連載51 山田順の「週刊:未来地図」オリンピックとナショナリズム (上) なぜ選手は国のために戦わねばならないのか?

 平昌五輪で羽生結弦選手と小平奈緒選手が金メダルを獲得し、テレビは朝から晩までこの話題を繰り返し流しています(編集部注: 本記事の初出は2月20日)。私も、金メダルの瞬間には、思わずもらい泣きをしてしまいました。そして、メダル授与式で君が代が流れ、日の丸が上がると、涙が溢れて止まらなくなりました。
 いったい、この感情はどこからくるのでしょうか?
 北朝鮮の参加で、「オリンピックの政治利用」などという批判があるなか、あらためて思うのは、いったいなんのために選手たちは戦っているのか? なぜスポーツはナショナリズムと切っても切れない関係にあるのか?ということです。

韓国ネット民の
カナダ選手SNS 攻撃

 これまでのオリンピックで、問題が起きなかったことはない。今回もまたそうだ。そのなかでもとくに問題になったのは、北朝鮮の参加問題を除くと、ホスト国の韓国のネット民による信じ難きSNS攻撃である。これは、スケートのショートトラック女子500メートル決勝で、2位でゴールした韓国のチェ・ミンジョン選手(世界ランク1位)が、カナダのキム・ブタン選手と接触して失格になったことで起こった。
 この判定と結果に怒った韓国のネット民は、なんとブタン選手のインスタグラムやツイッターに罵詈雑言を投稿、なかには殺害予告まであった。当然、ブタン選手はアカウントを非公開にしたが、国際オリンピック委員会(IOC)も見過ごすことはできず、次のような声明を発表した。
  「選手とそのパフォーマンスに敬意を払い、彼らのこれまでの努力と五輪精神を支持することを、明確にすべての人にお願いする。五輪は異なる国の選手が友愛の精神の下に競い合う場だ」
 韓国のネット民のこのような行動は、ナショナリズムに基づいている。選手と同じ国の国民であるということだけで、自分まで被害者だと思い込み、冷静さを失った行動に出る。それが少数ならまだしも、韓国の場合、その数があまりにも多すぎる。しかも、前にも同じことが繰り返し行われてきた。
 たとえば、前回のソチ五輪のスケートのショートトラック女子500メートルで、韓国のパク・スンヒ選手を転倒させたとしてイギリスのエリス・クリスティ選手のSNSに「死ね」といった殺害予告など、過激な誹謗中傷が数多く投稿された。そのため、クリスティ選手はフェイスブックに謝罪文を掲載した。ところが、これが逆効果になって一気に炎上し、アカウントの閉鎖を余儀なくされている。

相手を貶めて満足する
病的ナショナリズム

 このような韓国人の病的なまでのナショナリズムは、オリンピック以外でも起こってきた。私が思い出すのは、2002年のサッカー日韓ワールドカップ。最初はそうは思わなかったが、韓国に有利な判定が相次ぎ、韓国はなんとベスト4にまで進んでしまった。
 後に国際サッカー連盟(FIFA)がまとめたワールドカップ100年の歴史における「重大誤審疑惑」10例のうち、じつに4件が、この日韓ワールドカップで起こっていた。ベスト16戦での韓国対イタリア戦、ベスト8戦の韓国対スペイン戦はその典型。当然、両国のメディアは“激怒”報道したが、英国の『デイリーテレグラフ』まで、「茶番判定で汚れた韓国のミラクル」などと皮肉ったことを思い出す。
 ここまで、韓国の悪口を書いているようになってきたが、正直、韓国人のナショナリズムは、どこか歪んでいる。それは嫉妬心に基づき、相手を貶めることで満足するような感情に思えるからだ。要するに、自分たちさえよければ、ほかの人間などどうなってもかまわないという気持ちが、彼らの心の奥に潜んでいる。
 そこでもう一つ思い出すのが、1992年のロサンゼルス暴動である。このとき暴動を起こした黒人たちは、白人だけでなく、韓国系移民も標的にした。現在、ロスには大規模なコリアンタウンがあるが、あのときの焼き討ちの被害額の半分はワッツエリアにある韓国系の商店だった。
 要するに、自国民以外を排除する韓国人のナショナリズムが、貧しい黒人たちの攻撃対象になったのである。

身内は絶対的に善とする「血縁第一主義」

 韓国生まれの評論家・呉善花さんの著書『虚言と虚飾の国・韓国』(WAC BUNKO、2012年)によると、韓国人は伝統的な「集団利己主義」に基づいて行動するという。これは「身内」=「自分の属する血縁一族とその血統」を絶対的な善とし、身内の繁栄を侵す者は絶対的な悪と見なす考え方だ。これが国民レベルになったのが、韓国のナショナリズムで、それは、李氏朝鮮の高級官僚たちによって、歴史的に形作られてきたそうだ。
 朝鮮王朝の高級官僚たちは、「血縁第一主義」で、血族ごとに結集して権力争いを何百年も繰り返してきた。したがって、朝鮮の政治は政策を争うのではなく、誹謗中傷、揚げ足取りばかりだった。そのため、国家が発展することはなかったという。
 こうした政治闘争の歴史を分析した韓国の学者の論文では、223件もの政治闘争が挙げられているが、そのうち政策に関するものはわずか3件だというのだ。
 とはいえ、このような歴史は、日本も同じようなものだ。たとえば、徳川時代は、各藩でお家騒動が繰り返された。徳川家内部でも激しい闘争が繰り返された。その後、明治維新によって、こうした「お家主義」はなくなりはしたが、その代わりに天皇を頂点とする排他的ナショナリズムが形成された。
 しかし、このようなナショナリズムも、先の大戦の敗戦ですべて吹き飛んでしまった。現在の日本人は、韓国人ほど熱烈に自国民、自国を愛していないと言っていいと思う。
(つづく)

この続きは、2月26日発行の本紙(アプリとウェブサイト)に掲載します。 ※本コラムは山田順の同名メールマガジンから本人の了承を得て転載しています。
 
 
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【山田順 】
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。
2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。
主な著書に「TBSザ・検証」(1996)「出版大崩壊」(2011)「資産フライト」(2011)「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)など。翻訳書に「ロシアンゴッドファーザー」(1991)。近著に、「円安亡国」(2015 文春新書)。

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