ニッポン人1年生②

14時間の時差があるニューヨークはまだ今日の午前中。いま電話をかければつながりやすいはずだ。そう考えたぼくはフロントの若者にニューヨークの旅行会社の電話番号を伝えた。しかし彼が何度かけてもなぜかつながらない。
「すみませんが、電話がつながりません」
もう手を尽くしましたと言いたげに若者は答えた。すでに深夜。予定ではとっくに冷えたジャパニーズビアーで喉を潤している時間だ。「もういいや」と疲れ切っていたぼくは泣く泣くキツエンシツにステイすることにした。
「こちらが部屋のキーになっております」
フロントの若者はマニュアル通りのセリフを素っ気なく言った。
「日本ってこんなんだっけ?」
なんだか機械と話しているような気分だ。人情あふれる昭和の日本はどこへ行ってしまったのだろう。ぼく独りだけ過去に取り残されたのだろうか。フロントとのやりとりでいっそう重く感じるスーツケースを引きずりエレベーターに乗った。そして9階。ドアが開いた途端、鼻の奥へ入り込んで来たタバコ臭はかつて経験したことのない強烈なものだった。
「Jeez!」
吐き気がしそうだ。一目散に部屋に入るや窓を開け放し暖房を最強にして、それから…メールして…えーっと…zzz…。
ここは夢の国、日本。窓にそよ吹く風は少し湿り気があってほんのりと緑の息づく匂い。朝6時。何事もなかったかのようにそよぐレースの白さが薄っすらと目に映り、ぼくは夜明けの静寂の心地よさにまどろみながらも、再び鼻につき始めたタバコ臭い枕から早く離れたいという意識に急かされるよう目が覚めた。眠れたのは3時間。疲れはほとんど取れていない。それでも昨日までとは明らかに違う今日が始まろうとしていた。
「そう言えば朝食が用意してあるって」
朝食のビュッフェが1階で食べられると言っていたのを思い出すと、急にお腹が空いてきた。まだ7時前だから誰もいないだろう、そう思って下へ降りて行くと既にフロントの辺りまで長い列ができていて驚いた。しかも全員日本人?ってそれもありか。でも正直ちょっと違和感がある。いやいや、そんなことよりもビュッフェ会場の方からなんともいい匂いが漂ってきた。何十年も前に戻ってきたような、心に染みるこの懐かしさ。
「Oh, God! なんていい香りだろう」
長い列をなす黒い髪の人々もきっとこの匂いに引き寄せられたに違いない。ぼくももういちどフロアに広がるみそ汁の匂いを胸の奥まで吸い込んだ。
おわり

Jay
シェフ、ホリスティック・ヘルス・コーチ。蕎麦、フレンチ、懐石、インド料理シェフなどの経験を活かし「食と健康の未来」を追求しながら「食と文化のつながり」を探求する。2018年にニューヨークから日本へ拠点を移す。
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