百年都市ニューヨーク 第25回 創業1837年 デルモニコス(下)

 ニューヨーク最古の老舗レストランの歴史は、長すぎてなかなか始まらない。本連載もすでに3回目を迎えるが、まだ店の創業まで至っていない。コース料理で言ったら、前菜の前のアミューズブッシュの段階だ。少しピッチを上げないとメーンディッシュまで辿り着けない恐れがある。

産地直送のはしり

 1830年にレストラン形態の店を出し、翌31年には、故郷スイスから甥っ子ロレンゾを経営陣に迎えたジョンとピーターのデルモニコス兄弟は、着々と事業を拡大する。何よりも食材の鮮度を重要視した2人は、店の対岸のウィリアムズバーグ(当時はまだロングアイランドの一部)に220エーカー(約89万平方メートル)の農地を購入。私邸を中心に菜園、牧場、馬小屋を備え、レストランで使う食材は全て自家調達するシステムを構築した。もちろん冷蔵庫や長距離輸送手段のない時代の工夫ではあるが、昨今、ブルックリンあたりで人気のFarm to Table(産地直送)は、19世紀の初頭に既に存在していたのである。おかげでデルモニコ兄弟のレストランでは、朝堀の野菜類や産みたての卵、搾りたての牛乳、自家製バターにチーズ、そして新鮮な肉類が絶えることがなかった。
 合理主義と効率重視に毒された現代人は、料理の歴史を語るときはとかく「昔は不便で貧しい食事だった」と思い込みがちだが、実は200年前にも、狩猟採集時代にも豊かでおいしい食文化はふんだんにあった。単に価値観と技術、食材が変化しただけのことである。
 事業面でもリスク管理が行き届いていたデルモニコ兄弟と甥っ子ロレンゾは、レストランの経営が軌道に乗ると、近所のブロードストリート76番地で、賄い付きの宿屋を始める。本業のレストランとは「別会社」のこちらはメニューもなくシンプルな定食のみを定時に供する昔ながらのスタイルだったが、ヨーロッパから訪れる商人の長期逗留には人気だった。しかも暫定的にビジネスアドレスも貸してくれたので、ニューヨークで一旗あげたい当時の「スタートアップ」起業家にはうってつけだった。幸運なことに、この宿屋がデルモニコ一家の危機を救う。

ロレンゾ・デルモニコ(1813〜81年)。実質的な2代目社長。さまざまな新料理考案に寄与し、類まれなる経営能力でデルモニコスをさらに発展させた

ロレンゾ・デルモニコ(1813〜81年)。実質的な2代目社長。さまざまな新料理考案に寄与し、類まれなる経営能力でデルモニコスをさらに発展させた

ついに創業! 高級レストラン

 1835年にダウンタウン一帯が未曾有の大火に見舞われたときのこと。レストランは灰燼に帰したものの、宿屋経営でビジネスをダイバーシファイ(多角化)していたおかげで、即座に宿屋の方を臨時レストランに切り替え、客足と評判を失うのをまぬがれたのだ。そればかりか、焼け野原の中から新規に土地を買い上げ、自社ビルで新装レストランを開店した。場所はサウスウィリアムストリート2番地。1837年8月のこと。ここからがデルモニコス・レストラン史の正式な開幕である。
 デルモニコスは、現在も当時と同じ場所、同じビルに店を構える。三角に突き出たスタイリッシュな入り口では、ポンペイ遺跡から出土した本物のローマ時代の石柱が客を迎える。37年のオープン当時から同店は世界最高を目指した。床は大理石と細工入り木張りのコンビ。壁は金銀で飾られ、窓には豪奢なシルクと天鵞絨(ビロード)のカーテン。テーブルには最高級の陶器類がセット。地下倉庫には厳選ワインが1万6000本…。非の打ち所のないデルモニコスは、たちまち政財界の大物や有名人、芸能人、ヨーロッパからのビジネスマンの溜まり場となり、ニューヨーク社交界最大のパーティールームとなった。何よりも話題の中心はパリにも負けない本格的高級料理の数々。若き飲食プロデューサー、ロレンゾ・デルモニコと人気シェフ、ジョン・ラックスのコンビが次々に新しいメニューを打ち出す。それを求める人々で店の周りは日夜ごった返した。そんな矢先の42年、「社長」のジョンが、鹿狩りの最中に心臓発作で突然、この世を去る。そのときロレンゾは29歳。ニューヨークでの経験は10年超。怖いものはもう何もなかった。
(つづく)

1837年に自社ビルで開業したデルモニコス・レストラン。現在も同じビルでデルモニコスとして営業(写真は1900年当時)

1837年に自社ビルで開業したデルモニコス・レストラン。現在も同じビルでデルモニコスとして営業(写真は1900年当時)

————————————————————————————————————————————
Delmonico’s Restaurant
創業1837年、リンカーン大統領や文豪マーク・トウェイン、チャールズ・ディケンズも愛した名店。デルモニコステーキをはじめ、エッグベネディクト、ベイクドアラスカなど数々の有名料理を生み出した。メニューに「アラカルト」やワインリストを初めて導入したのも同店だ。支店を持たないため、ニューヨークでしかここの料理は食べられない。
————————————————————————————————————————————

取材・文/中村英雄 映像ディレクター。ニューヨーク在住26年。人物、歴史、科学、スポーツ、音楽、医療など多彩な分野のドキュメンタリー番組を手掛ける。主な制作番組に「すばらしい世界旅行」(NTV)、「住めば地球」(朝日放送)、「ニューヨーカーズ」(NHK)、「報道ステーション」(テレビ朝日)、「プラス10」(BSジャパン)などがある。