生まれは19世紀
スタインウェイは誰もが知っている世界一のピアノメーカーだ。同社のグランドピアノは最小タイプでも800万円は下らない。だが、その本社工場がニューヨークのクイーンズ区にあることはあまり知られていない。しかも今年で創立164年を迎える19世紀生まれの「100年企業」なのだ。
一体、何がこの会社を長生きさせているのだろうか? 同社マーケティング部長のアンソニー・ギルロイさんは言う。
「それは、私たちが世界最高峰のピアニストが極上の音を出せるように、最大限の心と技を込めて、創業以来変わらぬ手法でピアノをこしらえてきたからに他なりません」

巨匠たちが愛するスタインウェイのグランドピアノ。1台1000万円近い
デジタル時代の21世紀、米国でも日本でも生ピアノを自宅で弾く人口は右肩下がりだ。なのに製造コストが高く品数も少ないスタインウェイの高級ピアノは売り上げを伸ばしている。なぜだ?
「大事なのはアーティストとの信頼関係です。私たちの技術と製品は決して彼らの期待を裏切らない。彼らは黙っていてもスタインウェイを買う。そして彼らを育てる一流の音楽学校やピアノ教師もスタインウェイの信奉者です」と断言するギルロイさん。疑う人にはまず、自社工場を見ていただきたいと袖を引く。はやる心を抑えつつ、ここはまず同社の歴史をおさらいしてから、工場見学へと進みたい。

「職人の手作り」を熱く語るマーケティング部長のギルロイさん
126もの新案特許
19世紀の初めドイツのゼーセンで家具製造の経験を母体にピアノ工場を起こした創業者ヘンリー・スタインウェイは、地元でそこそこ成功すると迷わず新天地米国を目指し、1853年ニューヨークでピアノ製造業を立ち上げた。当時のニューヨークといえば、ビルがまだ6階建て程度。ニューヨークタイムズが創刊され、セントラルパークの建設計画がようやく始まったころだ。音楽家でいうとブラームスやシューマンらロマン派の最盛期。音楽堂でオーケストラの大音響に酔いしれ、家庭ではピアノを囲んで室内楽を演奏するのが文化的市民の嗜みと考えられていた。
ドイツから腕利きの職人を次々に呼び寄せたヘンリーは、緻密な木工技術に加え、音響工学を駆使して飛躍的に響きがきらびやかで、しかも音量が大きいピアノを開発した。57年の時点で、126もの新案特許を獲得。ニューヨーク発のスタインウェイは、まさに新時代のピアノだった。大ホール向きの豊かな音量は室内演奏専用だったヨーロッパの従来型ピアノとは一線を画し、世界各地の見本市で絶賛され、ピアノ会社はこぞってスタインウェイをまねし始めた。

スタインウェイのニューヨーク本社工場は19世紀の建築
76年には現在のクイーンズ工場を開設。従業員の大多数を占めたドイツ移民の福利厚生を考えて、同社は周辺の住宅地を開発し教会や学校を建設。休日用に観覧車付きの遊園地まであつらえ、果ては路面電車まで敷いてしまった。その名もスタインウェイビレッジ。今でいう「企業城下町」のハシリだ。19世紀には、車やコンピューターではなく「ピアノ」で町ができた。そんな時代の精神がスタインウェイ社の根底には脈々と生きている。次回は、いよいよ19世紀の工場に足を踏み入れる。(6月16日号に続く)
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スタインウェイ&サンズ社
1853年ニューヨーク市で創業。創業者ハインリッヒ・シュタインヴべーグ(英語名ヘンリー・スタインウェイ)とそのサンズ(息子たち)による堅実な家族経営と徹底したドイツ流の手作り職人技で米国を代表するピアノ製造会社に成長。リスト、ラフマニノフ、チャイコフスキー、ホロビッツら世界の巨匠ピアニストから名器と称賛され、現在もラン・ランや内田光子からビリー・ジョエル、ダイアナ・クラールまでプロ演奏家の20人に19人はスタインウェイを愛用する。
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取材・文/中村英雄 映像ディレクター。ニューヨーク在住26年。人物、歴史、科学、スポーツ、音楽、医療など多彩な分野のドキュメンタリー番組を手掛ける。主な制作番組に「すばらしい世界旅行」(NTV)、「住めば地球」(朝日放送)、「ニューヨーカーズ」(NHK)、「報道ステーション」(テレビ朝日)、「プラス10」(BSジャパン)などがある。
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