インタビュー アーティスト 植村 花菜さん【第一部】

 

インタビュー アーティスト 植村 花菜さん【第一部】

 

社会現象となった「トイレの神様」は2010年の大ヒット曲。シンガーソングライターの植村花菜さんは、ジャズドラマーの旦那さまと一緒に、8歳になったばかりの息子さんの子育てに奮闘するママさんとしての顔も持つ。子育てなんて言葉はおこがましい!ときっぱりと言い切る花菜さんから、幼少時代やご家族、コロナ禍による一時中断を挟んだ旦那さまと息子さんとのNY生活について、人生の深いところまで掘り下げる興味深いお話を伺った。

 

第一部 自分が変わった方が早い

 


花菜さんはどういう子どもでしたか?小さい頃から歌を書いていたんですか?

歌ではないんですが、毎日日記を付けてました。思ったことや起きたことを言葉にして、どうしてそうなったんだろう?とひとつひとつ掘り下げて、自分で答えを見つけようとしていました。わりと放任主義の家庭で 野放しに育ちまして。思ったことはすぐやる猪突猛進タイプで、自転車に乗ると決めたその日に転んでも転んでも起き上がって練習して生傷だらけ(笑)

ご家族が止めたりは?
母がすごく変わってる人で、自分のやりたいことが多過ぎて子どもにあまり関心が無いというか。門限も無ければ怒られることもなくて。こだわりが強くて自由。今でも母から電話がかかってくるのは誕生日の時だけ、でも決まって数日遅れです(笑)。小学 隣の家でおばあちゃんと暮らし始めたので。

どういうご事情だったんですか?
おじいちゃんが亡くなった時に、おばあちゃん一人じゃ寂しいから一緒に住んであげて、という話になって。私もまだ小さくて、おばあちゃんも大好きだったし無邪気に引き受けたんですが、一週間とかのお泊まりじゃなく、まさかそこから 12年もふたり暮らしをすることになるとは思ってませんでした。

途中であれっ?と。
夜に一人でお風呂に入っていたら、隣の家 から他の家族の 笑い声が聞こえてきたりして、どうして自分だけあの輪の中にいないんだろう?と寂しく 思うこともありました。実家の方に夜遅くまでいたら、母が「おばあちゃんの家の子は早く帰り」とか言うので、すごくショックだったんです。

それは傷つきますね。
19歳の時に母とものすごいケンカをしました。何かが爆発したんだと思います。つい若気の至りで 「あんたなんか私の母親じゃない」と言ってしまったら、母も「あんたなんか私の娘じゃない」と言ってきて。びっくりしたしショックでしたが、どうしてこんなことになったのかを探っていくと、長年の誤解があったことに気づいて 。私はお母さんに捨てられたと思っていたけど、母は私が自分よりおばあちゃんを選んで出て行ったと思っていたようです。

どうしてそんなことに?
私は母におばあちゃんと住むように言われたと思い込んでいましたが、実際に言ったのは私の 姉だったそうです。本人は自分が行こうかと思ったらしいのですが、おばあちゃんの一番のお気に入り は花菜だから、と私を派遣 。私も小さかったし能天気だったので、ちゃんと分かってなかったんですね。

その後のお母さまとは?
お互いの 行き違いに思い至ったときに、お母さんに変わってほしい!と相手に変化を求めて 接するのではなく、そういう性格で生きてきた母のありのままを受け止めて接すればうまくいくのではないか、と気付いたんです。相手に変わってもらう よりも、自分が変わった方が早いし、そちらの方が正しいと思いました。それからうまくいくようになりました。母も私のブログは見てるみたいですよ。実家に帰った時に母の iPadを触ったら出てきて、あら、と(笑)

お話を伺っていると、一般的な家族のロールモデルとはずいぶん違いますね。
そうですね。でも、正反対のロールモデルにはなりました。私はお母さんに愛されてないと思って育ったのがとても辛かった ので、息子には何があっても自分は愛されているんだ、と確信を持って育ってほしいと思っています。私は母に大好きと言ってもらったことが無かったし、そういう素振りを感じたことが無かったので、息子にはきちんと毎日言葉であれこれ愛情を伝えるように心がけてます。

言葉でというのはアメリカ的ですね。男の子だと鬱陶しがられたりしませんか?
8歳なのでまだ大丈夫ですけど、もしそうなっても全然平気です。出て行きたくなったらいつでも出て行っていいよ、と言ってます。早く自立してほしいんですよ。親がいないと生きていけないような 子にはなってほしくない。親が子供に 唯一できることは、子供の邪魔をしないこと、そして 、親がいなくなっても子どもが独りで生きていけるように自立させてあげることだと 思ってます。自分の意見と意思を持って生きていけるようにすること、その人の個性を守ってその人自身で生きていけるようにすること、それが親の務めだと信じています。

それは子育てをしながらたどり着いた境地ですか?
そうですね。 自分が親になったときに、三つ子の魂百までと言いますので、3歳になるまでは絶対に怒らないと決めていました。どれだけイライラしていても、絶対に自分のエゴを赤ちゃんにぶつけないようにしようと。

―なるほど。

赤ちゃんは食べてるものを床に投げたりしますし、何回ダメよ、と優しく言ってもぜんぜん止めてくれなくて、ついイラッとしてしまいます。でも、なぜ今イラッとしたのかな?と考えていくと、もったいないとか掃除をしなきゃいけないと思ったからか、と。さらに、どうして掃除をしなきゃいけないとイラッとするのか?と考えたら、掃除するのが面倒くさいからか、と。

日記で鍛えた掘り下げ思考ですね。
そうしてどんどん掘り下げていくと、ティッシュを取って拭けば3秒で済むことなのになぜイライラしてしまうのか?と。そうやってあらゆる物事を突き詰めて考えてみると、イライラする必要があることって無いんじゃないか。腹が立つのは結局自分の問題で、ストレスというものは他人からもらうものではなくて、自分で作り上げてるものだと気付きました。誰かに何かをされたり言われたりしたことに自分がどう反応するかで、ストレスになるかならないかが決まっているんだな、と。

仏の教えを聞いているようです(笑)
幼い息子に教えてもらいました(笑)もちろん自分に余裕が無くて、感情のまま息子に怒ってしまうこともあります。でも、その場合には感情が収まった後で必ずすぐに謝ります 。イライラしてしまった息子の行動・言動については落ち着いて 説明しつつ、でもそれに対してイライラをぶつけたのは自分の問題で申し訳なかった、お互いに気をつけようね、と。もちろんそれでもケンカはしますけどね(笑)

取材・文:合屋正虎

第二部(想像力と考える力を育む)につづく