連載389 山田順の「週刊:未来地図」血迷った中国、愚かすぎる習近平: 世界を敵に回す「戦狼外交」の行く末は?(下2)

中国の歴史が教える「知略」による外交

 はっきり言って、習近平は賢くない。彼には知恵がない。だから、中国の指導者が伝統的に持つ「知略」がまったく感じられない。習近平は、自国の「4000年の歴史」から、なにも学んでいないのではないだろうか?
 歴史を振り返れば、中国は「知略」の国である。昔から中国では国家が興亡を繰り返し、その興亡を決したのが、巧みな戦略や外交だった。
 たとえば、「遠交近攻」「合従連衡」「天下二分」「天下三分の計」などの故事成語があるが、これらはみな国家の興亡のなかで生まれた知恵で、時代を超えて通用する。
「遠交近攻」とは、遠方の国々と親交を結ぶ一方、近隣の国を攻めるという戦略だ。戦国末、秦の昭王に魏の范雎が提案したもので、秦にとって斉のような遠い国とは友好関係を結び,魏など近隣の国からまず攻める。そうして、漸次、遠い国を征服して天下を平定せよと、范雎は説いた。
 また「合従連衡」とは、「戦国七雄」が並立するなかで、強国・秦以外の6カ国が南北に縦に並んで「合従」して対抗する戦略である。これに対し、秦が取ったのが「連衡」で、秦は他の6カ国のいくつかと個別に横に連盟していくことで対抗した。
 どちらも、外交の要点を述べていることに変わりなく、多くの国々が並立するなかでは、多数の国々と同時に敵対するようなことは極力避けろと言っている。また、敵となる国があるなら、1国だけで立ち向かうなとしている。
 習近平の外交は、こうした教えをまったく無視している。

「天下二分」と「天下三分の計」の教訓

「天下二分」と「天下三分の計」になると、覇権獲得のためにどうすべきかが示唆されている。
「天下二分」は、秦が滅んだ後に楚の項羽と蜀(漢)の劉邦が争うなかで、劉邦が項羽に持ちかけた「二国で天下を二分しよう」という戦略提案だ。オバマ政権時代に提唱された「G2論」(米中で世界を仕切る)を彷彿させる。
 ただし、この「天下二分」は、結果的にそうはならなかった。劉邦は、部下の張良と陳平が「楚軍が自国に引き上げてしまったら、もうわが軍に勝ち目はない」という意見を聞き入れ、楚軍が引き上げるところを追撃し、「垓下の戦い」(BC202年)で楚軍を打ち破ったのである。こうして、統一国家、漢王朝が成立した。
 また、「天下三分の計」は、漢が滅んで魏・蜀・呉の「三国時代」になったとき、最強国の魏の曹操への対抗策として、軍師・諸葛亮が蜀の劉備に説いた戦略である。
 諸葛亮は、劉備が荊州と益州を領有するにとどめ、曹操と争わず、さらに呉の孫権を入れて、三国で中国を三分割することを提案した。ただし、諸葛亮の戦略は「均衡を保つ」ことが目的ではなく、あくまでも最終目的は「天下統一」だった。
 つまり、天下を三分することは、統一のための手段にすぎず、そのための戦略だった。
「中国の夢」で、米中逆転を狙い、中国を世界の覇権国家にしようとしている習近平に、こうした知略があるとはとても思えない。
 ちなみに、「天下二分」の罠にはまった項羽は、劉邦の漢軍に垓下に追い詰められ、愛姫・虞美人に別れを告げる。このとき、生まれた故事成語が、「四面楚歌」である。以来、周囲が敵ばかりで完全に孤立した状況を「四面楚歌」と言うようになった。
 習近平がこのまま突き進むと、中国が「四面楚歌」になるのは確実ではなかろうか。
(つづく)

【山田順】
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。主な著書に「TBSザ・検証」(1996)、「出版大崩壊」(2011)、「資産フライト」(2011)、「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)、「円安亡国」(2015)など。近著に「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。
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