摩天楼クリニック「ただいま診察中」(連載25) 心の病気 【10回シリーズ、その2】薬物依存症(中)

薬物依存症(上)
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大山栄作 Eisaku Oyama, M.D.
ニューヨーク州立マンハッタン精神病センター精神科医。安心メディカル・ヘルス・ケア心療内科医。1993年東京慈恵医科大学卒業。2012年マウントサイナイ医科大学卒業。米国精神医学協会(APA)会員。日本精神神経学会会員。日米で10年以上の臨床経験をもつ。

前回は薬物依存症の原因やこの病気に陥りやすい米国社会の特性について学んだが、薬物依存はどのようなメカニズムで起こるのだろうか? またそれが慢性化、中毒化したときにどのような影響を人体に及ぼすのだろうか? 「全米最悪」の重篤患者を収容するといわれるニューヨーク州立マンハッタン精神病センター(所在地はランドールズ島)とマンハッタンの日本人専門クリニック「安心メディカル」で心の病気の治療に当たる大山栄作医師に話を聞いた。

Qマリファナ、麻薬、覚せい剤、鎮痛剤などの薬物への依存症は、いつごろからあるのですか?
A薬物依存症は現代病ではありません。薬物中毒はギリシャ時代からありました。これらの薬物は麻酔の原料ですし、優れた鎮静効果もありますから、病気を治す薬として使われてきました。そして例えばジャマイカのようにマリファナが生活の一部になっていて、精神衛生維持の1つの手段になっており、よもや「体に悪い」「犯罪の原因になる」などといったネガティブなイメージなど全くない文化もあります。

Q日本人が「白いご飯は体に毒だ」と思えないのと同じですね。
Aその通りです。ですから薬物自体に「罪」はない。問題は、それを乱用する人間にあります。

Qどうして、薬物をやめられなくなるのですか?
A薬物依存が起こるメカニズムを簡単に説明しましょう。これは全て人間の脳の問題です。脳の中ではさまざまな化合物が産生され、互いに影響を与え合いながら複雑きわまりない脳というシステムを動かしています。ドーパミン、アドレナリン、セロトニンといった物質がそれに当たります。これらが所定の「レセプター(受容体)」と呼ばれる場所にはまり込むことによって情報が伝わり、興奮したり、運動中枢やホルモンを調節したり、快楽を感じたり、学習意欲が推進されるわけです。

Qいわゆる「脳内物質」ですね。普段これらは脳の中で自然に作り出されるのですね。
Aそうです。ところが、その脳内物質とそっくりな分子構造の化合物を人間は人工的に作ったのです。

Qそれが麻薬、覚せい剤などの化合物ですね。本来は治療を目的とする薬剤でもあったと。
Aはい。こうした化合物は脳内のレセプターに結合します。例えばモルヒネが結合するレセプターは、本来は、スポーツ後の爽快感やアートに対する感動など「人間の快楽」を司る脳内物質が結合する場所です。それをモルヒネは騙して、人工的な、しかも強烈な快楽を与えるのです。そして痛みも感じなくさせる。
 ところが、薬物でいったん快感が与えられると、レセプターの方で脳内物質の分泌は「もう十分」と判断するため、それらの自然な産生ができなくなる。そうすると不快感が生じて、快感を回復するためにさらに薬物を求める…これが薬物依存の仕組みです。

Q悪魔のサイクルですね。一度その悪循環にはまったら抜け出せないのですか?
A抜け出すのは大変困難です。しかもひどい症状が発現します。例えばストリートで流行っている薬物にPCP(フェンサイクリディン)、通称「エンジェルダスト」というものがあります。もともとは手術用の麻酔薬として開発された薬ですが、麻酔から醒めるときに妄想や激しい暴力を伴うため1965年に使用が禁止されました。それが今、安価で出回っているわけですが、これは怖いです。

”薬物でいったん快感が与えられると、レセプターの方で脳内物質の分泌は「もう十分」と判断するため、それらの自然な産生ができなくなる。そうすると不快感が生じて、快感を回復するためにさらに薬物を求める…これが薬物依存の仕組みです。“

Q暴力的な「エンジェルダスト」にはどのような副作用があるのですか?
A例えばこんな事例があります。以下が患者の弁です。
 「自分は、朝起きたらタクシーに乗って自宅に向かっていた。自宅に着くと隣宅を警察が囲んで大変な騒ぎになっている。聞けば、隣人が殺害されたというではないか! 隣人は自分の親友だ。なんてこった! 一体何があったのだ!」患者は隣人宅に駆け込み、警官の胸ぐらを掴んで問い詰めます。そして妻にも問いかけます。「誰がいつこんなことをしたんだ」妻は「落ち着いてよく思い出して。確かあなた昨晩、隣人の家で彼と一緒にいたんじゃなくて?」「そういえば…そうだ」と患者はわれに返って、ふと見回すと、警察が自分の家の周りを囲んでいた。
 そう、お察しの通り、彼=患者が殺害していたのです。原因は「エンジェルダスト」。2人で薬をやっている過程で暴力的になって殴り殺した、しかもその一部始終を全く覚えていません。

Qそんな恐ろしい薬をニューヨークで売っているのですか?
Aはい。これは実際にニューヨークで起きた事例です。違法薬物でありながらエンジェルダストはどこででも売られています。みんなタバコに仕込んでやっています。

Qそれも、やはりレセプターに化合物がくっつく形(結合)で快楽を与えるわけですね。
Aはい。いわゆる中枢神経興奮剤の1つで、NMDA型グルタミン酸受容体というレセプターにくっつきます。

Q よく耳にするMDMAとは違うんですか?
Aはい。MDMAはメタアンフェタミン(覚せい剤)です。メチレンジオキシメタアンフェタミンの略で、通称「エクスタシー」。「クリスタルメス」と呼ばれるものもほぼ同じ成分です。この薬は脳内に蓄積しているノルアドレナリンとドーパミンを解放させる作用があって、そのために快楽や多幸感を与えます。クラブドラッグなどと呼ばれて、軽い「娯楽用」薬物と思われがちですが、こちらも慢性化しますし、常用すると大変なことになります。
 毎年、僕の病院があるランドールズ島のスタジアムで行われる野外コンサートでは、この薬による過剰興奮が引き起こす脱水症状で死者が出ています。MDMA依存症患者の脳の切片画像を見たときには驚愕しました。ニューロン部分が見事なまでにごそっとなくなっていたのです。10年ぐらい常用すると神経細胞が死ぬんです。性的快感を高揚させるため別名「ラブドラッグ」と呼ばれていますが、そんな甘いものではありません。やり続けると神経細胞が一挙に死にます。安全なドラッグなどこの世にはないのです。

 一度はまったら抜けられない薬物依存。その治療法はあるのでしょうか? 次回は、日々、薬物依存患者を診察している大山医師の考える最良の治療法について聞かせてください。    (つづく)