連載200 山田順の「週刊:未来地図」大麻合法化に乗り遅れる日本(2の中)  なぜ日本では大麻が禁止されてきたのか?

戦後アメリカGHQの命令で禁止に

 なぜ大麻は、日本ではここまで厳格に禁止され、取締りが行われているのだろうか?
 じつは、大麻は、戦前は禁止されていなかった。大麻の栽培・所持・使用などを禁止する法律は存在せず、農家などは自由に大麻を栽培できたのだ。それが1948年、突如として占領軍GHQの指示により禁止され、現在にいたる「大麻取締法」が制定された。アメリカで大麻が禁止されたのは、1937年に成立した「大麻課税法」という法律によってである。これは大麻の害を防ぐ法律ではなく、大麻製品に課税するものだったが、実質的に大麻を禁止するものだった。これにより、大麻は市場から排除されたからだ。
 なぜ、大麻は排除されたのだろうか? それは、林業と合成繊維業界を活性化させようと、当時のルーズベルト大統領が考えたからだ。大麻に課税すれば大麻製品の価格が上昇する。そうなれば製紙原料が大麻から木材に移り、繊維原料が大麻から合成繊維に移る。つまり、林業が潤い、合成繊維の原料となる石油を生産する石油業界が潤う。石油といえばロックフェラーだから、大麻の排除はいわば、ロックフェラーの意向だったのである。
 このように、アメリカで禁止されている以上、GHQが日本で認めるわけがない。ただし、GHQの大麻禁止には、占領軍としての別の目的もあった。それは、大麻が日本の伝統文化に深く根ざしたものだったからだ。前記したように、それまで日本では大麻が広く栽培されており、その用途は広範囲にわたっていた。
 まず、葉の部分からは麻繊維が取れるので生地として用いられていた。また、芯の部分は建築材料に用いられ、実からは油も取れるので、食用にも燃料としても、また薬としても用いられていた。しかも大麻は成長が非常に早く、害虫にも強く、栽培の手間が一切かからないこともあって、こんな重宝な植物はなかった。そのため、伊勢神宮には大麻および暦の作製・配布などに関する一切のことをつかさどった役所も存在していた。
 GHQはこうしたことが、日本人のアイデンティーと深く結びつき、天皇を頂点とする日本文化の根底にあるとして、これを破壊しようとしたのである。

「大麻取締法」が制定された経緯

当時、内閣法制局長官を務めた林修三氏は、GHQから大麻を禁止するように要請されたとき、正直驚いたことを後に語っている。「時の法令」(1965年4月、通号530号)に、林氏の次のような回想が載っている。

 「終戦後、わが国が占領下に置かれている当時、占領軍当局の指示zで、大麻の栽培を制限するための法律を作れといわれたときは、私どもは、正直のところ異様な感じを受けたのである。先方は、黒人の兵隊などが大麻から作った麻薬を好むので、ということであったが、私どもは、なにかのまちがいではないかとすら思ったものである」

 GHQは当初、大麻の全面禁止を求めた。しかし、日本側が交渉して許可制となり、大麻草の栽培は一部認められた。大麻取扱者として都道府県知事の許可を得れば、繊維または種子の採取を目的とした大麻草の栽培はできることになった。しかし、大麻の所持・使用・販売等は厳しく禁止された。こうして、「大麻取締法」が制定されたのである。
(つづく)

【山田順】
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。
2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。
主な著書に「TBSザ・検証」(1996)「出版大崩壊」(2011)「資産フライト」(2011)「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)など。翻訳書に「ロシアンゴッドファーザー」(1991)。近著に、「円安亡国」(2015 文春新書)。

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