2025年10月23日 NEWS DAILY CONTENTS Miki COLUMN

『ちょっと得するNY20年主婦のつぶやき』(15)アメリカンライフ、まだまだ新鮮(その2)

Ditto Bowo

以前、子どものピアノの先生が、自分の子ども(2歳)をレッスンに連れてきたことがありました。先生は「ベビーシッターが急に来られなくなったので。レッスンはちゃんとやるので、心配しないで」と言い、子どもを自分の膝の上に座らせ、動画を見せながら、レッスンを始めました。

そんな状態のレッスンで「集中する」のは無理な話です。案の定、私の子どもも集中できず、先生も少し教えにくそうにしているように感じました。結局、レッスンの間は、私が先生の子どもの相手をしました。

写真はイメージ(photo: Unsplash / Brett Jordan)

レッスン後、先生は「子どもの面倒を見てくれて助かりました。ありがとう」と言って帰りました。ええっ?ちょっと待って。それだけ?「すみませんでした」の一言もなし? 私にベビーシッターをやらせたことも、レッスンが疎かになったことも、なんとも思ってないの?

また以前、会議の相手が40分も遅れてきたことがありました。その人いわく「I’m so sorry for being late!!(遅れてごめんなさい!)It’s not my fault. There was road work.(でも遅れたのは僕のせいじゃないんです。道路工事があって)」と言い、「Thank you for waiting.(待ってくれてありがとう)」と締めくくって、何事もなかったかのように会議を始めました。

「Sorry」の本当の意味

ピアノの先生が謝らなかったのは、「レッスンは自分なりにちゃんとやったし、子どもの面倒を見てくれたことに対してお礼を言ったのだから、それで“チャラ”よね」ということだったのかもしれません。

でも、いきなり子どもを連れてきたことについては、何か一言あってもよかったのでは?と思います。もし私が先生の子どもの面倒を見なかったら、「先生は『Thank you』さえも言わなかったのかな?」と、釈然としない思いが残りました。

会議に遅れてきた彼にとっての「Sorry」は、「遅れて残念に思う」、「状況を申し訳なく思う」といった他動的かつ表面的な謝罪で、心の中では、「(遅れたのは工事のせいで)自分は何も悪いことはしてない」と思っているように感じたのは私だけでしょうか?

「Sorry」より「Thank you」

日常の中には“軽いSorry”がたくさんあります。たとえば、肩がぶつかったときや、道をふさいでしまったときなど、そんなときアメリカ人は反射的に「Sorry!」と言います。 そういう“軽いSorry”は、思いやりのサイン。 でも、“本気のSorry”となると、話は別です。

日本では、相手に迷惑をかけたら、まず「すみません」と言います。一方、アメリカでは同じ状況で「Thank you」といいます。たとえば、犬の散歩をしていたおばあさんが、私の車に気づいていなかったようで、少し後ろで待ってあげました。しばらくして車に気づいたおばあさんは、「Thank you」と言いながら道を渡っていきました。日本だったらきっと、「Sorry」ですよね。

また、レストランで子どもが泣いて迷惑をかけたとき、日本人の親は「すみません」と言い、アメリカ人の親は「Thank you for your patience.(我慢してくれてありがとう)」と言います。

どちらも礼儀正しいですよね。でも、根底にある考え方が全く違うように思います。つまり、日本では自分のアクション(迷惑をかけたこと)に重きを置いて謝り、アメリカでは自分の行動に対しての相手のリアクション(助けてもらったこと)への感謝を重んじます。

「Sorry」ではなく「Thank you」。そんな言葉の選び方一つにも、その国の文化が表れているように思います。つまり、「Sorry」は「感情を伝える言葉」であって、「責任を認める言葉」ではないのです。

「It wasn’t my fault(私のせいじゃない)」でも「無責任」ではない

アメリカでは「Sorry」を不用意に言うと、「自分に非がある」と受け取られることさえあります。 例えば、交通事故の現場で「I’m sorry.」と言えば、その瞬間に「自分の過失を認めた」と解釈されかねません。 だから、アメリカ人は無意識のうちに、ディフェンシブ(防衛的)になるのです。

でも、全く反省しないわけではありません。彼らは「責任」を重んじる文化で、「誰の責任なのか」をはっきりさせたいんです。だから「It’s not my fault.」と言うのは、「責任の所在を明確にすること」が目的であって、「あなたを軽視している」わけではないんですね。”軽いSorry”は、思いやりや気づかいの表現。でも、責任が関わる場面になると、その「Sorry」は消えてしまいます。

日本では、「相手に迷惑をかけたら謝る」のが礼儀です。責任の所在よりも、「関係を円滑に保つこと」を重視します。だから、たとえ自分のせいでなくても「すみません」と言います。つまり、アメリカでは「事実の整理」「状況の合理性」、日本では「気持ちの整理「関係の調和」が大切にされているのだと思います。

違いは「伝え方」だけ

結局のところ、アメリカ人は「責任」と「感情」を分けて考えているのだと思います。彼らの「Sorry」には同情があり、「Thank you」には優しさがあります。

言葉の選び方は違っても、その根っこにあるのはどちらも“相手を思う気持ち”。 ただ、”伝え方が違う”だけなのですね。

写真はイメージ(photo: Unsplash / Ditto Bowo)

体調が悪くて食事の支度が十分にできないとき、以前は家族に「ごめんね」と言っていたのですが、最近は、「こんなものでも食べてくれて、ありがとう」と感謝の気持ちを。。。謝りません(笑)。考え方も、そして体のサイズも、どんどんアメリカナイズされてきているような気がします。

【今日のひとこと】

「言語力とコミュニケーション力は、必ずしも一致しない」

言葉は、人と人をつなぐ大切な手段です。けれど、言葉にならない想いを伝えるのもまた人間です。表情やしぐさににじむ気持ちこそが、心と心を結ぶ本当のコミュニケーションなのかもしれません。

                       
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