2025年8月1日 COLUMN アートのパワー

アートのパワー 第61回 ネルソンA.ロックフェラーとその不朽の遺産(5)

新しい展示空間

2025年5月31日、メトロポリタン美術館のマイケル・C・ロックフェラー・ウィングが4年間の改装を経て一般公開された。

ペルー北海岸クピスニケ族のアーティスト、鐙型果実浮出模様注口瓶、紀元前1200年、陶器。
ペルー北海岸モチェ族のアーティスト、アシカ狩りを
描いた鐙型注口瓶、紀元前500~800年、陶器。

私は初日に訪れ、好奇心の赴くままに館内を歩き回った。古代ギリシャ・ローマ展示室に並ぶ黒と茶色の壺を通り抜けると、飛行機の格納庫のように巨大で、光に満ちた開放的な空間が広がり、その劇的な演出に息をのんだ。奥の隣接スペースは天井がさらに高く、マイケルが収集したビス・ポールが並んでいる。その壮大な様はこのウィングの中でもひときわ目を引く。以前のように、地理的に区切られた暗い閉鎖的な空間ではなく、新たな展示スペースはセントラル・パークに面した南側が全面ガラス張りで、自然光が差し込む。展示室はエリア毎に連続的に配置されていて、私はオセアニアの展示にいたかと思えば、いつの間にか古代アメリカの展示に移っていて、作品説明を読んで初めて気づいたほどだった。「アフリカ」「オセアニア」「アメリカ」という三地域を一括りにする展示方法は、かつて植民地主義の視点から使われていた「第三世界」「グローバル・サウス」といった時代遅れの用語を思い起こさせ、不安を感じた。透明なガラスによって仕切られてはいるものの、展示が混在することで、訪問者が「原始的」とされる文化はみな同じに見えるという誤解を抱く恐れもあると感じた(「原始的」という言葉自体も問題を孕んでいる)。

私は、この空間を設計した建築家クラパット・ヤンタサーンの講演にも参加した。彼はバンコク生まれの57歳、日本政府の奨学金で東京大学で建築学修士号(M.Arch)と博士号を取得。プリツカー賞を受賞した安藤忠雄の事務所で修業し、安藤の下でフォートワース近代美術館やアルマーニ/テアトロ(ミラノ)の設計をした。彼はロサンゼルスを拠点とする多分野デザイン事務所wHYの創設パートナーで、クリエイティブ・ディレクターでもある。彼の設計したグランド・ラピッズ美術館は、環境に配慮した建築として世界で初めてLEEDゴールド認証を取得した美術館である。他にもシカゴ美術館の古代ギャラリー、ハーバード大学、ルーヴル美術館、ロサンゼルスのマルチアーノ財団、ケンタッキー州スピード美術館の拡張などを手がけている。

新ウィングのフロア面積は40,000平方フィート(約3,716平方メートル)で、改装前と変わっていない。この空間には主要3地域のコレクションが収められ、紀元前3000年から現代まで数百の文化が展示されている。講演でヤンタサーンは、「建築家の役割は、自分の考えを押し付けることではなく、学芸員、館長、理事たちの声に耳を傾けて、望む空間を具現化することだ」と語った。7000万ドルの予算の中でも、最も高額だったのが新しく設計された最先端の窓で、幅61メートル、高さ24メートル、7層のコーティングで光の調節とUV対策、エネルギー効率を実現し、870万ドルで製造、948万ドルで設置された。ヤンタサーンの設計理念は、「アートと来館者のつながりを深め、建築そのものは背景に退く」というもの。新ウィングには1726点の作品が展示されている。これは美術館が所蔵する先住民アートの約4分の1に相当し、そのうち3分の1はマイケルおよびネルソンが収集したコレクションから、アフリカ美術展示作品うち3分の1は今回初公開されたものである。

メキシコ西部ナヤリット州のアーティスト、村の風景・家の模型、紀元前200年〜紀元前300年、陶器。3人の女性がごちそうの準備をし、一人はトウモロコシを挽いている。柱にもたれかかる妊婦(メソアメリカでは妊婦が描かれることは滅多にない)。
コートジボワール・ダン族のアーティスト、精霊の化身をかたどった儀礼用スプーン、ca1900、木、金属。スプーンの柄が、なぜ人を模っているのだろう。アフリカの伝統社会に伝わるもてなしの心意気を示す品で、アルベール・ジャコメッティの 『女=スプーン(Spoon Woman)』も「もてなしのスプーン」から着想を得ている。

文/中里 スミ(なかざと・すみ)

アクセサリー・アーティスト。アメリカ生活50年、マンハッタン在住歴38年。東京生まれ、ウェストチェスター育ち。カーネギ・メロン大学美術部入学、英文学部卒業、ピッツバーグ大学大学院東洋学部。 業界を問わず同時通訳と翻訳。現代美術に強い関心をもつ。2012年ビーズ・アクセサリー・スタジオ、TOPPI(突飛)NYCを創立。人類とビーズの歴史は絵画よりも遥かに長い。素材、技術、文化、貿易等によって変化して来たビーズの表現の可能性に注目。ビーズ・アクセサリーの作品を独自の文法と語彙をもつ視覚的言語と思い制作している。

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