2025年7月18日 COLUMN アートのパワー

アートのパワー 第57回 ネルソンA.ロックフェラーとその不朽の遺産(1)

メトロポリタン美術館のマイケルC.ロックフェラー・ウィングが4年間の改修工事を経て、2025年5月31日一般公開された。このウィングは、1961年にパプアニューギニアで失踪したネルソンA.ロックフェラーの息子、マイケルにちなんで命名された。

メットの垂れ幕

オールドマネーの家系

メトロポリタン美術館のマイケルC.ロックフェラー・ウィングの再オープンは、ロックフェラー家三世代の、100年にわたる努力の集大成である。新ウィングは、世界における芸術の定義と展示のあり方に永続的な遺産を残すものでもある。その始まりは、ロックフェラー二世の妻アビー・オルドリッチがフォークアートや西洋中心主義の芸術機関では扱われなかったヨーロッパ近代美術に関心を持ったことにある。彼女は1929年、大恐慌の引き金となった株式市場の暴落からわずか1か月後に、近代美術館(MoMA)を設立する主導的な役割を果たした人である。息子のネルソンA.ロックフェラーは、アフリカ、オセアニア、古代アメリカの美術品に惚れ込み、1954年には、MoMAの向かいにある家族の邸宅(西54丁目10番地)の隣に「原始美術館(Museum of Primitive Art)」を建てたほどだった(後にメットに寄贈)。

新しいウィングは、1961年にオランダ領ニューギニア探検中に悲劇的に消息を絶ったネルソンの息子、マイケルC.ロックフェラーを記念するものである。マイケルの双子の姉メアリー・ロックフェラー・モーガンの、家族の遺産を保存・展示したいという強い思いが、このウィングの完成を支えた。資金の一部は幾つかのロックフェラー関係財団などから供与された。

ロックフェラー家は「オールドマネー・ファミリー」として知られるアメリカの複数世代にわたり富を蓄積した名家で、その財産はジョンD.ロックフェラー・シニア(1839–1937)が1870年に設立した石油会社スタンダード・オイルによって築かれた。ロックフェラー家はアメリカ独立戦争以前にドイツから移住してきた。一族の著名な業績や社会貢献には、ジョンD.ロックフェラー・ジュニア(1874–1960:国連本部の土地を寄付、ロックフェラー・センターの開発)、妻のアビー・オルドリッチ(1874–1948:MoMAの共同設立者)、ジョンD.ロックフェラー・シニアとジュニア(1913年にロックフェラー財団を設立)、ウィンスロップ・ロックフェラー(1902–1973:アーカンソー州知事(1967–1971)として州の人種統合を完了)、ジョンD.ロックフェラー3世(1906–1976:ユナイテッド・ネグロ基金の設立)、デヴィッド・ロックフェラーSr.(1915–2017:チェース・マンハッタン銀行のCEO)、ジョン・“ジェイ”・ロックフェラー4世(1937-:ウェストバージニア州選出上院議員(1985–2015))、等がある。

オールドマネーの家系によく見られるように、ロックフェラー家も控えめでプライバシーを重んじ、財産と影響力を目立たないように管理することで知られている。フィランソロピー(慈善活動)が広く知られるようになっても、個人よりも設立した財団や関連組織を通じて活動することを望む。ネルソンA.ロックフェラー(1908–1979)は、外交的で起業家的な魅力にあふれた政治家・慈善家だった。

幼少期のネルソンは、ディスレクシア(読字障害)に苦しみ、文字の左右反転や暗記の困難といった典型的な症状があった(正式には診断されていなかった)。彼は、ロックフェラー家が支援していたコロンビア大学教育学部に付属するリンカーン・スクールに通った。この学校はジョン・デューイの教育理念に基づいた実験的かつ進歩的教育を実践し、暗記よりも体験学習や批判的思考を重視していた。教師たちは、彼が関心のある分野では並外れていることに気ついた。このような教育環境が、学習障害があっても彼に必要な能力を与えた。彼が正式にディスレクシアと診断されたのは50代になってからだった。副大統領時代には、「学び方の違いは成果を妨げる障害ではなく、むしろ独自の強みや問題解決能力を育てる要素となる」と訴えた(『メンタルヘルス』2013年12月号)。大人になっても彼は口頭のブリーフィングに頼り、スピーチ原稿は24ポイントの大きな文字で印刷されても読むのに苦労していた。

(参考文献:リチャード・ノートン・スミス著『オン・ヒズ・オウン・タームズ — ネルソン・ロックフェラーの生涯』2014年)

パプアニューギニア・アスマット族、一本の木から彫られた木柱像“ビス(bisj)ポール” ca1960
パプアニューギニア・アスマット族、一本の木から彫られたカヌー、約15.24 メートル ca1961

文/中里 スミ(なかざと・すみ)

アクセサリー・アーティスト。アメリカ生活50年、マンハッタン在住歴38年。東京生まれ、ウェストチェスター育ち。カーネギ・メロン大学美術部入学、英文学部卒業、ピッツバーグ大学大学院東洋学部。 業界を問わず同時通訳と翻訳。現代美術に強い関心をもつ。2012年ビーズ・アクセサリー・スタジオ、TOPPI(突飛)NYCを創立。人類とビーズの歴史は絵画よりも遥かに長い。素材、技術、文化、貿易等によって変化して来たビーズの表現の可能性に注目。ビーズ・アクセサリーの作品を独自の文法と語彙をもつ視覚的言語と思い制作している。

RELATED POST