。近い将来、商業施設とアパートへの改装も完了して賃貸されるそうだ。懐豊かな新住民たちには、ウィリアムズバーグの「甘い過去」を知る由もないだろう。公園の端に立ってふと川面を見やれば、200年を超える時が確かに流れている。
(了)

————————————————————————————————————————————
取材・文/中村英雄 映像ディレクター。ニューヨーク在住28年。人物、歴史、科学、スポーツ、音楽、医療など多彩な分野のドキュメンタリー番組を手掛ける。主な制作番組に「すばらしい世界旅行」(NTV)、「住めば地球」(朝日放送)、「ニューヨーカーズ」(NHK)、「報道ステーション」(テレビ朝日)、「プラス10」(BSジャパン)などがある。