2025年5月23日 COLUMN アートのパワー

アートのパワー 第53回 ネパールへの旅(上)

この春、1カ月間ネパールを旅行する機会に恵まれた。昨年秋25年間の海外生活に終止符を打ちカトマンズに帰郷したネパール人の友人夫婦の誘いだった。JFK空港からドーハまで14時間半、ドーハで3時間待機した後カトマンズまで4時間半。

日の出の瞬間
最初にダウラギリ山頂(標高8,167m/26,795フィート、富士山の2倍以上)が金色に輝く。
日が登ると同時に周りの山々に光が広がる

ネパールは北にチベット、東西南の三方はインドと国境を接する内陸国で、広さは日本の4割程度である。人口は約3100万人で、首都カトマンズの人口が150万人。人口の約65%は農業に従事している。観光業はネパール最大の産業であり、主要な外貨獲得源である。観光シーズンは短く、3〜5月、そして10〜11月初旬までで、モンスーンの季節と寒い冬の間、ネパールはあまり魅力的な旅行先ではなくなってしまう。

ネパールは旅行者に多くの素晴らしいものを提供している。トレッキングをする人もそうでない人もヒマラヤ山脈の雄大な自然の美しさに目を奪われる。エベレストを含む世界最高峰の多くがそこにある。首都のカトマンズは南中央部で、ここからヒマラヤ山脈のアンナプルナ連峰が見えるはずだが、残念ながら、私が滞在した数日間は大気汚染のため視界が限られていた。カトマンズは山に囲まれた盆地のため、排気ガス、屋外で燃やされるゴミ、建設中の粉塵が滞留しやすく、世界で2番目に大気汚染が深刻な都市となっていた。

私の友人たちは、この国の中央部を北上し、チベットとの国境からインドとの国境までを移動する旅程を組んでくれた。この道程は、馬とロバのキャラバンがチベットからインドへ塩を運び、インドからは米やその他の穀物を運んだ2500年前からの古代の交易路を辿る旅だった。私たちはまず北に向かい、第2の都市ポカラを目指した。ヒマラヤ山脈への峠道を通る201キロに及ぶプリトヴィ・ハイウェイだけで7時間近くかかった。モンスーンの季節に入る前にできるだけ工事を終わらせようと、道路工事が多くの箇所で行われていた。道路工事は何年も続いているが、地滑りや予算の問題で遅れているそうだ。

美しい自然に囲まれたポカラは空気が澄んでいて、「観光の都」と呼ばれているにもかかわらず、のんびりとした雰囲気が漂っている。ペワ湖はネパールで2番目に大きな湖で、湖面にアンナプルナ山群のダウラギリの山頂が映ることで有名だ。 手漕ぎボート、ヨット、カヤック、スタンドアップパドルボードなどのボートが人気だ。頭上にはパラグライダーも見える。また、トレッキングをする人達にとっては、アンナプルナ、ダウラギリ、マナスルという世界三大高峰を含むヒマラヤ山脈のアンナプルナ山群への玄関口でもある。レストランでは多様なエスニック料理が楽しめ、山に登るための最後の装備や地元の手作り工芸品を買う場所も数多くある。観光局はヒマラヤに登る難度の異なる様々なツアーを提供している。

ポカラから北上するために、インド製の4WDを運転するドライバーを雇った。山沿いの道はガードレールもなく、眼下の渓谷まで急降下する難路だった。途中、対向2車線のハイウェイが1車線になり、交互に通行する必要があった。後部座席に座って揺られていただけでスマートウォッチに「ワークアウト終了」の通知が表示された。数日間滞在したタサン村のロッジに辿り着くまで一日がかりだった。 

2000年に建てられたロッジは、ダウラギリ(世界第7位の高峰、標高8,167m/26,795フィート、富士山の2倍以上の高さ)を含むアンナプルナ山群を360度遮るものなく見渡せる、とんでもないロケーションにあった。ホテルで働くスタッフは近くの村に住んでいる。ロッジのオーナーはネパール人と日本人の奥さんで国際的な高級ホテルチェーンには属していない。宿泊施設は気が利いていて居心地がいい。ネパール料理が好きな私だが、裏庭の畑で採れた野菜を使った日本風のロールキャベツやチキンカツはありがたかった。日本式の大きなお風呂もとても良かった!

毎朝、夜明け前に起きた。雲が視界を遮ることもあったが、日の出を撮影することができた。太陽が昇ると反対側の雪に覆われた山の頂が太陽を反射して明るくなり、ダウラギリは黄金色に輝く。大自然を満喫するには、ハイキングが一番だ。近くには古い村や町、ヒンドゥー/仏教寺院が多い。ザ・ロッジでの滞在を含む、トレッカー向け、非トレッカー向けのパッケージツアーが提供されており、敷地内には贅沢な旅行者用の、ヘリコプター発着場もあった。https://www.lodgethasangvillage.com/

タサン村の夕暮れ

文/中里 スミ(なかざと・すみ)

アクセサリー・アーティスト。アメリカ生活50年、マンハッタン在住歴38年。東京生まれ、ウェストチェスター育ち。カーネギ・メロン大学美術部入学、英文学部卒業、ピッツバーグ大学大学院東洋学部。 業界を問わず同時通訳と翻訳。現代美術に強い関心をもつ。2012年ビーズ・アクセサリー・スタジオ、TOPPI(突飛)NYCを創立。人類とビーズの歴史は絵画よりも遥かに長い。素材、技術、文化、貿易等によって変化して来たビーズの表現の可能性に注目。ビーズ・アクセサリーの作品を独自の文法と語彙をもつ視覚的言語と思い制作している。

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