アートのパワー 第22回 ルース・アサワ(3)

アートのパワー 第22回
ルース・アサワ(3)

 

ルース・アサワの作品はブラック・マウンテンにいた時から認め始められていて、西海岸でも展示されるようになっていたが、作品が「装飾的」「クラフト」と解釈され、「オリエンタル」(西洋人がアジア人を見下す表現)「主婦」のレッテルを貼られていた。当時、天井からぶら下がる彫刻は、アレクサンダー・カルダーのモビールくらいしかなく、彼の作品自体も疑問に思われていた。  

東海岸のエスタブリッシュメントは西海岸のアーティストをマトモに受け入れたがらなかった。6年間ニューヨークの画廊(ルイーズ・ブルジョワと同じ画廊)と独占契約をしていたが、商業的に生産するように頼まれ、契約の更新を断った。経済的には家族の生活にプラスになったかも知れないが、ルースは自分の家族と創作を最も大事にした。  

作り続けた作品は、彼女の人生経験を活かしていた。子供の時に足で泥に描いた描画、ワイヤーで直した野菜の木箱、メキシコで学んだバスケット(籠)作り、アルバースから学んだバウハウスのデザイン――空間に構成する複雑な有機的デザイン、透明なワイヤーの彫刻は外側だけでなく内側にも形を作り出す、ルース独特の表現である。ルースは、子供達の芸術教育、コミュニティーのための活動に尽力した。その結晶として実現したのが、1982年サンフランシスコに設立された公立美術高校(ニューヨーク市にあるラガーディア公立高校がモデル)だった。ブラック・マウンテン・カレッジでアーティストたちから学んだことを忘れず、子供たちがプロのアーティストたちから直接学び、一緒に作業することの重要性を確信していた。同校は2010年、彼女の名誉を讃え、ルース・アサワ・サンフランシスコ芸術学校に改名された。  

 

「無題」(Shell)c1969 インク、水彩、色鉛筆、和紙
「無題」(Paul Lenier on Patterned Blanket) 1961 felt-tip pen, 紙

1989~1997年にはサンフランシスコ・デ・ヤング美術館の理事を務めた。デ・ヤング美術館に作品13点を寄付し、誰もが作品が見られるように入場料を払わなくでも見られるスペースを要求し、もし入場料を課したら作品を撤収すると条件をつけた。アーティストの作品の再販に対し、作品が転売される時点でアーディストにロイヤルティが払われないこと、特に顧客が所有していた作品を再販(転売)するオークションハウスに対してアーティストの再販権を訴え続けていた。

 ルース本人は生涯、質素ながら、豊かな人生を送った。しかし晩年、娘のアディーがルースの看護費用の支払いに苦労し、ルースが長年宝物にしていたアルバースから贈られた絵に目を留めた。アルバースの作品を扱っているクリスティーズ・オークションハウスに飛び込みで電話をしたところ、ルースの作品の再発見となり、2013年にクリスティーズにて初めての包括的な『ルース・アサワ展(Ruth Asawa: Objects and Apparitions)』が開催される運びとなった(同年アサワは逝去)。その中の一つ、11フィートのワイヤー彫刻作品は140万ドルで落札された。  

2021年にチェルシーにあるディヴィッド・ツヴァーナー(David Zwirner)画廊で、アサワ展『 All Is Possible』を見た。初めてアサワ作品の全貌を見て感服した。メガ画廊のツヴァーナーが2017年からアサワ作品の代理画廊となっている。ホイットニー美術館での今回の個展は、ツヴァーナーの個展に劣ると思う。美術館では、予算、保険、賠償金、組織上、運営理事らの意見などで展覧会をまとめるのに時間がかかる一方で、メガ画廊は独自の判断で、予算も確保しやすく、美術館レベルの展覧会が速やかに企画できるためである。おまけに、メガ画廊での展覧会は入場無料である。  

現在、ニューヨークには、ペース(Pace Gallery)、ガゴシアン(Gargosian Gallery)、ツヴァーナー(David Zwirner)、及びハウザー&ワース(Hauser &Wirth)の4軒のメガ画廊がある。それぞれ、ロサンゼルス、ロンドン、パリ、香港等、海外に出店を拡張している。ペースは2024年春、麻布に画廊をオープンする(いずれも入場無料)。

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文/ 中里 スミ(なかざと・すみ)

アクセアサリー・アーティト。アメリカ生活50年、マンハッタン在住歴37年。東京生まれ、ウェストチェスター育ち。カーネギ・メロン大学美術部入学、英文学部卒業、ピッツバーグ大学大学院東洋学部。 業界を問わず同時通訳と翻訳。現代美術に強い関心をもつ。2012年ビーズ・アクセサリー・スタジオ、TOPPI(突飛)NYCを創立。人類とビーズの歴史は絵画よりも遥かに長い。素材、技術、文化、貿易等によって変化して来たビーズの表現の可能性に注目。ビーズ・アクセサリーの作品を独自の文法と語彙をもつ視覚的言語と思い制作している。

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