あれこれNY教育事情 アーティストを育てる米国の学校教育(1)

「ニューヨークは芸術の街だ」といわれるが、私は「芸術が日常生活の一部として存在する場所だ」と表現した方がより正確な気がする。「アーティスト」とカタカナで表現する場合、日本語と英語での意味合いは若干違うようだ。
「あなたのお仕事は?」と問われ、「アーティストです」と答えると、日本人の中には「どこかの有名人?」 と思う人も少なくないようだが、米国では創作活動に携わる人は、有名無名にかかわらず皆「私はアーティストです」と胸を張る。
アートの道に進み、到達した「結果」ではなく、その課程で得られるものを重視する考え方は、米国の学校におけるアート教育にも反映されている。さらに言えば、自分の考えや意見を表現する喜びを子どもたちに知ってもらうことこそ、米国のアート教育の理念なのだ。
今月から数回に分けて、ニューヨーク市の学校における「アート教育」について紹介する。

バレエ・テック・スクールの公式ホームページ。小学3年生から受験可能

さまざまな形で行われるアートの授業

日本人の子どもが米国の公立小学校へ入学して最初に戸惑うことの一つは、音楽と美術(図画工作)の授業が、日本とは大きく異なることだ。米国では、ELA(国語)やMath(算数)、Science(理科)、Social Study(社会)など日本の主要教科に当たる「コアサブジェクト」の指導要領は各学校で共通するが、創造力や情操面の向上を担うアートには、音楽と美術(図画工作)の他にドラマ(演劇)やダンスなどの「パフォーミンングアーツ」が加わる。授業内容や指導方法、施設や備品なども学校によって驚くほど異なる。日本のように美術の教科書に沿って、全国の小・中学生がほぼ一律のアート教育を受けるようにはなっていない。
例えば音楽の授業では、ダンスや歌を中心に自由な身体表現を重視し、小学校を卒業するまでは楽譜の読み方や楽器の演奏方法を教えない学校もあれば、全生徒が無料でバイオリンやビオラ、チェロなどの弦楽器を貸与され、クラシック音楽の演奏方法を学ぶ「オーケストラ」という授業がある学校もある。
日本の学校で「演劇」というと、学芸会や文化祭で発表するために練習することが大部分だが、米国の学校で演劇は「ドラマ」というアート教育の一分野として、音楽や美術と同等の地位を確立している。芸術大学での「演劇」「ミュージカル」「舞台美術」の卒業生だけでなく、教育学部での「演劇教育(Educational Theater) 」は、大学の修士課程で学ぶ学問であり、演劇教師は、音楽教師や美術教師と同様、職業として確立している。米国の学校の「ドラマ」の授業では、集団で一つの舞台を創作するプロセスを通し、自尊感情や社会性を養うことに主眼が置かれる(ドラマの授業については今後、詳しく紹介する)。
アートクラスは予算や方針により千差万別だ。学校により選択制だったり、学期や学年ごとに交代で授業内容が変わったりする。特にニューヨーク市のような大都市では、キンダーガーテン入学から、どのようなアート教育を学校が提供しているかも保護者が学校を選ぶ際の指針の一つになっている。

スペシャル・ミュージック・スクールの公式ホームページ。キンダーからニューヨーク市在住の全生徒を対象にオーディションを行う

先生は現役アーティスト

米国におけるアート教育は、キンダーガーテンからクラス担任ではなく専門家によって行われる。学校の規模にもよるが、アート教育は教員以外に、ダンサー、俳優、歌手などの現役アーティストが担う。その他、アート教育を行う非営利団体と提携してプロジェクトごとにクラスを開催したり、美術館や劇団、舞踊団、交響楽団などと提携して現場に通ったりと、学びの形はさまざまだ。
特に多様な人種や民族、文化を擁するニューヨーク市では、アフリカの太鼓や日本の書道、ヒップホップ、モダンダンス、シェイクスピア劇からミュージカル、オペラなどその道の専門家やアーティストと触れ合うことができる。また、ニューヨーク市では教職資格がなくても試験に合格すれば学校で教えられる制度、「ティーティングアーティスト」もある。

教材と評価

私は舞台演出家として、ニューヨーク市内の学校の「ドラマ」の授業で教えてきた経験がある。授業を通して特徴的だと思ったことは、生徒の指導用に作られた教材がないこと、言い換えれば教科書がないことだ。また、絵を上手に描け、楽器を滑らかに奏でるなど、技巧面を授業のゴールにしていないことも日本とは異なる。例えばドラマでは日本における「学校演劇」の概念がない。
子ども用に調整されてはいても、取り上げるのは、ブロードウェーのミュージカルや、現代劇、シェイクスピア劇などだ。生徒が触れる題材は、教科書から学ぶものではなく、外の世界(大人の世界)にそのまま存在しているものだ。
ニューヨーク市には、ダンス、音楽、演劇、美術を正規の「教科」として、その「技術(スキル)」を学ぶ教育プログラムや学校が、公立小学校から存在する。演奏家の育成を専門とする小・中・高一貫公立学校の「Special Music School 」、バレエ専門の公立校「Ballet Tech School 」(4年生から始まり8年生まで)、芸術専門高校の「Fiorello H. LaGuardia High School」などがその代表だ。これらの学校に入学するために必要なオーディションの練習やポートフォリオ作成などの準備を無料で提供するプログラムもある。(つづく)
(河原その子/舞台演出家、ライター、学校コンサルタント)

フィオレロ・H・ラガーディア高校の公式ホームページ。映画「フェーム」の舞台になった高校