2025年8月7日 COLUMN 山田順の「週刊 未来地図」

山田順の「週刊:未来地図」 私たち日本人は何者なのか?どこから来たのか? (下)

最新の研究で判明した古代史ストーリー

祖先は「縄文系」「関西系」「東北系」の3系統

 2024年4月、理化学研究所が、「3重構造モデル」を強化する研究を公表した(『全ゲノム解析で明らかになる日本人の遺伝的起源と特徴』〈Science Advances2024年4月17日号〉)。  この研究報告は、バイオバンクジャパンから提供された3256人の日本人の全遺伝情報(ゲノムとは個々の遺伝情報を全部集めたもの)を分析し、日本人の祖先は、3つの源流をもとにつくられたとした。  3つの源流とは、「縄文系祖先」「関西系祖先」「東北系祖先」。大雑把に言うと、「縄文系祖先」は、縄文時代に暮らしていた人々の遺伝的な特徴を受け継いだ人々で、金沢大学の研究が縄文人とした集団。
 「関西系祖先」は、東アジア、とくに古代中国の黄河流域の民族と共通する遺伝情報を持つ人々。
 「東北系祖先」が縄文人の遺伝的要素と弥生時代に大陸から渡来した人々の遺伝的要素が混ざり合って形成された人々である。

弥生時代から東アジアからの大量移住があった

 2025年1月4日の日経記事「現代日本人のルーツ、弥生時代の渡来人はアジア2系統か」によると、東邦大学の水野文月講師と東京大学の大橋順教授らは、約2300年前の弥生時代の人骨のDNAの解読に成功した。
 それによると、弥生時代に日本にやってきた人々は、東アジア系と北東アジア系の2系統のDNAを併せ持つ人々で、朝鮮半島から日本列島に渡ってきて、縄文人と混ざり合って現代日本人の祖先になったとした。
 「3重構造モデル」では、現代日本人の東アジア系の遺伝子は古墳時代以降の渡来人の影響が大きいとされたが、この研究では、弥生人がすでに東アジア系の遺伝子を持っていたことが判明した。
 となると、日本には弥生時代以降、絶え間なく大陸、朝鮮半島経由の人々がやってきたことになり、「2重構造」も「3重構造」もそれほど大きな違いではないことになる。
 DNA解析は、今後もどんどん進むので、そうなれば、朝鮮半島や中国東北部などの古代DNAと比較することで、日本にやって来た集団の具体的な系統が、もっと細分化され具体的にはっきりするという。

「出アフリカ」で広がった現生人類が日本に到達

 さて、さらに時代をさかのぼって、私たちの起源を見てみよう。まずなんといっても述べなければならないのは、私たちホモ・サピエンスの起源はアフリカであり、約6万年前にアフリカを出て(出アフリカ)、世界に広がったということだ。
 子どもの頃の歴史では「北京原人」や「ジャワ原人」などがいて、この人々が祖先に連なると習ったが、これは間違い。彼らは「原人」と呼ばれたグループで、ホモ・サピエンス以前に大陸各地へ広がった人類で、私たちの直接の祖先ではない。
 ただし、こうした直接の祖先ではない人類は、世界各地にいて、その代表が「旧人」のネアンデルタール人。長く現生人類はネアンデルタール人とは混じらなかったとされたが、遺伝子研究により約5万年前に一部地域で混血していたことが判明し、大きなニュースになった。
 ただし、縄文人とネアンデルタール人に関連があるのかどうかは判明していない。わかっているのは、日本列島で発見された最古の人骨が約2万7000年前だということ。

地続きだった大陸から祖先たちはやって来た

 3月15日から6月15日まで、上野の国立科学博物館で特別展示中の「古代DNAー日本人のきた道ー」という特別展が開かれていた。
 入場して出会う最初の展示は、日本最古の人骨の一つとされる「4号人骨」。2008年、沖縄県の白保竿根田原洞穴遺跡で発見されたもので、長らく年代の特定ができなかったが、近年、最新のDNA解析により、約2万7000年前のものと判明した。
 性別は男性で身長は160~165センチ。体つきは頑丈だが外見はスリムで、がっしりとした風貌、南方系の顔立ちである。つまり、この頃、現生人類は日本列島で確実に暮らしていたことになる。
 ただし、それ以前、約4万年前には日本列島に現生人類が到達していたというのが定説である。確たる証拠はないが、考古学ではそう考えられている。その時点から縄文時代が始まる1万6000年前までの間、旧石器時代についてまだわかっていないことが多い。
 言えるのは、約2万年前の最終氷期には、海水面が現在よりも100~130メートルほど低かったため、日本列島と大陸は陸続きだったこと。そのため、遠い祖先たちは
さまざまなルートでこの日本列島にやって来たのだ。

日本人の遺伝子の90%が弥生時代以降のもの

 縄文時代は1万3000年ほど続いた。そして、いまからからおよそ2900年前に、大陸から九州にやって来た渡来人が稲作文化を伝え、弥生時代が幕を開けた。渡来人と縄文人は混血し、さまざまな遺伝的ルーツを持つ「弥生人」が誕生した。
 進化人類学の第一人者、国立科学博物館館長の篠田謙一氏によると「縄文人のゲノムはすべて読めているが本州の日本人では(平均)10%が縄文人の遺伝子で90%は弥生時代以降入ってきた遺伝子」と言う。
 また、「弥生時代にはたくさんの遺伝的変異を持った人たちがこの日本列島で暮らしていた。弥生人と言うが誰か1人をもって弥生人の代表とは言えない」とのこと。
 さらに、「日本人はどこから来たのかとよく言うが、日本人という概念は、わたしたちが作るこの社会の中で歴史的、文化的に形成されてきたもの。本質論的に『日本人の遺伝子』などがあらかじめ決まっているはずもない」とも。
(以上、『プレジデント Online』2025/04/05配信記事「いまの日本人のDNAは「大陸から来た渡来人」が9割…最新のゲノム研究でわかった日本人の意外なルーツ 4万年前のホモ・サピエンス上陸から縄文時代までの謎 」より)

この続きは8月8日(金)発行の本紙(メルマガ・アプリ・ウェブサイト)に掲載します。 
※本コラムは山田順の同名メールマガジンから本人の了承を得て転載しています。

山田順
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。主な著書に「TBSザ・検証」(1996)、「出版大崩壊」(2011)、「資産フライト」(2011)、「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)、「円安亡国」(2015)など。近著に「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。

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