2025年7月24日 NEWS DAILY CONTENTS

NYで起きた悲劇…全米を震撼させた子どもの誘拐事件「イータン・パッツ君事件」が振り出しへ

1979年にニューヨークで起きた子どもの行方不明事件「イータン・パッツ君事件」について連邦控訴裁判所は21日、2017年にボデガ店員ペドロ・ヘルナンデスに下された有罪判決を破棄、または釈放を命じた。決定はマンハッタン地方検察官のアルヴィン・L・ブラッグ氏に委ねられる。

イータン君のポートレート。母親のジュリーさんと父親のスタンリーさん(1985年撮影)

ヘルナンデスは数十年に及ぶ警察の捜査の末、12年に逮捕。しかしその後、陪審員一致とならず裁判が中止され、2度目の裁判で有罪となっていた。ヘルナンデスはエタン君殺害を自白していたが、精神疾患と妄想の既往歴が記録されており、控訴審の審理委員会は裁判官が陪審員に誤った指示を与えたとして、有罪判決を破棄した。

◆ 小児性愛者の男が浮上

ヘルナンデスの有罪判決が覆されたことで、イータン君の行方不明事件で長年主要な容疑者とされていた男の存在が再び注目されている。23日付のNYポストが伝えた。

男はホセ・アントニオ・ラモス(82)。ヘルナンデスの刑事弁護人、ハーヴェイ・フィッシュベイン弁護士によると、ラモスは、イータン君のベビーシッターをしていた女性と親しく、行方不明になった当日、その女性の家族の家にいた。ホームレスだったラモスはベッドや宗教用品、子どものおもちゃを置いた排水溝で暮らしていた。ニューヨーク市警察(NYPD)は、ラモスの住処から当時タイムズスクエアに多くあった成人指定映画館近くで撮影された、若い少年たちとの複数の写真を押収。ラモスは10歳の少女との性行為を認めた後、2件の児童性犯罪で27年間服役、12年に釈放された。

フィッシュベイン弁護士は「(ヘルナンデスは)1979年に事件現場付近で働いていたが、事件と結び付く物的証拠は何もなかった」と主張する。ヘルナンデスの自白は、7時間に及ぶ警察の取り調べ中に得られたもので、彼は精神障害のためフェンタニルを含む薬物を投与されていた。捜査官に対し、エタン君を「(ソーホーにあった)ボデガの地下室に誘い込んで絞め殺し、まだ息があった遺体を野菜の箱に詰め込み、1ブロック半離れた路地に捨てた」とした。エタン君の遺体は発見されておらず、彼が消えた日にヘルナンデスと一緒だったと証言する目撃者はいない。

ラモスは性暴力犯罪者カテゴリーの中でも最悪の「レベル3」に分類され、現在もニューヨークの性犯罪者登録簿に掲載されている。国外逃亡した模様で、最後の住所はフィリピンとされている。

◆ 事件きっかけに捜査方法が変わる

イータン君行方不明事件は全米的な捜索活動となり、牛乳のパッケージに失踪被害者として初めて掲載された子どもとなった。レーガン大統領(当時)は1983年、エタン君が失踪した5月25日を記念し、「行方不明子どもの日」を制定。同事件は、警察当局の行方不明児童対処法を変革し、FBIの犯罪データベースと連携する全米的なシステムの必要性を浮き彫りにした。また、全米行方不明・虐待児童センター(NCMEC)の設立も促した。

                       
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