「世界一の酒を造りたい」と語っていた若者は、気がつけば “宇宙一の清酒” を造ろうとしている。山口の酒蔵・獺祭が進める前人未到の挑戦「獺祭MOONプロジェクト」。将来の月面での酒造りを見据え、その第一歩として国際宇宙ステーション(ISS)「きぼう」日本実験棟で清酒の醸造試験を実施している。その中心にいるのが、入社5年目30歳の社員、植月聡也さんだ。

「お酒が好きで、この経営者の下で働きたい、と」
「1年目は製造部で実際に酒造りをしていました。2年目からイノベーション研究室に入り、プロジェクトや日本酒の技術導入など、イノベーティブな仕事を一通りやっています」
北海道大学で生命科学を専攻し、新卒で獺祭に入社。もともと日本酒のバックグラウンドがあったわけではない。

「お酒が好きで、食品メーカーで働きたいなと思っていて。仕事を探していたら会長の記事を見かけたんです。当時ちょうどニューヨークに蔵を作るという話が出ていた頃で、そのチャレンジングな姿勢に惹かれました。この経営者の下で働きたいな、と」
カリスマ的経営者の挑戦に憧れて飛び込んだ若者が、いまやその最大級のプロジェクトを任されている。
世界を目指したはずが、気がつけば「宇宙一」に
以前、獺祭のインタビューで植月は「世界一のお酒を造りたいと思い、獺祭に入社した」と語っていた。それから5年。気がつけば、宇宙一の酒の製造を任されている。
「宇宙になっちゃいましたね(笑)。まだ例の “モノ” も戻ってきていないし、ずっとトラブル続きなんです。帰ってくるだけ、とは言いながらも、あと2〜3個はトラブルが起こると思っているので、手元に戻ってくるまでは気を抜かずにやろうと思っています」

ISS内では既に発酵が進み、アルコール生成は確認された。だが、プロジェクトはまだ完了していない。「『結局、宇宙でアルコール発酵ができませんでした』なら新しい知見として一歩前進になる。でも、これ以上の失敗は単なるミスになる。プレッシャーは上がっています」
とはいえ、宇宙でアルコールが検出されたと分かったときは、「そこは安心しました」と、ほっとした表情を見せた。
宇宙で発酵した「日本酒」とは何か?
2025年10月、種子島宇宙センターからH3ロケットで打ち上げられたのは、宇宙専用に設計された醸造装置と、蒸米、乾燥麹、乾燥酵母などの原料だった。
それらはISS「きぼう」日本実験棟へ運ばれ、月面重力(1/6G)を模擬した環境下で醸造試験が行われた。宇宙で生成されたのは、完成した清酒ではなく、発酵途中の「もろみ」だ。アルコールの生成は確認されたが、もろみは現在ISSで凍結保存され、地球への帰還を待っている。

当初の計画では、約200ml相当のもろみを醸造し、そのうち約100mlを清酒として仕上げる。その一瓶は「獺祭MOON ― 宇宙醸造 ―」として販売され、すでに1億1000万円で落札されている。
この販売は、国内の宇宙事業への寄付を目的としたもので、獺祭側は全額を日本の宇宙開発事業に寄付するとしている。1億1000万円。数字だけを見れば、それだけでニュースになるが、このプロジェクトの本質ではそこではない。
宇宙という環境で、清酒の並行複発酵は成立するのか。それが確認できれば、酒造りは “地上の技術” ではなくなるかもしれない。かつて未開だった米国市場に挑み、ニューヨークでの酒造りを成功させたように、次の地平を切り拓く可能性もある。
そもそもなぜ宇宙に?「そこにお客さまがいれば、酒を作りたい」
プロジェクトの出発点は、会長・桜井博志の発想だった。「やりたかったから」それが本人の率直な言葉だ。しかしその背景には、将来人類が月で暮らす時代が来たとき、そこに “文化” を届けたいとの考えがある。

ワインは水分の多いブドウを運ぶ必要がある。一方、日本酒の原料である米は乾燥させれば軽量化でき、宇宙輸送に適している。「人が住むなら、おいしい酒も必要だ。そこにお客さまがいれば、酒を造りたい。それは私の信念の一つでもありますからね」ニューヨークに蔵を建てた経営者が、次に見据えたのが宇宙だった。
「失敗してもいい」という最強のセーフティーネットワーク
「 “失敗してもいいからやっていいよ” という会社のスタンスはありがたかったですね。絶対失敗するなよ、というプレッシャーだったら、逆にうまくいかなかったと思います」
さらに、宇宙事業を手がける三菱重工がパートナーとして加わったことは大きな助けになったといい、「本当におんぶに抱っこのようにお世話になりました。三菱重工さんじゃなかったら、ここまでできていません」と植月さん。

インタビュー中、印象的だったのはその冷静さだ。宇宙のプロジェクトリーダーと聞くと、どこか特別な人物像を想像してしまうが、目の前にいるのは、驚くほど “地球” に足のついた30歳だった。
今後の目標を聞くと、こう答えた。「地に足ついたことをやりたいなと思っています。いきなり『宇宙でお酒を作ってください』というのはハードルが高かったので、その分すごくいい経験になりましたし、『大抵のことはできるな』という自信にもなりました」
「より多くの人に獺祭を知ってもらいたい。宇宙は国境がない。今回できた宇宙関連のつながりも生かして、グローバルに広めていきたい」
まだ終わっていない挑戦
だが、本人が宇宙へ行きたいかどうかは別問題だと、笑みを見せる。「宇宙はずっと好きで、行ってみたいという思いは学生の頃からあったんです。でもこのプロジェクトを通して宇宙飛行士のストイックさを目の当たりにすると、まだ地球上に行きたいところはいっぱいあるな、と。司令官は、地球にいないといけないので(笑)」

ISSで凍結保存されているもろみは、取材時点ではまだ地球に戻っていない。アルコールは確認された。だが、プロジェクトはまだ終わっていない。回収、通関、検疫、分析、そして搾り。その全てを経て、初めて「宇宙で発酵した清酒」は完成する。
もしここまでたどり着けば、宇宙環境下での並行複発酵という世界初の試みのデータが蓄積される。それは話題性ではなく、長い歴史のある日本酒造りにおいての革命的な記録となる。
宇宙規模の挑戦を任されたのは、入社5年目、30歳の社員。けれど当の本人は、どこまでも冷静だ。「プレッシャーはもちろんありますが、寝れば大体忘れます」。そう言って緻密な研究を重ねるリーダーが、人類初の宇宙で発酵した清酒を、地上で待っている。
取材・文/ナガタミユ
写真/獺祭
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