2025年5月30日 COLUMN アートのパワー

アートのパワー 第54回 ネパールへの旅(下)

カトマンズ渓谷内には中世の3つ王国都市だったカトマンズ、パタン、バクタプルにそれぞれの王宮広場、ダルバール(ダルバールとは広場の意味)があり、生きた博物館として、いずれもユネスコの世界遺産に登録されている。カトマンズ渓谷とその周辺地域にはネワール族という先住民族が居住し、独自の芸術、建築、伝統を持つネワール文明を形成した。カトマンズ渓谷はチベットとインドを結ぶ交易の拠点として2000年にわたり栄え、独自の貨幣を鋳造し、商業を奨励した。当初は統一されていたが、15世紀後半から17世紀にかけてのマッラ王朝時代に3つの王国、カトマンズ、パタン、バクタプルに分裂し、3王国並立時代が成立した。マッラ朝はカトマンズ盆地を19世紀後半まで400年間統治した。マッラ時代は芸術の黄金時代と言われ、職人たちは複雑な木工細工、石彫、金属加工に秀でていた。広場に共通しているのは、一方に宮殿、もう一方に宗教的な建物が配置されていることである。マッラは、ヒンドゥー教と仏教の両方の神々を取り入れた寺院を作ることで、宗教的寛容さを推進した。宗教建築は基本的に多層のパゴダ、山に似たシカラ、ドーム型のストゥーパの3つからなる。

ユネスコの世界遺産に登録された中世王国都市バクタプルのダルバール広場
ゴールデンゲート、昔24金でできていた

3つのダルバール広場の中では、バクタプルが最も古く、中世都市としての保存状態もいい。1100年に及ぶ歴史は5世紀にまで遡る。バクタプルでは、シヴァ寺院に隣接するダルバール広場のシヴァ・ゲストハウスに1泊した。この広場で最も古いゲストハウスで、手入れが行き届いていて部屋は質素だがとても快適だった。窓の外には「55窓の宮殿」があり、もうひとつの窓からは、支柱に描かれたエロチックなイメージで知られる再建中のシヴァ寺院(ドレシュワー・マハーデヴ寺院)が見えた。

シヴァ寺院の支柱に描かれたエロチックなイメージ

カトマンズは1255年、1833年、1934年、そして最近では2015年と、歴史的に壊滅的な地震に見舞われ、それを乗り越えてきた。ダルバール広場では、驚くほど多くの復興工事が完了していた。金属や木工の職人を含め、必要なすべての仕事をこなす人材を見つけるのに苦労したという。

早朝には、多くの人々が広場を巡りながら、ヒンドゥー教の多くの神々に祈りを捧げていた。ここは、人々が信仰を実践する宗教的な場所である。参拝者たちは、花、米、お菓子、水、線香を様々な崇拝対象物に捧げていた。私が、宗教的な彫像の中には国宝に指定され、博物館に収蔵されているものもあるのか、と尋ねたところ、宗教的な彫像は崇拝の対象であり、そのような制度はないという答えだった。博物館クラスの彫像であろうものが、宗教的な供え物に使われ、朱色の粉(額につけるティッカという粉、シンドゥールとも呼ばれる)や花で汚され、線香が立てられているのを見たとき、私はとても驚いた。日本の「国宝」や「重要文化財」とはずいぶん異なるものだった。
このことについて、いろいろ考えた。宗教的対象物が本来あるべき場所から移されると、その意味や精神性は失われるのか、将来の世代のために温度管理されたガラスケースに収めるべきなのか、博物館を訪れる人々だけのものになってしまってよいのか、宗教的対象物が個人のコレクションになっても良いのだろうか…。

参拝者たちは、朱色の粉、花、米、お菓子、水、線香を多くの宗教オブジェに捧げていた。

この他、広場で印象的だったのは、建築様式だ。私は日本、韓国、台湾で歴史的な寺院を見てきた。東南アジアのヒンドゥー教や仏教の彫刻やその他の礼拝用品を博物館で見ている。ネワール建築は、何世紀にもわたるチベット・インドとの交流から影響を受けているが、それだけではない。理解できない他国の文化を単純に「エキゾチック」という表現で終わってはならない。ネワール文化が栄えた場所と時代をより深く理解しなければならないと肝に銘じた。

ネパールは観光産業の活性化を目指しているが、そのためにも安定した政府が必要だと思った。現首相の辞任を要求する親共和国派対親王政派のデモがエスカレートしている。国民は過去30年間の汚職と無能さにうんざりしている。王政復古派は、前王政の復活とヒンドゥー立憲君主制の樹立を要求している。私が滞在していた2025年3月28日、カトマンズで行われたデモで、王政復古派のデモ参加者2人が死亡し、多くの負傷者が出た。その他にも、屋台商などの下層階級を顧客とする銀行から不正に引き出された資産の返還を求めるデモや、賃上げを要求する教師たちのデモがあった。

この様な旅ができたこと、友人たちの寛大さと親切に感謝して止まない。この地はまだ辺境の地ではあるが、その自然の美しさと豊かな文化財がもたらす貴重な遺産には驚かされるばかりであった。

文/中里 スミ(なかざと・すみ)

アクセサリー・アーティスト。アメリカ生活50年、マンハッタン在住歴38年。東京生まれ、ウェストチェスター育ち。カーネギ・メロン大学美術部入学、英文学部卒業、ピッツバーグ大学大学院東洋学部。 業界を問わず同時通訳と翻訳。現代美術に強い関心をもつ。2012年ビーズ・アクセサリー・スタジオ、TOPPI(突飛)NYCを創立。人類とビーズの歴史は絵画よりも遥かに長い。素材、技術、文化、貿易等によって変化して来たビーズの表現の可能性に注目。ビーズ・アクセサリーの作品を独自の文法と語彙をもつ視覚的言語と思い制作している。

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