連載655 教育を変えられない絶望ニッポン もはや若者はこの国を捨てるほかないのか? (中1)

連載655 教育を変えられない絶望ニッポン もはや若者はこの国を捨てるほかないのか? (中1)

 

コロナ禍で露呈したオンライン教育の遅れ

 コロナ禍が起こって間もなく2年になろうとするが、これでわかったのが、日本の教育が世界に比べていかに立ち遅れているかということだ。

 昨年3月、いっせい休校になったとき、「オンライン授業」ができないと、教育現場があわてふためいたことは、いまも記憶に新しい。日本は、世界でもダントツにITC教育が遅れていたのだ。

 日本の教育現場では、相も変わらず「40人学級」が主流で、授業といえば「対面」で、黒板を使っての教師からの一方的な「詰め込み授業」が行われていた。ITCなどどこにもなく、子供たちはひたすらノートを取るだけで、PC、タブレットすら使っていなかった。

 すでに、ネットによる「MOOC」(Massive Open Online Courses)や「学習アプリ」などを使った教育が幅広く導入されているのに、これでは時代遅れもはなはだしい。

 文科省はあわてて、自治体を通してタブレット給付を始めたが、いまだに行き渡っていない。また、小中高はもとより大学のオンライン授業も思ったほど進んでいない。

 繰り返された緊急事態宣言により、日本のオンライン授業の実施率は、コロナ禍前の13%から51%に増加はした。しかし、アジアの他の国に比べて圧倒的に低い。レノボ・ジャパンが2021年8月30日に発表した調査結果によると、インド、香港、インドネシア、フィリピン、マレーシアなどは、実施率が70%を超えている。中国、韓国にいたっては、実施率が90%を超えている。

 現在でもなお、日本のITC教育はOECD諸国では最低レベルで、コロナ禍の前の調査では、学校外でPC、タブレットなどを使って宿題を「毎日」「ほぼ毎日」する生徒の割合はたったの3%に過ぎなかった。OECD加盟国平均は22%である。

英語教育改革は実現するはずだった

  ICT教育はシステムの問題だが、日本が遅れているのはシステムだけではない。教育そのものの中身も絶望的に遅れている。とくに、コンピュータのプロミラリング教育と英語教育は、無残としか言いようがない。

 日本人は、中学・高校と6年間も英語を学ぶのに、英語力はアジア諸国のなかでほぼ最下位という状態が長年続いてきた。2019年のTOEFLのスコアは、TOEFLを実施しているETSのデータによると、OECD加盟37カ国中最下位、アジア28カ国中26位である。その結果、日本の世界競争力ランキングは先進国中で最下位に近く、日本人の給料が世界に比べて低い原因にもなっている。

 そのため、文科省は2020年4月から、小学校3年生から英語教育を「必修化」した。その結果、小学校3年生と4年生は、「外国語活動」というかたちでの英語教育を年間35時間実施することになった。さらに小学校5年生からは、年間70時間の「外国語」という英語教育が「教科化」された。

 ところが、ここにコロナ禍が襲ってきたので、現場は混乱の一途。文科省の目論見はすっ飛んだのも同然になった。もともと準備不足のうえ、英語を話せない日本人教師が担当するのだから、制度だけつくっても成果など上がりようがない。

 文科省は、子どものことなどまったく考えていないと言っていい。

(つづく)

 

この続きは11月22日(月)発行の本紙(メルマガ・アプリ・ウェブサイト)に掲載します。  ※本コラムは山田順の同名メールマガジンから本人の了承を得て転載しています。

山田順
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。主な著書に「TBSザ・検証」(1996)、「出版大崩壊」(2011)、「資産フライト」(2011)、「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)、「円安亡国」(2015)など。近著に「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。

 

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