マイケルC.ロックフェラーの失踪
マイケルC.ロックフェラー(1938–1961)はネルソンの末子で、駆け出しの人類学者・民族学者だった。子どもの頃から父に連れられて週末に美術商を訪れ、優れた芸術作品に囲まれて育った。ハーバード大学で歴史と経済を専攻し、60年に卒業後6か月間、アメリカ陸軍予備役に従事した。家族からは金融業界に進むよう勧められていたが、彼自身は建築を学びたいと望んでいた。そんな中、ハーバード大学ピーボディ博物館の映像研究センターが実施する、オランダ領ニューギニア(現パプア州)バリエム渓谷に住むダニ族の調査遠征に参加する機会を得た(ニューギニアはかつてオランダ、ドイツ、イギリスによって分割されていた世界最大の熱帯島で、グリーンランドに次ぐ大きさ)。マイケルは音響技術者兼カメラマンとして雇われた。この地域は「西洋文化の影響を受けていない」「まるで石器時代に戻ったかのよう」と形容されていた。マイケルは特に、精巧な木彫りや祖先の魂を表すビス・ポール(bisj poles)や仮面で知られるアスマット族に強く惹かれた。

撮影を終えてニューヨークに戻ったマイケルは、両親が30年にわたる婚姻関係を解消する決断をしたこと(そのうち20年間は世間体のための仮面だった)を聞かされ、5人の子どもたちは衝撃を受けた。マイケルはすぐにニューギニアへ戻り、父の美術館のためにアスマット族の美術品を収集しようと決意した。彼はビス・ポール、盾、太鼓、その他の木工芸品をタバコや斧、釣り糸や釣り針などと物々交換した。その数は200点を超えた。
1961年11月17日、マイケルはオランダ人の人類学者ルネ・ワッシング、現地ガイド2人とともに、全長12メートルの双胴船で移動中に船が浸水し転覆した。ガイドたちは、ボートが転覆した後、助けを求めて岸まで泳いでいった。その24時間後、マイケルは「岸まで泳げると思う」と言い残して助けを求めて単独で泳ぎ始めた。岸まではおよそ16キロあったという。泳げなかったワッシングは翌日救出された。
複数の国の政府と何千人もの人々による広範な捜索にもかかわらず、マイケルの遺体は発見されなかった。64年、ウェストチェスター郡の裁判官がマイケルの溺死を公式に認定した。その死を巡っては、サメやワニに襲われた、捕らえられて殺された、あるいは首狩りや人食いの風習が残る部族に報復として食べられたなど、様々な憶測が飛び交っている。2014年には2冊の本が出版された。マイケルの双子の妹メアリー・ロックフェラー・モーガンは、自身の体験を綴った『When Grief Calls Forth the Healing: A Memoir of Losing a Twin(悲しみが癒しを呼ぶとき – 双子を失った記憶)』の中で、高潮の強い潮流と激しい逆流などから彼が岸にたどり着く前に溺れたという説を支持している。彼女は双子の片割れを失った悲しみと向き合う心理療法士として同本を執筆した。一方、リチャード・ノース・スミスは、『On His Own Terms – The Life of Nelson Rockefeller(彼自身のやり方で — ネルソン・ロックフェラーの生涯)』の中で、ネルソンの最初の妻でありマイケルの母であるメアリー・トッドハンター・クラーク・ロックフェラーが、息子の失踪について大規模な調査報告書を依頼したことを述べている。その内容は今なお公表されていない。
マイケルはアスマットのビス・ポールについて、「復讐の象徴…かつて首狩りが行われる前に置かれていたもの。その像は、首を狩られた人々を表し、彼らは復讐される存在である」と記している。それにしても、気になったのは、世界で最も裕福なロックフェラー家の孫が、釣り糸や釣り針といった品々を、西洋人と接したことがない部族と物物交換したことだ。オランダ人入植者が1626年に24ドル相当のビー玉や、短剣、布切れと交換してマンハッタン島を買い取った頃と何ら変わってないではないか。数多くのプリミティブ・アートを集めてきた父親から、何の注意も指導もなかったのだろうか。父親は離婚、州知事の仕事で手一杯であったのだろうか。
マイケルは2回のパプア・ニューギニア旅行で200点の美術品を入手している。彼はアスマット族を敬い、その文化を称えていたが、植民地主義と征服された者たちの宝物の収集という矛盾の中に巻き込まれていた。
(参考文献:リチャード・ノートン・スミス著『オン・ヒズ・オウン・タームズ — ネルソン・ロックフェラーの生涯』2014年)(参考:ナンシー・ビリオー著「Into Thin Air: Mysterious Disappearance and Lingering Legacy of Michael Rockefeller」、Town and Country Magazine, 2025年5月30日)


文/中里 スミ(なかざと・すみ)
アクセサリー・アーティスト。アメリカ生活50年、マンハッタン在住歴38年。東京生まれ、ウェストチェスター育ち。カーネギ・メロン大学美術部入学、英文学部卒業、ピッツバーグ大学大学院東洋学部。 業界を問わず同時通訳と翻訳。現代美術に強い関心をもつ。2012年ビーズ・アクセサリー・スタジオ、TOPPI(突飛)NYCを創立。人類とビーズの歴史は絵画よりも遥かに長い。素材、技術、文化、貿易等によって変化して来たビーズの表現の可能性に注目。ビーズ・アクセサリーの作品を独自の文法と語彙をもつ視覚的言語と思い制作している。
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