日本では「知らんけど」アメリカでは「Meh」 選挙の形骸化で崩壊する民主主義 (上)

日本では「知らんけど」アメリカでは「Meh」
選挙の形骸化で崩壊する民主主義 (上)

(この記事の初出は2024年1月9日)

 最近、日本では「知らんけど」、アメリカでは「Meh」という言葉が流行っている。両者とも「どうでもいい」といった投げやりで無関心な気持ちを表すスラングだ。
 なぜ、こんな言葉が流行るのかと考えると、社会が混迷して方向を失っているからではないかと思う。
 こんな言葉が流行れば流行るほど、人々は選挙に行かなくなり、民主主義は機能しなくなる。2024年は、日米ともに国家の将来を決める重要な選挙がある。日本は衆議院総選挙、アメリカは大統領選挙。はたしてどうなるのか? まったくわからない。それにしてもなぜ、「投票義務化」、「ネット投票_など、投票率を上げる方法はあるのに、実施されないのだろうか?

語尾の「知らんけど」は無関心の表明

 「知らんけど」(「知らんがな」とも)という言葉が流行っている。SNSを見ていると、なにか言ったあと「知らんけど」で終わる投稿がすごく多い。
 調べてみると、「知らんけど」は関西発祥で、Wikipediaによれば、《自分の発言したそのことに確証が持てない会話の結びに用いる。本来は「よう知らんけど」という言い回しだったものが現在では最後に付け加えるという形式になったほか、正確性よりも相手を楽しませようとすることを重視する人が多い関西において免責を得たい意思表示でもあるという》となっている。
 つまり、ひと言で言えば「どうでもいい」と言っていることになる。いろいろ述べたが、どうでもいい。勝手にしてくれということだ。このような態度は「投げやり」ということになるが、いまの若者、いや全世代にわたって、こうしたムードは蔓延している。
 だから、政治への関心は薄く、選挙の投票率は5割程度。政治なんか、自分たちの暮らしには関係ないと考える人ばかりで、日本の政治は堕落し、日本経済は「失われた30年」を続けている。

アメリカでも「Meh」(メ)が大流行り

 驚くべきことに、アメリカでも「知らんけど」は流行っている。それが「Meh」(メェ)だ。もともとは、人気アニメ『ザ・シンプソンズ』で使われた言葉だが、いまではオックスフォード辞典にも加えられ、完全な日常語になっている。
 たとえば、「How was today?」(今日はどうだった?)」などと聞かれたときに、「Today was meh.」(今日はどうてってことなかった)のように使われている。
 これが拡大して、いまではどんなことにも最後に「Meh」が付くようになった。
 あえて日本語にすると「ふ~ん」「あっそ」などというニュアンスで、「知らんけど」とほとんど変わらない。どうでもいい、投げやり、無関心といった感情を端的にしている。
 したがって、政治に関ししては「どうでもいい」というスタンスで、無関心である。ミレニウム世代、Z世代の若者の多くは、「Meh」を連発し、投票に行かない。アメリカも日本と変わらないのである。

(つづく)

 

この続きは2月6日(火)発行の本紙(メルマガ・アプリ・ウェブサイト)に掲載します。 

※本コラムは山田順の同名メールマガジンから本人の了承を得て転載しています。

山田順
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。主な著書に「TBSザ・検証」(1996)、「出版大崩壊」(2011)、「資産フライト」(2011)、「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)、「円安亡国」(2015)など。近著に「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。

 

 

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