連載215 山田順の「週刊:未来地図」 カネで学歴が買えるアメリカ (下) "裏口入学"はそれほど悪いことなのか?

なぜアメリカでは“裏口”は合法なのか?

 それでは、なぜ、アメリカでは、日本では“裏口入学”とされることが、“裏口”(違法)にならないのだろうか? アンフェアなことを極端に嫌う国なのに、なぜ、「レガシー」や「寄付金」による入学を許しているのだろうか?
 それは、アメリカの名門大学の多くが私立大学だからだろう。私立大学は、入学金や授業料だけでは維持できない。高度な教育、最先端の研究、質の高い教員たちを維持するためには、やはり資金が必要であり、そのためには寄付金は欠かせない。要するに多額の寄付金があれば、それによって名門も維持できるのである。
 それに私立ということは、そこには創立者や出資者がいて、そもそも、彼らが自分たちの子息に、自分たちが理想とする教育を施そうと大学をつくったという経緯がある。ハーバードなどの名門大学は、アメリカが国になる以前に創立されていたので、その歴史から言えば、どのように選考しようと、どのように教育を行おうと自由というのが、伝統と考えられる。
 ただし、「レガシー」は第1次世界大戦以後に定着しており、WASP(ワスプ)たちが自分たちのコミュニティーを守るためにつくったとも考えられる。
 つまり、ワスプを多く受け入れることで、それ以外の学生がどんな高い得点を取ろうと「校風に合わない」と不合格にすることができるからだ。もし、現在のアメリカで、学力選抜だけで入学者を決めれば、おそらく中国人学生がマジョリティになってしまうことは間違いない。学内は中国人学生があふれる。
 どんなシステムにも利点と欠点がある。
 親の「レガシー」や「寄付金」だけで、努力もせず、成績も悪い子供が名門に入れてしまうのは、富の偏在を助長し、社会階層を固定化してしまう欠点がある。しかし、貧しい家庭に生まれて努力と成績だけで名門に入った子供が、このような階層上位の子供と大学で友人になり、コネができることは、実力だけではできない上流社会に登れるチャンスも提供している。
 もし、学生のすべてが学力と試験成績だけで入学を許されるとしたら、そうした大学は多様性を失い、かえってエリート特有の特権意識の人間ばかりつくってしまうのではないだろうか?

「レガシー」も「寄付金」も利かない大学

 日本の大学は学力ヒエラルキーによって順位づけられている。また、私立大学にも多額の国から補助金が投入されているので、アメリカの名門私立大学のようなことは許されない。
 しかし、それは「表向き」であり、裏ではそれをやっているようだ。先日、発覚した東京医大の裏口入学のケースは、まさにその典型だった。
 いずれにしても、高等教育でもっとも大事なのは、多様性ではないだろうか。私は、そう確信する。そのためには、“正面口”と“裏口”があっていいと思う。もちろん、今回のような賄賂と詐欺による“通用口”はあってはならない。
 ただ、この“通用口”を利用するのはよほどできの悪い子供だと思うので、名門に入った場合、卒業はかなり難しいだろう。卒業にも“通用口”があるなら別だが、名門大学での学位取得はそれほど簡単なものではない。
 欧州の大学は、英国にしてもドイツにしても、ほとんどが国立と公立で、私立は少ない。そのため、アメリカのような「レガシー」と「寄付金」は利かない。
 また、アメリカの名門でも、たとえばMIT(マサチューセッツ工科大学)やCALTECH(カリフォルニア工科大学)などには、「レガシー」と「寄付金」の制度はない。半官半私のカリフォルニア大学群のUCLAやUCバークレーなども、以前はあったが、いまはこの制度を廃止している。
 そういう見方からすると、アイビーリーグ8校やスタンフォードなどが「レガシー」と「寄付金」を維持しているのは、名門私立特有のケースだと言えるだろう。アメリカに数多くの州立大学があるが、そういうところでは「レガシー」も「寄付金」も利かない。

被害者は真面目に勉強してきた学生たち

 かつて、教育は、国が国民に平等に与えるものだった。近代国家で、そういった画一的な教育が重視されてきたのは、それによってできた人材が国を発展させると考えられたからだ。だから、教育は全国民に機会均等に与えられ、大学では学力による公平な選抜が行われた。日本はそういう国だった。貧しくとも試験さえ通れば大学にいけ、立身出世がかなった。
 しかし、現在、大学全入時を迎え、日本でもアメリカでも名門大学への進学はますます難しくなり、貧困家庭の子供はいくら勉強ができても名門進学がかなわなくなった。統計データによると、富裕層の子供のほうが貧困層の子供より、はるかに学力が高いので、どうしてもこうなってしまうのだ。 
 そういう側面から見ると、日本よりアメリカのほうが、奨学金が充実している面で、日本よりましのように思える。日本の奨学金はほとんどが教育ローンにすぎないからだ。
 いずれにしても、貧富の差によらず、より多くの子供が高等教育を受けられることが理想だ。親の所得階層が子息に引き継がれ傾向が続けば、社会は硬直し、発展しなくなる。 
 今回の事件では、さまざまな意見が出されたが、“裏口入学”にかかわった人々は、誰もソンをしていない。親は、“裏口入学”にそれ相応の金額がかかることを納得して払っていたし、それにより入学に成功している。子供たちも、名門大学生というステータスを手に入れている。
 また、大学側もセレブや金持ちの子供が入ることで、いずれそれなりの恩恵がある。さらに、賄賂を受け取った試験官などの関係者のフトコロも潤った。
 となると、被害者がいない事件となるが、じつはそうではない。
 被害者はいる。それは、日々真面目に受験勉強に励んでいる学生たちだ。今回の“裏入学”の向こう側には、本来なら入れた真面目な学生たちが、数十人はいたことになる。
(了)

【山田順】
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。
2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。
主な著書に「TBSザ・検証」(1996)「出版大崩壊」(2011)「資産フライト」(2011)「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)など。翻訳書に「ロシアンゴッドファーザー」(1991)。近著に、「円安亡国」(2015 文春新書)。

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