百年都市ニューヨーク 第46回 1913年発売 ユーバンコーヒー

 ユーバンと聞いてピンときたら昭和育ちだ。「♪ゆう〜ばん」と最後に決めるあのテレビCFのフレーズが耳の奥に残っている人も多いだろう。
 日本ではゼネラルフーズ社(現・味の素AGF)が1968年にインスタントコーヒーの形で発売。一足早く国内生産が始まり爆発的人気を誇った「ネスカフェ」のライバルだ。煎りが深めでコクのある味わいが特徴だった。Yで始まるネーミングとラベルを飾るショートカットの白人女性、そして薄手の磁器カップに注がれた濃厚なコーヒーから立ちのぼる上品な湯気…これらのイメージのせいで、当時の少年はてっきりドイツか北欧産だと思っていたが、ユーバンはメイドインUSA。しかもブルックリン生まれである。

近代コーヒーの生みの親

 誕生は、今から106年前の1913年。製造元は、アーバックルズ兄弟社。ペンシルベニア州ピッツバーグ出身の兄弟、チャールズとジョンは小さな八百屋からビジネスを立ち上げるが、目をつけたのがコーヒー。それまでは生豆で販売され、ずさんな焙煎ゆえに品質が不安定だったコーヒーを、専用ロースターで焙煎し、豆種やグレード別に1パウンド入り紙袋で定量販売する。製造・販売工程の徹底的な合理化だ。1871年にブルックリンに進出し量産体制を築くと、南北戦争後の工業化の波に乗って瞬く間に全米一のコーヒー企業に成長した。
 発明とビジネスの才に恵まれていたのが弟のジョンだ。例えば、袋詰め作業も自社開発の機械で自動化して効率を10倍アップ。コーヒー豆の鮮度を保ち、風味を良くするために焙煎時に卵と砂糖水でコーヒー豆をコーティングする技術も開発した。「アリオサ」と名付けたこの新型コーヒーはたちまち全米に浸透。とりわけ西部開拓のカウボーイたちの間で人気を呼び、リーバイスのジーンズやコルトの回転式拳銃と同様、荒くれ野郎たちの「必須アイテム」になった。

今も残るアーバックルズ旧社屋ビルの1階には、サードウェーブコーヒーのブルックリン・ロースティング・カンパニーの本店が入っている。時代を超えて繋がるジョンのコーヒースピリット

「コーヒーvs.砂糖」戦争

 1890年に兄のチャールズが他界するが、ジョンとアーバックルズ社の勢いには、いささかの翳りもない。それどころかコーヒーで全米制覇を達成したジョンは、次なる照準を「砂糖」に合わせる。当時、製糖業といえば有名なハブマイヤー家(現・ドミノシュガーの祖。本コラム第43回を参照)の独壇場。アーバックルズももとは彼らの会社から砂糖を買う大口クライアントの1つだったが、仕入先が一向に値引きに応じないため、両社は敵対関係に。
 1897年、ジョンはブルックリンの本社敷地内に日産3000バレルの本格的製糖設備を作り、得意の小口袋詰めノウハウを応用して砂糖の製造販売に乗り出す。コーヒーで開拓した販路をもって勝ち目はあると踏んだ。独占市場を荒らされたハブマイヤーは、返す刀で、オハイオ州の焙煎工場を買収しコーヒー市場に参入。新商品「ライオンコーヒー」でアリオサに対抗した。  
 砂糖対コーヒー戦争は、やがて両品目共に熾烈な価格競争を招き、両社の収益はガタ落ちに。周辺企業の業績悪化まで招いたため、最終的にはハブマイヤー側がコーヒー業から撤退して、「終戦」を迎えた。

19世紀末から20世紀初頭にかけて米国のコーヒー業界を席巻したアーバックルズのコーヒー王国は、ブルックリンのウォーターフロントにあった
(photo: Foundation for Economic Education)

創業者の思いがこもるユーバン

 ビジネスの局面では一歩も譲らないジョン・アーバックルではあったが、私生活はいたって地味で社交界の付き合いも少なかった。金儲けは二の次で利益は従業員の休暇や社員旅行などの福利厚生に回した。また、ニューヨーク市の貧困層のために「船上ホテル」を造り川に浮かべたこともある。ジョンは1912年、突然体調を崩しブルックリンの自宅で息をひきとった。死因はマラリアともいわれている。
 甥っ子が社長職を引き継いだアーバックルズ社は、その翌年「ユルタイドバンケット」と称する新ブランドのコーヒーを発売する。ジョンは生前、年末になると自らブレンドした極上のコーヒーを親しい友人に配っていた。通称「Yuletide Banquet(クリスマスの宴)」。知る人ぞ知る恒例の非売品コーヒーを亡きジョンを偲んで、アリオサの上位ブランドとして商品化したわけだ。そのとき、呼びやすいようにと名前の2単語の頭2文字をとって略称にしたのが、他ならぬ「Yuban」。ジョン・アーバックルの人生と人柄が詰まった「遺産」のようなブランドである。案の定、超ヒットしてアリオサと肩を並べるほどの主力商品となり、今なお愛され続けている。一体どんな味なのか?
 スーパーで1缶購入して丁寧にドリップで淹れてみた。なるほど、優しい口当たりの奥にしっかりした苦味が同居する。アーバックルズの歴史を知った上で味わうと、決してヨーロピアンではないし、流行のサードウェーブの「とんがり」もない。慎ましい包容力にあふれているのだ。試みに、BGMに当時のCF音楽(作曲:すぎやまこういち、歌:伊東ゆかり)をフルで流してみると、あら不思議。60年代サウンドがこのテイストにぴったりだ。♪ゆうううう〜ばん
(了)

日本市場は撤退したが、米国ではクラフト社の
傘下ブランドとして今も健在のユーバン。マシーン
用の挽き豆が340g缶6ドルとお手頃だ

取材・文/中村英雄 映像ディレクター。ニューヨーク在住28年。人物、歴史、科学、スポーツ、音楽、医療など多彩な分野のドキュメンタリー番組を手掛ける。主な制作番組に「すばらしい世界旅行」(NTV)、「住めば地球」(朝日放送)、「ニューヨーカーズ」(NHK)、「報道ステーション」(テレビ朝日)、「プラス10」(BSジャパン)などがある。