アートのパワー 第25回 先住民女性の活躍(上)

 

ケイ・ウォーキングスティック(Kay WalkingStick、チェロキー/スコットランド・アイルランド系ハーフ、1935年生まれ)

セントラルパーク西77丁目の角にあるNew York Historical Society Museum & Library(ニューヨーク歴史協会)は、1804年に創立されたニューヨーク市で最初の博物館である。ニューヨーク市とアメリカの歴史に関連する膨大な数の美術品、画具、道具、本、地図、文書が保管されている。著名な展示物には、ステンドグラスが光輝く100以上のティファニーランプ、博物学者で画家のオーデュボンの見事な水彩画「アメリカの鳥類(The Birds of America)」、そしてハドソン・リバー派(The Hudson River School)の創始者トーマス・コールの5枚の連作「帝国の推移(The Course of Empire)」等がある。  

現在展示中の『ケイ・ウォーキングスティック/ハドソン・リバー派』(4月14日まで)は、チェロキー族のハーフである現代作家ウォーキングスティックの風景画と博物館が所蔵する19世紀ハドソン・リバー派の作品を並べて展示し、制作意図・姿勢等を対話させることで、アメリカの歴史を鑑賞するという新鮮な解釈を試みている。  

ウォーキングスティックの父親(チェロキー・インディアン)はオクラホマ州の出身である。1830年連邦議会で制定された「インデアン強制移住法(Indian Removal Act)」により、ミシシッピ川東岸の先住民インディアンは、ミシシッピ川以西に強制的に移住させられた。1830~50年に6~10万人のインディアンたちが徒歩で5千マイルもの移動を強いられた。「涙の旅路(Trail of Tears)」と呼ばれたこの道程で、女・子供を含めて15,000人が死亡。大量虐殺である。その行き先が「インディアン準州(Indian Territory)」、現在のオクラホマ州東部地域だった。そこで1867年に石油が発見され、一夜で大金持ちになった先住民が生まれた。

 

アッシャー・デュランド(Asher Durand)『East Branch of the Ausable River』 (1837-78) この絵が描かれた当時、アディロンダック地域(Adirondacks)はヨーロッパ系アメリカ人の観光地と化していた。手付かずの野生のままの自然 として描かれ、先住民の存在を無視している。
ケイ・ウォーキングスティック 『 Durand’s Homage to the Mohawks』 (2021)
デュランド の作品をもとに、ウォーキングスティックは抽象的解釈を加え、右下にモホーク族 のパターンベクターで自然と共生してきた先住民の存在を表している。

チェロキー語が喋れて読み書きができた父親は、オイル・マネーでニューハンプシャー州のアイヴィーリーグ(アメリカ創立前からあった大学)・ダートマス大学に進学、地質学を学んだ。卒業後オクラホマ州に戻り、油田で働き、スコットランド・アイルランド系の女性と結婚した。しかし、母親は、その後アルコール中毒になってしまった父親と別れ、4人目の子供(ケイ・ウォーキングスティック)を妊娠中にニューヨーク州シラキュースに引っ越した。母親は、子供達が父親の文化に誇りを持つように育てた。ニューヨーク近代美術館(MoMA)発行の雑誌の中で、ウォーキングスティックは「私が育った1930~40年代に、自分がチェロキー族であることに誇りを持つという考え方は、かなり珍しかった」と語っている。  

ウォーキングスティックは1959年、24歳の時にフィラデルフィア郊外のビーバーカレッジ(現アルカディア大学)で学位を取得、1970・71年には将来を嘱望される芸術家が制作に専念することができるニューハンプシャー州マクダウェル・コロニーのレジデンスに招かれた。この他、ニューヨーク州サラトガ・スプリングスのヤドー・コロニー(Yaddo Colony)でも同様の滞在制作機会が与えられた。75年には助成金を得てブルックリンにある名門美術大学プラット・インスティチュートで絵画の修士号(MFA)を取得。45歳の時である。大学院ではアメリカ先住民の美術史を学び、自分の表現に取り組むため試行錯誤した。1985年頃には抽象的な風景画で国内外で認められるようになったが、当時のニューヨーク美術界は女性作家を特に取り上げることもなかったし、エスニックな作品を制作すること自体が邪道と敬遠されていた。ウォーキングスティックはチェロキー族の混血であるが、一見先住民には見えない。絵を売りたければ自分の民族性を表に出してはいけないと言われ、反発し、彼女は自分が先住民であることを強く意識するようになった。

この続きは3月6日(水)発行の本紙(メルマガ・アプリ・ウェブサイト)に掲載します。

アートのパワーの全連載はこちらでお読みいただけます

文/ 中里 スミ(なかざと・すみ)

アクセアサリー・アーティト。アメリカ生活50年、マンハッタン在住歴37年。東京生まれ、ウェストチェスター育ち。カーネギ・メロン大学美術部入学、英文学部卒業、ピッツバーグ大学大学院東洋学部。 業界を問わず同時通訳と翻訳。現代美術に強い関心をもつ。2012年ビーズ・アクセサリー・スタジオ、TOPPI(突飛)NYCを創立。人類とビーズの歴史は絵画よりも遥かに長い。素材、技術、文化、貿易等によって変化して来たビーズの表現の可能性に注目。ビーズ・アクセサリーの作品を独自の文法と語彙をもつ視覚的言語と思い制作している。

タグ :