産業革命を起こす勢いで進化中のAI。慶応義塾大学WPI Bio2Q特任教授の小山尚彦(こやまたかひこ)が、いまさら聞けないAIの基礎知識から最新のコンピューティング情報まで、分かりやすく解説。

小山尚彦(こやま たかひこ)慶応義塾大学WPI Bio2Q特任教授。1999年コーネル大学において物理学博士号を取得。武田薬品工業、IBMワトソン研究所を経て現職。専門はAIとQuantum Computingのライフサイエンスへの応用。武田薬品工業ではがんや中枢薬の研究、リード最適化などを行った。2014年にIBMワトソン研究所でワトソンゲノム解析のリーダーとなる。20年に発表した新型コロナウイルスの論文が中国科学院より先に発表され話題となる。大阪府出身。
フィジカルAIの定義と概要

フィジカルAIとは、ロボティクスとAIを統合し、現実世界で自律的に「考え」行動するマシンを指す新しい概念です。従来のAIが主にデジタル空間(ソフトウェア上)で完結していたのに対し、フィジカルAIはカメラやセンサーで物理空間を認識し、モーターやアクチュエーターで実際に環境に働きかけます。例えば重力や摩擦といった物理法則を理解し、センサーから得た情報を基に自律的に判断・学習し、ロボットの体を動かすのがフィジカルAIです。これは「身体を持ったAI」とも言われ、生成系AIの次のフロンティアとして注目されています。
なかでも、NVIDIA Physical AIの構想は、先進的です。仮想世界での学習から現実世界での実行まで、5つの主要技術が段階的に連携して構築されています。
まず全体の基盤となるのがNVIDIA Omniverseです。Physical AIのための物理原理が緻密に再現されたメタバース空間といったところでしょうか。Omniverseの基盤上に構築されるのがデジタルツイン技術です。これは企業などが物理的な対応物を設計、シミュレート、操作するために使用する製品、プロセス、設備であり、現実の工場や倉庫を物理法則も含めて完全に再現した「デジタルの練習場」を作り出します。
このデジタルツイン環境内で、ロボットは安全にさまざまな作業を試すことができます。このデジタルツイン環境の中で実際にロボットを動かすのがIsaac Simです。ロボットに具体的な作業手順を教え、さまざまなシナリオでテストを行います。Isaac Sim内でロボットが効率的に学習するための仕組みが Isaac Labです。この学習エンジンにより、ロボットは人間の動作を真似たり、試行錯誤を通じて最適な動作パターンを習得したりできます。最終段階では、Cosmosが重要な役割を果たします。この技術により、仮想世界で学習した内容を現実世界の視覚的条件に適応させ、シミュレーションと現実のギャップを埋めます。
ポイントは物理原理が緻密に再現された仮想空間で設計、開発、トレーニング、シミュレーションを行うことで大幅に開発を加速できるということです。もはや実機をいちいち作らなくても良いということですし、大規模並列化によるトレーニングが可能になっているのです。

ヒューマノイドロボット技術の最前線:競技から実用化まで
世界初のロボット競技イベント
2025年4月、北京で世界初となるヒューマノイドロボットと人間の合同ハーフマラソンが開催されました。21体のヒューマノイドロボットが数千人のランナーとともに21キロメートルのコースで競走し、北京ヒューマノイドロボット革新センターが開発したTien Kung Ultraロボットが約2時間40分で優勝しました。同年5月には杭州で世界初のヒューマノイドロボットボクシング競技が開催され、Unitree G1ロボットが直線パンチ、フックパンチ、サイドキック、空中回転キックを実演しました。
さらに、6月には、あまり好評ではありませんでしたが、3対3のサッカー大会も行われました。
手の器用さ:精密操作技術の進歩
ヒューマノイドロボットの実用化において、手の器用さは最も重要な技術要素の一つです。器用な操作とは、手のワークスペース内で任意に選択された異なる構成に、操作対象の位置と方向を所定の基準構成から変更する能力と定義されています。
技術的な進歩として、Linkerbotが開発したLinker Handは世界最高の42自由度を持ち、世界をリードするShadow Handの26自由度を上回っていると報告されています。また、MITの研究者は2000以上の異なる物体を再配向できるシステムを開発し、ロボットハンドが上向きと下向きの両方で動作可能な技術を実現しています。現時点では緻密さや感触のフィードバックが必要な作業には課題は残ります。
Imitation Learning:人間の動作模倣による学習
現代のヒューマノイドロボット開発において、Imitation Learning(模倣学習)が重要な学習手法として確立されています。訓練手法は主に3つあります。人間のトレーナーがロボットの隣で実際に動作を実演する直接的手法、人間のモーションキャプチャデータを使用する手法、そして日常的な人間の動作を記録したビデオデータを活用した手法です。これにより、物を運ぶ、蛇口をひねる、ドアを開けるといった日常的な操作タスクを効率的に学習できます。
中国では大規模な人海戦術的アプローチが特徴的です。上海当局はAgibotのデータ収集サイトの設立を支援し、約100体のロボットが200人の人間によって操作され、毎日作業する場所の家賃を無料で提供することにより、高品質で対象を絞ったデータを収集でき、それを使ってエンボディードAIモデルを訓練できる環境を構築しています。
実用例として、Adamは模倣学習フレームワークと人間の動作データを使用して卓越した移動性能を実現。UBTechは動的な産業環境での世界初の協調訓練をWalker S1ヒューマノイドロボットで展開し、工場自動化を革命化しています。
主要企業と技術競争
| ロボット名 | 開発企業 | 国/地域 | 価格 | 主な特徴 | 用途・目的 | 開発状況 |
| Atlas (Electric) | Boston Dynamic | アメリカ | 非公開 | 全電動、28自由度、チタン・アルミ3D印刷パーツ、動的バランス制御 | 産業・物流・災害対応 | 2024年発表、Hyundaiとの実用化進行中 |
| Tesla Optimus Gen 2 | Tesla | アメリカ | 非公開(目標2万ドル) | AI統合、製造・家庭両用設計、2025年限定生産開始予定 | 製造業・家庭補助 | 2025年内部使用開始、2026年大量生産予定 |
| Unitree G1 | Unitree Robotics | 中国 | $16,000~ | 23-43自由度、120N·m最大トルク、2m/s歩行速度、2時間バッテリー | 研究・教育・軽工業 | 量産開始済み |
| Unitree H1 | Unitree Robotics | 中国 | $90,000 | 大型版、高性能、産業用途 | 産業・研究 | 販売中 |
| Figure 01/02/Helix | Figure AI | アメリカ | 非公開 | 2025年2月OpenAI提携終了、独自AI「Helix」開発、BMW工場実証済み | 製造業・家庭 | 2025年商用化・家庭テスト開始 |
| Agility Digit | Agility Robotics | アメリカ | 非公開 | 人間型歩行、都市環境特化、動的敏捷性 | 物流・配送 | 商用化進行中 |
| AgiBot Yuanzheng A2 | AgiBot | 中国 | 未公開 | 49+自由度、7km/h歩行、針穴糸通し可能な精密作業、習近平主席視察 | サービス・製造・家庭 | 大量生産中(2024年末962台生産) |
国際的な競争状況
イーロン・マスクは現在の競争環境について、ヒューマノイドロボットに関して「Teslaに匹敵する会社は世界のどの国にもない」と自信満々ですが、2位から10位は中国企業になることを少し心配していると述べており、技術競争の激化を指摘しています。
中国政府は高齢者ケア計画を発表し、ヒューマノイドロボットとAIの統合を奨励。その直後、テクノロジー大手のAnt Groupが新子会社Ant Lingbo Technologyの設立を発表し、そのヒューマノイドロボットは高齢者ケアなどの分野に焦点を当てるなど、各国で産業政策としての取り組みが本格化しています。
ヒューマノイドロボット産業は、象徴的な競技イベントから、家庭用、介護、実験室、工事現場、農場、工場まで、多方面での技術実証を通じて急速に発展しており、今後数年間で実用化が大きく進展すると予想されます。ノルウェーのスタートアップ企業1Xは家庭用ヒューマノイドロボットNeo Gammaを2025年末までに数千の家庭で試験導入すると発表しています。今後数年で、深夜営業のコンビニやファミレスの店員がいつか突然ヒューマノイドロボットになっているかもしれません。

日本の負の経験と投資への影響
日本企業は過去にヒューマノイドロボット分野で先駆的な取り組みを行いました。ホンダのASIMOは2000年に発表され、二足歩行技術で世界をリードしていました。ソフトバンクのPepperは感情認識機能を搭載したコミュニケーションロボットとして注目を集め、まほろなどの実験ロボットも研究機関で開発されました。
しかし、これらのプロジェクトは商業的な成功に至らず、大きな投資に見合う収益を生み出すことができませんでした。ASIMOは技術的には優秀でしたが実用化には至らず、Pepperも期待されたほどの市場浸透を果たせませんでした。実験段階のプロジェクトも含め、これらの経験が日本企業のヒューマノイドロボット分野への新規投資に対する慎重な姿勢につながっています。
日本のロボット産業の実情
日本の産業用ロボット分野における地位は複雑です。現在の生産ロボット世代(溶接や他のタスクを実行できる大型アーム)は主に中国以外の企業が主導しており、日本のファナック、スイスのエンジニアリンググループABB、中国の家電メーカーMidea(わが家の窓付け型のエアコンがこのブランドです)が所有するドイツのKukaなどが含まれる状況で、製造技術では一定の地位を保っています。
しかし、実際の導入・活用面では異なる状況があります。中国は工場に設置される生産ロボット数で世界をリードしており、北米の3倍以上の数を誇るという現実があり、日本は製造技術では強みを持つ一方で自国内でのロボット活用率や導入規模では必ずしも世界をリードしているとはいえない状況です。また、中国で製造されるロボットに関しても中国国内での部品の国産化が進んでおり、日本の部品があまり使われていないようです。すなわち、Physical AI革命において、日本は完成品のみならず部品でも蚊帳の外にいるのです。
破壊的技術としての脅威
ヒューマノイドロボットはクリステンセン著のイノベーションのジレンマでたびたび出てくる破壊的技術(disruptive technology)として、既存の産業用ロボット市場を根本から変える可能性があります。ヒューマノイドロボットはLLMを活用することで、人間が働く環境にそのまま適応でき、既存の工場設備を大幅に変更することなく導入できるためです。最初はたどたどしいところがあるかとは思いますが、短期間で多彩なことが正確にできるようになると予想されます。
政府の強力な支援の下、多数のスタートアップが急速に技術開発を進めている中国や、ボストンダイナミクス、Agility Robotics 、Figure AI、Teslaを含む強力なプレーヤーを持つアメリカと比較すると、日本は製造技術での優位性があっても実用化と大規模導入における積極性で後れを取る可能性があります。また、ソフトウェアの開発も日本の製造業の弱点になっています。
過去の投資失敗の経験からくる慎重姿勢が、この破壊的技術の波において日本の既存の優位性をも脅かすリスクを生み出している状況といえます。本業で手一杯かもしれませんが、日本の自動車メーカーにはぜひ参入を検討してもらいたいものです。もちろん、アカデミアやスタートアップ企業にも頑張ってほしいところです。
先日、北京大学に招待されAIならびに量子コンピューターの講義を行いました。その際、北京大学の学生にも調べてもらい、机器人大世界という施設に地下鉄を乗り継ぎ2時間ほどかけて行きましたが、残念ながら、建設中の展示施設があるだけで肝心の本体は見つかりませんでした。

次回予告:
次回はArtificial General Intelligence(AGI)について解説します。お楽しみに。
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