第9回 教えて、榊原先生! 日米生活で気になる経済を専門家に質問 「日本の賃金上昇」

 

第9回 教えて、榊原先生!
日米生活で気になる経済を専門家に質問

「日本の賃金上昇」

 

 Q. 日本の賃金はこれから上がるのでしょうか?

日本株が比較的好調で、日経平均株価指数のバブル期越え、34年振りの新最高値更新が視野に入ってきたとの見方も出ているようです。日本企業の収益が好調な状況を反映しています。加えて、政府が推し進めているコーポレート・ガバナンス改革により、企業がこれまでより稼ぐ力や利益率の改善に取り組み、資本コストや株価を意識した経営が強化されていくことへの期待もあるでしょう。その中で、当然のように、会社や資本家だけではなく、労働者はどうなんだ?という点にも注目が集まっています。

昨年春の春闘では、世界的なインフレや円安の影響による国内物価上昇を受けて連合が「5%程度」の賃上げを目標とする方針を掲げ、最終的な集計結果で平均賃上げ率3.58%となり、93年以来の高い伸び率となりました。果たして、今年の春闘を控え、労使交渉は高い賃上げを実現できるでしょうか。

日本の賃金についてググると、「いつ上がるのか」「なぜ上がらないのか」などの検索結果が多く並びます。それほど上がっていないわけですが、昨年は春闘が高い賃上げ率での合意を受けて上がったはずでは? 毎月勤労統計というデータでみると、つい2月6日公表された速報では、2023年年間の所定内給与(所定の労働時間に対して支払われるきまった給与で、いわば基本給的な平均)は1.2%の上昇にとどまり、22年の1.1%とほとんど変わりませんでした。現金給与総額も1.2%と、22年の2.0%からむしろ鈍化しています。特に昨年は物価が大きく上昇したため、総額の実質賃金に至っては全体で2.5%の大幅なマイナス。賃金が増えた感など全くないでしょう。

今年も春闘は、連合が5%以上の賃上げという、ここ10年で最高水準を要求する方針が伝えられており、賃上げの機運は高まっています。しかし、春闘の結果が毎月勤労統計などの賃金データに反映されていない事実は、春闘がやはり大企業中心の動きであるのに対し、経済全体のデータには中小企業の実態が含まれるからです。賃上げの流れが中小企業まで十分波及するか否か、即ちそれは、大企業が中小企業の労務費転嫁をのむかという意味合いも含みます。賃上げは人件費の増加であり、それは当然、企業の利益にも影響します。

労働分配率という指標があります。企業の付加価値に占める人件費の割合です。つまり、会社と利益を分け合う構図ですから、労働分配率が高いほど儲けの社員への分配が大きく、上げ過ぎれば利益を圧迫することになります。一般的に両者は逆比例の関係にあり、足元、企業業績が好調で労働分配率は低下傾向。特に22年度の大企業はこの50年で最低水準になりました(法人企業統計ベース)。それでも企業の利益率がフォーカスされる中、単に労働分配率を上げるべしということにはなりにくい環境です。

賃上げへの強力な追い風が吹いています。人手不足の深刻化です。2030年には総人口の約1/3を高齢者が占めると推計されており、その問題はほぼ間違いなく強まる一方。通常なら、人手不足であれば需給のひっ迫から賃金が上昇してもおかしくありません。しかし、実態は賃上げして人を雇うという動きより、人手不足倒産が過去最多になっている現実が懸念されています。求職者が魅力を感じるほどの賃上げは、したくても出来ないということが背景にあるのではないでしょうか。

労働分配率は、分け合いの構図ですから高すぎても低すぎても良くありません。傾向として企業業績が良いと下がりますが、普通に考えれば、業績が良くないと賃上げなど出来ません。つまり、望ましいのは、業績がどんどん良くなる中で賃金もどんどん上がる状況です。それは、企業が利益率を犠牲にして労働分配率を引き上げる賃上げではなく、景気がもっと良くなっていく過程で、生産性を上げながら賃金を増やしていくという姿。生産性もある程度は景気に正の相関があります。

結局、賃上げのカギを握るのは、政府が企業に対する圧力的な手段で賃上げを迫るというより、経済活動をどんどん拡大して好景気を持続させる大きな政策次第ということになるでしょう。そうした政策により、労働者の生産性が上昇するような投資を増やすなどの費用を企業が積極的にかけることが出来る良い経済状況を続けるなら、2%程度の安定的な物価を上回る実質賃金の上昇という好循環の実現が期待できると思います。これまで長らく日本の賃金が上がっていないのは、マクロ政策がポイントだったと言えるのです。

 

先生/榊原可人(さかきばら・よしと)
SInvestment Excellence Japan LLC のマネージング・パートナー。主にファンド商品の投資仲介業務に従事。近畿大学非常勤講師(「国際経済」と「ビジネスモデル」を講義)。以前は、米系大手投資銀行でエコノミストを務めた後、JPモルガン・アセット・マネジメントで日本株やマルチアセット運用業務などに携わる。

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