連載406 山田順の「週刊:未来地図」米中覇権戦争と日本(2) アメリカの帝国主義、中国の覇権主義(下)

スペインと違い先住民からすべてを奪った

 じつは、この中国の戦略と同じような方法で、アメリカは領土を拡大してきた。もちろん、それは現代の話ではないが、中国がやっていることを見ると、昔のアメリカと同じではないかと思う。
 なんといっても、アメリカは先住民のアメリカン・インディアンから土地を奪うことで成立した。
 アメリカ先住民には「土地所有」という概念がなかったから、植民は簡単だった。開拓者たちは最初に数人でやって来て、じょじょに数を増やし、その後に騎兵隊がやって来る。こうして小さな村ができあがり、先住民たちが気づいたときは、もう手遅れというわけだ。
 しかも、抵抗すると完全に駆逐され、先住民たちは西へ西へと追いやられた。
 アメリカ新世界に最初にやってきたのは、清教徒(ピューリタン)たちだった。彼らは、先住民を人間と考えなかった。飢えた自分たちに食料を分け与えてくれたにもかかわらず、先住民から土地を奪い、女や子供を奴隷として売り飛ばし、抵抗した男たちを虐殺した。
 このやり方は、中南米に植民したスペイン人たちとはまったく違っていた。当初、スペイン人たちも先住民を虐殺して財宝を奪ったが、その後は先住民と混血した。こうして、中南米は「メスティーソ」(Mestizo)の国になったが、アメリカはならなかった。しかも、アメリカ白人は奴隷貿易でアフリカ黒人を連れてきて、馬や牛と同じ労働力として使ったのである。
 アメリカがいまだに人種差別問題を抱え続けているのも、こうした歴史に由来する。
 かつてのアメリカ人のやり方は、いま中国人がやっていることとそっくりである。南シナ海の島嶼には先住民がいないだけで、小さな事実を積み上げて既得権化してしまう方法は、同じである。
 ただし、ウイグルやチベットには元からの住民がいる。そこで、中国はここに入植者を送り込み、その後、人民解放軍を送り込んで併合するという戦略を取った。ウイグルでは、いまもこれをやっているので、弾圧と投獄が続いている。

米墨戦争でのアメリカのやり口と黒船来航

 1846年から1848年の「米墨戦争」(Mexican-American War)でも、アメリカは同じようなことをやった。当時、メキシコ領だったテキサスを奪うため、アメリカは入植者を勝手に送り込み、アメリカ人の人口が増えると、一方的に「テキサス共和国」の独立を宣言させた。
 その後、数年してからアメリカ合衆国に州として併合することを宣言し、メキシコを挑発した。これにメキシコが怒って始まったのが米墨戦争である。これにより、アメリカはテキサスとカリフォルニアの両方を手に入れたのだ。
 ちなみに、この米墨戦争で、海軍司令官としてベラクルス上陸作戦を指揮したのが、5年後に日本に派遣されることになるマシュー・ペリー提督だった。
 アメリカは手に入れたカリフォルニアでゴールドラッシュが起こったため、カリフォルニアを防衛して太平洋側の安全保障を確立する必要があった。それで、フィリピン、日本、ハワイに目をつけた。(P10につづく)
 ペリーは4隻の黒船を率いて大西洋を南下し、喜望峰を回ってインド洋を横断し、太平洋に入ってから沖縄経由で浦賀にやって来た。当時はパナマ運河がなかったので、このような航路を取るほかなかった。
 したがって、黒船艦隊は長期間の航海で疲弊しており、十分な補給もできていなかった。つまり、日本側が力で抵抗すれば、それを打ち破ることは不可能だった。できるとしたら、江戸の町を砲撃するぐらいだった。陸戦隊を江戸に上陸させても、補給がないため、数日で撤収するほかなかった。
 ところが、幕府は黒船を必要以上に恐れ、開国要求をのんだ。
 ただし、ここで、日本が世界から遅れていることを自覚し、目を覚まさなかったら、その後の明治維新はなかった。日本の近代化は大きく遅れたはずだ。その意味では、ペリーは、日本にとっては恩人かもしれない。

米西戦争で植民地を持つ帝国主義国家に

 このように、19世紀のアメリカのやり方は、いまの中国とそっくりだった。米墨戦争後、日本を開国させたものの、「南北戦争」(1861〜1865)という内戦に突入してしまったため、アメリカのアジア戦略は大幅に遅れた。
 中国はすでに欧州列強に侵食され、アメリカの入る余地は少なかった。それで、遅れを取り戻すために起こしたのが、スペインに対する「米西戦争」(1989年)だった。
 スペインは、大西洋の東端でキューバ、太平洋の西端でフィリピンやグアムを所有して植民地政策を続けていた。そのため、現地では独立運動が起こっていた。
 アメリカはこれに目をつけ、キューバの独立運動を弾圧するスペイン政府を非難して挑発した。奴隷を解放して人権重視に舵を切ったアメリカの非難には、一種の正当性があった。
 そのため、スペインは戦争を回避しようと譲歩したが、アメリカは拒否。ハバナ港で自国軍艦のメイン号が爆沈したことをきっかけに戦争を仕掛けた。メイン号爆沈は、じつはアメリカの自作自演だったという説が有力だ。
 米西戦争はわずか4カ月で、アメリカの圧倒的な勝利となった。スペインとの講和条約は、1898年12月、パリで行われ、キューバの独立が承認され、フィリピン、プエルトリコ、グアムはアメリカの植民地となった。なお、アメリカ軍が最初にキューバに上陸した地点であるグアンタナモは、アメリカの永久租借地となった。いまもアメリカ領である。こうして、アメリカは海外植民地を持つ帝国主義国家となったのである。
(つづく)

【山田順】
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。主な著書に「TBSザ・検証」(1996)、「出版大崩壊」(2011)、「資産フライト」(2011)、「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)、「円安亡国」(2015)など。近著に「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。
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