2025年7月22日 COLUMN アートのパワー

アートのパワー 第58回 ネルソンA.ロックフェラーとその不朽の遺産(2)

ネルソン・ロックフェラー:生い立ち

裕福な家庭に生まれながらも、ネルソンは努力してお金を稼ぐ価値を学んだ。父親は、子どもたちに与える小遣いの使い道を一銭単位で記録させ、夏にはハエ叩きなどの仕事をさせ報酬を与えた。彼はクリスマスカードの販売や七面鳥の飼育・販売など、さまざまな仕事をした。父からはディシプリンと公共奉仕の精神、母からは創造性と慈善心を教えられ、生涯にわたり芸術と文化への情熱を燃やす価値が築かれた。彼が育った家には、日本の版画、極東の彫刻、アメリカの原始美術や現代美術、ヨーロッパの近代美術など、幅広い作品が飾られていた。ちなみに、モダンアート期の芸術家たちは「プリミティブ・アート(原始美術)」に魅了され、作品に無闇に取り入れていたため、母アビーのコレクションにはそれらが混在していた。たとえば、MoMAにあるピカソの《アビニヨンの娘たち》では、右側の2人の裸婦がアフリカの仮面のような顔をしていて、その影響が見られる。

マリ共和国ドゴン族の鍛冶屋、両手を上げた神官、14〜17世紀、木像, 有機素材。生命を与える雨への祈りと収穫を祝い手を挙げていると解釈される。

ネルソンはニューハンプシャー州のダートマス大学に進学し、旺盛な好奇心を追求する自由を得た。経済学専攻でありながら、当時としては珍しく大学の図書館に所蔵されていたキュビスムやシュルレアリスムなどヨーロッパ近代美術に関する本を熱心に読んだ。彼は素描、粘土細工、エッチング等、美術の授業も受け、ジャクソン・ポロックの師であるトーマス・ハート・ベントンが教えに来たときには、直接学ぶ機会もあった。彼はすぐに、自分には芸術家としての才能がないことに気づたが、家業の歯車になるのではなく、自分の道を自分のやり方で切り拓いていきたいと考えた。

ネルソン・ロックフェラーは世界一の富豪の孫として、家族の莫大な財産と広範なビジネス、政治的コネクションにより、自身の野心を追求するための多大な機会に恵まれた。1930年、21歳でダートマス大学経済学部を卒業すると同時に、メイン州バー・ハーバーでの夏を通じて知り合った1つ年上の恋人メアリ・トッドハンター・クラークと結婚した。同年、ロックフェラーは近代美術館(MoMA)のジュニア諮問委員会に参加し、1939〜41年まで会長を務め、その後も館長として活動した。母アビー・オルドリッチ・ロックフェラーはMoMAの共同創設者の一人であり、MoMAが「アビーの愚行」と呼ばれた時期もあった。

大恐慌時代に建設されたロックフェラー・センターは、現在ニューヨーク市を代表する歴史的建造物のひとつである。伝記作家リチャード・ノートン・スミスによると、ロックフェラーはその商業的可能性よりも芸術的価値に強い関心を持っていた。彼がロックフェラー・センターのディレクターだった当時、メキシコ人画家ディエゴ・リベラによる壁画《十字路に立つ人間(Man at the Crossroads)》が物議を醸し、33年に設置されたRCAビル(現在の30ロック)ロビーからの撤去が決定した。ロックフェラー家はリベラの社会的不平等に抗う左翼的な政治姿勢を知っていたものの、彼がレーニンの肖像を壁画に描いたことで、34年に破壊されることとなった。リベラは後にこの壁画を再制作し、メキシコシティのパラシオ・デ・ベジャス・アルテスに《宇宙を支配する人間(Man, Controller of the Universe)》として描いた。なお、リベラが32〜34年に制作した《デトロイト産業壁画(Detroit Industry Mural)》は、デトロイト美術館のリベラ・コートにある。フォード社に対する労働者のハンガーストライキを受けて企業イメージの向上を意図したものだった。

ネルソンはスタンダード・オイル社が石油ビジネスの拠点としていた地域で南アメリカの美術品を収集していた。スタンダード・オイル社は1911年、連邦最高裁によって反トラスト法違反(独占的事業慣行)で解体され、エクソン、エクソンモービル、シェブロン、BP、ARCO等、34の後継企業に分割された。皮肉なことに、この分割によってロックフェラー家の財産はさらに拡大し、自動車産業などの成長がそれを後押しした。分割後の企業は南米の石油産業において大きな役割を果たしてきた。歴史的に見ると、アメリカの影響力は地域の変革や政治形成に関与し、アメリカ経済の利益を保護・拡大する目的と結びつけられた。

マリ共和国中南部バマナ(バンバラ)族の鍛冶屋、ヘッドドレス、19〜20世紀、木、金属、ファイバー。男性が成人するための儀式用。
マリ共和国ドゴン鍛冶屋、儀式用の騎馬像付き容器、16〜20世紀、木、止金、ドゴン族の宗教的・政治的指導者の投資儀礼で料理を盛るための器。一対の馬は珍しく高価な輸入品で、指導者の重要性を示している。

文/中里 スミ(なかざと・すみ)

アクセサリー・アーティスト。アメリカ生活50年、マンハッタン在住歴38年。東京生まれ、ウェストチェスター育ち。カーネギ・メロン大学美術部入学、英文学部卒業、ピッツバーグ大学大学院東洋学部。 業界を問わず同時通訳と翻訳。現代美術に強い関心をもつ。2012年ビーズ・アクセサリー・スタジオ、TOPPI(突飛)NYCを創立。人類とビーズの歴史は絵画よりも遥かに長い。素材、技術、文化、貿易等によって変化して来たビーズの表現の可能性に注目。ビーズ・アクセサリーの作品を独自の文法と語彙をもつ視覚的言語と思い制作している。

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