郵便遅配、鉄道・バス路線縮小、スーパー閉店—–衰退・縮小ニッポンはどうなっていくのか?(中2)

再生例は一部、シャッター通りは増える一方

 つい先ごろまで盛んに言われていた「地方再生」。その象徴が「シャッター通り」の再生で、いくつかの成功事例がメディアでも大きく取り上げられた。
 しかし、人口減が進む地方で、シャッター通りが生まれ変わるなどというのは奇跡に近く、うまく再生したとされるところも、その後、行ってみるとまた寂れているのが実情だ。
 いまや街に実店舗を構えても人は来ない。ビジネスは成り立たない。オンラインショッピングの拡大により、実店舗は間違いなく消えようとしている。
 中小企業庁は3年に1度、全国の商店街で実態調査を行っており、それを「商店街実態調査」として公表している。
 このなかで、商店街のうち空き店舗率が10%を超えているところを「シャッター通り商店街」と定義しているが、すでに全国にある商店街の半数以上がシャッター通りとなっている。そのなかには、空き店舗率が80%を超えるところが数カ所ある。

イトーヨーカ堂閉店に見る総合スーパーの凋落

 先月、イトーヨーカ堂が、北海道、東北、信越の17店舗を閉店すると発表し、店舗名が明らかになると、その地域に衝撃が走った。
 イトーヨーカ堂は、ピーク時の1998年度には売上高が1兆5000億円以上あった。それが、2022年度に1兆円を割り込んだ。営業利益率も4%以上からほぼ右肩下がりで低下し、直近ではほとんど利益が出ない状況で営業を続けてきた。とくに、粗利率が高いとされる非食品分野の衣料品、日用雑貨が売れなくなった。
 イトーヨーカ堂のような総合スーパーは、これまで次々に閉店に追い込まれてきた。デパート、ショッピングモールも、総合スーパーと同じように姿を消してきた。
 ダイエー、ニチイは早々と経営が行き詰まり、2015年にはイオン傘下になった。西友は外資に、ユニー、長崎屋はPPIH(パン・パシフィック・インターナショナル ホールディングス)に飲み込まれた。イトーヨーカ堂(セブン&アイ)は、こうしたなかで総合スーパーという業態を放棄して生き残ってきたが、それも限界にきたと言える。

ショッピングモールは「明るい廃墟」と化した

 こうして見ると、いまやこの形態のビジネスで生き残っているのは総合スーパーから脱して総合型ショッピングモールとなったイオンだけだ。そのイオンモールも衰退が止まらず、最近はモール内の店舗の閉店が相次いでいる。
 ショッピングモールの凋落は日本だけの話ではない。欧米も中国も同じだ。とくに、アメリカと中国がひどい。
 アメリカの場合、シアーズ、JCペニー 、メイシーズ、ノードストロームなどを中核として集客してきたが、オンラインショッピングが拡大して客が集まらなくなってしまった。人々のライフスタイルが変わり、ショッピングモールでの買い物は、食事や映画を見に出かけた次いでにするようになった。
 これに、追い討ちをかけたのがコロナ禍で、もはやショッピングモールは、「明るい廃墟」と化している。
 アメリカのような人口増社会でこれだから、年間50万人以上も人口が減る日本では、もはや凋落は止まらない。ただ、日本の場合、運送が人手不足でままならないため、アメリカより長く生き残る可能性はある。
 かつてショッピングモールは、その地域の商業活動の基盤であると同時に、文化、エンタメ、ゲーム、交流などを楽しむ場でもあった。日本では、地方のショッピングモールにヤンキーたちが集まった。しかし、いまやヤンキーたちも姿を消した。
 いまのZ世代は「つるむ」ということをしなくなった。つるむのはSNSを通してであり、目立つためには「YouTube」「TikTok」を使う。

この続きは4月15日(月)発行の本紙(メルマガ・アプリ・ウェブサイト)に掲載します。 

※本コラムは山田順の同名メールマガジンから本人の了承を得て転載しています。

 

山田順
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。主な著書に「TBSザ・検証」(1996)、「出版大崩壊」(2011)、「資産フライト」(2011)、「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)、「円安亡国」(2015)など。近著に「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。

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