連載34 山田順の「週刊:未来地図」 あと1年4カ月で終わる「平成」 はたして「新元号」は必要か?(上)

まことしやかに言われている「新元号」

 今年の「一般参賀」の人出は、皇太子ご夫妻結婚の翌年である1994年の11万1700人を超え、なんと12万6720人。これは、昨年の天皇誕生日(12月23日、陛下は84歳になられた)の一般参賀も同じで、平成になって最高の人出を更新した。陛下は午前と午後の計5回、皇后さまや皇太子、秋篠宮両ご夫妻らと宮殿のベランダに立たれて手を振られた。
 なぜ、一般参賀にこんなに大勢の人が訪れたのだろうか? それは、陛下の退位が2019年の4月と決まったためだ。参賀に訪れたほとんどの人が「天皇であられる間に笑顔を見たかった」と述べていた。皇居前で日の丸を振り、陛下の笑顔を拝見する。これは、日本人なら誰もが一生に1回はやることで、自分を日本人だと確認する貴重なひとときだ。陛下退位まであと1年4カ月。これからさまざまな行事が行われると思うが、早くも話題になっていることが二つある。一つは、次の元号がどうなるか?ということ。もう一つは、それに付随して、この際だから元号を廃止してしまったらどうかという議論だ。
 前者に関しては、すでにいろいろなことが言われている。
 新元号は漢字2文字。それもできるだけ易しい漢字。また、頭文字は、M(明治) T(大正) S(昭和) H(平成)と 重複しないなどだ。すごいのは、ネットなどでは「安久(あんきゅう)で決まり」などという書き込みがあること。「安は安倍の安で、安倍首相は強引にそれに持っていくだろう」などと、まことしやかに言われている。しかし、まだなにも決まってはいない。天皇の退位日を決めた皇室会議の後の記者会見で、菅義偉官房長官は次のように述べたが、まさに、すべてはこれからである。
 新元号は、どのような時期に発表する予定ですか?
 「元号は元号法において、皇位の継承があった場合にかぎり改めると規定されています。改元については皇室典範特例法の施行日の決定後に別途検討していきたい。国民生活への影響などを考慮しながら適切に対応していきたいと思います」

元号廃止ではなく使用を停止すべき

 それでは、ここから「元号廃止論」に関して述べていくが、まずは、私の意見を記しておきたい。私は元号廃止論者ではない。ただ、こう考えている。
《新元号は決めるべきであり、廃止する必要はない。しかし、これの使用が事実上、強制されている状況は改善すべきだと思う。とくに、政府機関は、新元号制定後、文書を西暦で統一すべきだ。また、マスメディアで現在、元号表記をしている産経新聞とNHKはこれをやめるべきだ》
 なぜ、私がこう思うのかはいくつかの理由がある。ただ、それは多くの識者が言っている理由とあまり変わらないので、以下、そういう意見を紹介しながら、「元号使用停止論」を述べていきたい。昨年12月14日放送のネットテレビ「Abema TV」の番組『Abema Prime』で、この問題についての議論があった。論客は、元参議院議員で女性学者の田嶋陽子氏、若手文筆家の古谷経衡氏、「日経ビジネス」のプロデューサー柳瀬博一氏の3人。議論を聞いて驚いたのは、田嶋さんのような旧世代の人間が、元号廃止に前向きなのに対し、30年代という若手の論客の古谷氏が元号存続に賛成で保守的であることだ。では、どんな論議があったのか、整理してみよう。

官公庁での元号使用は不便で不都合

【田嶋陽子氏の主張】あってもいいし、表現が豊かになる部分はあると思うけれど、日常生活では使う必要がない。主権在民なのに、天皇家のものである元号が私たちの日常生活に出てくるのはおかしい。入れたかったら西暦の後ろにカッコで入れておけばいい。民主主義の観点から言うと元号に振り回されているというのはおかしい。不便だし、少なくとも官公庁では使うべきではない。

【古谷経衡氏の主張】世の中損得じゃないものもある。不便だという理由や合理的な考えで推し進めていったらなんだっていらなくなる。世の中全部そうだが、「合理的にこれが便利だから必要だ。これは不便だからいらない」と消していったら世の中殺伐としてしまう。民主主義と天皇制は両立できる。じゃあなんで『キリストが生まれてから何年』という西暦を私たちが使わなきゃいけないんです? 私たちはキリスト教国じゃない。アングロサクソン、西洋のことに対して時代遅れというのはおかしい。

【柳瀬博一氏の主張】ビジネスの現場はたいてい西暦でやっているが、官公庁や証券取引所に提出する資料などには元号を使わなければいけない。逆に言えば、そこしか平成を使うシーンがない。その点では、他国とのやりとりも相対的に多くなっている時代に不都合は確かにある。国事やお祭りなどには積極的に元号を使い、ビジネス文書などは西暦に統一ということは議論されてもいいのかなという気がする。ただ、グローバル化とは別に日本独自のものとして年号はあったほうがいろんな意味でいいのでは。

「廃止」というより「使用停止」論が主流

 以上をまとめると、田嶋陽子氏も柳瀬博一氏も元号を廃止せよとは言っていない。元号を使うことで不便が生じるので、そういう場面では使うのをやめたらどうかと言っている。とくに公官庁での使用はやめてほしいと言っている。つまり、廃止ではなく部分的な使用停止を訴えている。これに対して古谷氏は、不便だろうとやめるのはおかしい。不便でもいいから使うべきだという「現状維持論」である。じつは、すでに経済評論家の池田信夫氏が昨年の1月の時点でかなり積極的な「元号不要論」をウエブの言論サイト「アゴラ」(『もう元号を使うのはやめよう』「アゴラ」 2017年1月10日)で述べている。
(つづく)
 
※本コラムは山田順の同名メールマガジンから本人の了承を得て転載しています。
この続きは、1月16日発行の本紙(アプリとウェブサイト)に掲載します。
 
 

IMGP2614 3

【山田順 】
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。
2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。
主な著書に「TBSザ・検証」(1996)「出版大崩壊」(2011)「資産フライト」(2011)「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)など。翻訳書に「ロシアンゴッドファーザー」(1991)。近著に、「円安亡国」(2015 文春新書)。

【読者のみなさまへ】本メルマガに対する問い合わせ、ご意見、ご要望は、私のメールアドレスまでお寄せください。 → junpay0801@gmail.com