連載182 山田順の「週刊:未来地図」 「人生100年時代」の憂鬱 (下) 長生きは本当にいいことなのだろうか?

日本は世界一の「寝たきり老人」大国

 私は普通の人と違って、かなり多くの医者とつきあってきた。医者の本をプロデュースしたことも多く、医療現場に何度も足を運んでいる。老人施設もかなりの数を見て回った。また、自分や家内が大病をして入院治療したこともあり、そこで多くの患者と出会った。そういう体験からすると、「人生100年時代」は大いに疑問である。仮にそうなるとしても、それが私たちに幸福をもたらすかどうかはわからない。いま私たちがしなければならないことは、「人生100年」をどうするかではなく、現実を直視することだ。
 平均寿命が世界でトップクラスの日本は、「長寿大国」といわれている。しかしその現場は、けっして誇れるものではない。なぜなら、日本ほど「寝たきり老人」の多い国は先進国にはないからだ。正確な統計はないが、介護者数などの統計から推測すると現在、約200万人の高齢者が寝たきりで暮らしていると考えられる。実感で言うと、75歳以上の高齢者のうち7、8人に1人はかなり重い健康問題を抱えており、寝たきりの人間が多いのだ。
 療養病床のある病院に行けば、そういう高齢者の方々がいっぱいいる。胃ろうや人工呼吸器を付けて生かされている方々である。つまり、もう自分で口からものを食べて生きられない、自力で呼吸して生きられない方々が、医療技術によって生かされているのだ。
 胃ろうというのは、お腹に穴を開けてそこからチューブで栄養補給をするものだが、これを老人に施しているのはほぼ日本だけである。欧米では、口からものを食べられなくなった時点で、人間として生きる限界が来たとして、それ以上人工的な処置を施さない。とくに胃ろうは「人間に対する冒涜」と考えられ、医者は勧めない。しかし、日本では積極的に施すのだ。
 胃ろうを付けたり、人工呼吸器を付けたりしている方々の本音を聞いたことがある。多くの方々がこのように言う。
 「もう回復の見込みがないのなら、こんなかたちで生きていたくありません。本当につらいんです」
 しかし、医者は処方により安楽死させることは日本では殺人罪となるので、これができない。本人も家族も耐えられなくとも、これを続けるほかないのだ。

男で9年、女で13年も「健康ではない期間」

 先に高齢者は「65歳から」と書いたが、自身が65歳になったときに、同年齢の仲間と「何歳まで生きたいか」と話したことがある。
 すると、ほとんどが「やはり平均寿命まではねえ」と答えた。しかし、平均寿命の前に健康寿命というものがやって来る。その年齢は、男性だと71.19歳、女性だと74.21歳で、意外とすぐである。つまり、人がみな平均寿命で死ぬと仮定すると、男性では約9年間、女性ではなんと約13年間もの「健康ではない期間」があるのだ。もちろん、今後、平均寿命も健康寿命も伸び、この期間は縮まるかもしれない。しかし、それを考えても、「人生100年時代」とは、なんと残酷な時代ではないだろうか?
 いくら医学が進歩してもエイジング(老化)は進行する。平均寿命は伸びるが、元気で健康でいられる「健康寿命」が同じように伸びるかどうかは、いまのところわからないと医者は言う。アンチエイジング治療を実施し、健康寿命を延ばすには、それなりのお金がかかる。世界最高のアンチエイジング施設、スイスの「ラ・プレリー(la prairie)」は世界中から富裕層を集め、1週間で数百万円かかるアンチエイジングクリニックを行っている。
 片方に寝たきり老人、片方にこのような現実があることを思うと、「人生100年時代」の偽善性を感じざるを得ない。政府の尻馬に乗って、金融機関は「これまで老後には3000万円が必要とされましたが、これからは5000万円が必要です」と、貯蓄や投資を勧めてくる。もはや、引退を前提とした老後資金などという考え方を捨て、死ぬまで元気で働く。そういうライフスタイルにシフトして、そのうえで資金プランを考えるべきだと言うのだ。しかしそうして助かるのは、財政難から年金の支給年齢の引き上げを狙う政府だけである。

「リカレント教育」よりも「終末期教育」

 人間は必ず死ぬ。そのように設計されている。それを考えたとき、いかに長く生きるかということより、もっと大事なことがあると思う。それは、いかに苦しまず、周囲に迷惑をかけず、そして納得のうえで死んでいくかということである。
 100年生きるより、100年をどう終えるかのほうが大事である。もちろん、100年生きるため、言葉を替えれば「老いても働き続けるため」には、「リカレント教育」が必要かもしれない。政府が高齢者の雇用を企業に義務付けることも場合によっては必要かもしれない。
 すでに、一部の大学では主に退職向けのリカレント教育講座を設けているところもあり、盛況だと聞く。しかし、その講座に通っている老人たちは、それで本当に幸せになれると思っているのだろうか? これからは、AIやロボットが人間の仕事を奪っていく。そうしたなかで、高齢者がどう働けばいいというのか? 全く、見えてこない。
 私が常々思っているのは、リカレント教育をするよりも、いかに心豊かに死んでいけるか、そういう「終末期教育」を高齢者にするほうが大事ではないだろうかということ。
 人はいかに生きるかはわかっている。しかし、いかに死ぬかはわからない。その結果、歳をとるにつれて慌て出す人が多い。幼児教育も大切だが、人生の最後の「終末期教育」も大切だと思うが、どうだろうか?
(了)

【山田順】
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。
2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。
主な著書に「TBSザ・検証」(1996)「出版大崩壊」(2011)「資産フライト」(2011)「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)など。翻訳書に「ロシアンゴッドファーザー」(1991)。近著に、「円安亡国」(2015 文春新書)。

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