軍機密で埋めた? 発掘の「飛燕」エンジン

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共同通信
滋賀県平和祈念館で展示されている「飛燕」のエンジン=2023年12月、滋賀県東近江市

 滋賀県東近江市で2023年2月、住宅開発中に、地中から旧日本軍の戦闘機「飛燕」のエンジンが見つかった。現在は東近江市の滋賀県平和祈念館で展示されている。地元の在郷軍人が生前「軍の機密で飛行機のエンジンを隠してくれと依頼された」と言い残していた。地域の歴史を物語る史料だ。(共同通信=岡田篤弘)

 川崎重工業によると、飛燕は1941~1945年に約3千機が製造された。ドイツの水冷エンジンを国内ライセンス生産して搭載。1943年に旧日本陸軍が採用し、従来機より高い高速性能を発揮し活躍した。

 見つかったエンジンは全長約1.5メートル、幅約1メートル、高さ約75センチ、重さ約700キロ。部品に付けられたタグから、1943年に製造され、東近江市にあった陸軍の八日市飛行場に配備された機体の一部とみられる。

 東近江市に住む諏訪一男さん(81)の父、故栄太郎さんは、このエンジンを運んだ可能性のある人物だ。陸軍第16師団(京都市)に所属していた栄太郎さんは、退役後に在郷軍人として八日市飛行場に出入りし、軍人と付き合っていたという。生前、一男さんに以下のような話をしていた。

 「太平洋戦争の戦況が悪化した1944年ごろ、飛行場の関係者からエンジン隠匿を依頼された。仲間と一緒に大八車で運び、穴を掘って、エンジンに油紙を巻いて埋めた」

 頼まれた理由は、亡くなるまで話してくれなかった。そのエンジンとみられるものが昨年になって偶然掘り出された。一男さんは「何かの奇跡。おやっさん、出てきたでと報告した」と満面の笑みで振り返る。エンジンは、2023年9月から祈念館に展示されることになった。

 展示に尽力したのは「東近江戦争遺跡の会」。山本享志会長(55)は「エンジンは八日市飛行場の生き証人。地元に残すことで、昔飛行場があったことを考えるきっかけになる」と話す。地域の貴重な財産として、人々の目に触れて平和を考えるきっかけになればと願っている。

 滋賀県平和祈念館は月、火曜休館、入館無料。

 ▽ 飛燕(ひえん) 川崎航空機工業(現川崎重工業)が開発し、実戦ではラバウルやニューギニアなどの太平洋戦線で使われた。主に明石工場(兵庫県明石市)で生産されたエンジンは現在、滋賀県平和祈念館の他、岐阜かかみがはら航空宇宙博物館(岐阜県各務原市)、所沢航空発祥記念館(埼玉県所沢市)、いきいきランド交野(大阪府交野市)で展示している。

父・栄太郎さんの思い出を語る諏訪一男さん=2023年12月、滋賀県東近江市
滋賀県平和祈念館で展示されている「飛燕」のエンジンを説明する担当者=2023年12月
「飛燕」について語る「東近江戦争遺跡の会」の山本享志会長=2023年12月、滋賀県東近江市