2025年12月9日 COLUMN 山田順の「週刊 未来地図」

山田順の「週刊:未来地図」 マムダニ市長誕生でNYは変わるのか?イスラム教徒、民主社会主義者の「実像」とは?(後編下)

■NYは昔から貧しく、格差が街をつくっている

 最初にNYに行ったのは、移住したフォトグラファーやミュージシャンに誘われたからである。あの当時は、エンタメ業界、アート業界、メディア業界で仕事を始めた若者たちは、みなNYに憧れ、そこで仕事ができて初めてホンモノになれると信じていた。
 だから、日本で仕事をしてある程度のステイタスを得ると、アメリカ社会に飛び込むため、NYに向かった。
 私をNYに来いと誘ったフォトグラファーは、NYで著名なフォトグラファーのアシスタントとなり、いつか「Vogue」「Harper’s Bazaar」「ELLE」などに自分の作品が掲載されることを夢見ていた。
 ソーホーにアパートを借り、録音スタジオに通ってデモテープをつくり、メジャレーベルに売り込みに行っていたミュージシャンとは、何度か飲み歩いた。
 彼らは、NYでは一様に貧しかったが、NY生活を楽しんでいた。いまは聞かなくなったが、当時のNYは「メルティングポット」(melting pot:人種のるつぼ)と言われ、世界中からあらゆる種類の人間、そして成功を夢見る若者たちが集まっていた。
 だから、私はマムダニの経歴に親しみを感じるし、NYが当時とさして変わったとは思わない。NYは昔から貧しいのである。その反対として富裕層、成功者がいて、その格差が街をつくっている。

■犯罪、落書き、ポルノ、麻薬、そして金融

 1980年代のNYの若者を描いたジェイ・マキナニーの小説『ブライトライツ・ビッグシティ』(Bright Lights, Big City)が、一種のNYのガイドブックだった。
 マキナニーは、冒頭にこう書いている。
《僕は何も分かっていなかった。ニューヨークに着いた79年の秋、僕はその後10年も続くことになるパーティの会場に足を踏み入れていたのだ。ウォール街のビッグマネーと、エリアやパラディアムのようなナイトクラブの時代の幕開けだった。ニューヨークの良き時代は、金融界の金とナイトクラブのコカインに侵食され始めていた》
 当時のNYは、犯罪多発都市だった。ギャングの抗争は日常茶飯事。フォーティセカンドはポルノショップが並び、地下鉄は落書きで溢れ、地下道にはホームレスがゴロゴロしていた。ハーレムとサウスブロンクスは絶対に行くなと言われた。パラディアムに行くとマリファナの匂いが充満し、ワシントンスケアをぶらぶら歩いていると、売人が寄ってきて「20ドルでどう?」とコカインの袋を指差した。
 そんなNYでブイブイやっていたのは、やはりウォール街の若き金融マンたちだ。野望溢れるエリートトレーダーを描いたトム・ウルフの小説『虚栄の篝火』(The Bonfire of the Vanities)も、NYのバイブルの1つだった。
 NYの犯罪と猥雑が浄化されたのは、ルドルフ・ジュリアーニが市長になってからのことである。

■変わったとしたらアメリカンドリームの喪失

 こうしたことを思い出すと、マムダニの言っていることはよくわかるが、NYは変わっていないのではと思う。繁栄の中にある貧困。それがNYそのものではないかと思う。
 ただ、現在のNYが昔と違うのは、ボトムで暮らす人々に、そこから抜け出す手段がなくなったことではないだろうか。貧困化が進みすぎて、いわゆる「アメリカンドリーム」がなくなってしまったのではないか。
 たとえいまは貧しかろうと、努力と才能次第で豊かになれる。自由の国、資本主義の国アメリカで生きれば、それが叶うのが「アメリカンドリーム」だが、あまりに物価が上がりすぎて、NYは「ドリーム」ではなく「ナイトメア」(悪夢)の街になってしまったのではないか。 
 不動産サイトで調べると、2024年のNY市内のワンベッドルームの家賃の中央値は3350ドル(約52万円)。これはNY市内全域の中央値で、マンハッタンとなると4300ドル(約67万円)に跳ね上がる。東京23区の1LDKと比べると、なんと約7倍だ。
 悲惨なのは、保育料。プレスクールに週5日のフルタイムで預けると月約3000ドル(約46万円5000円)。日本では少子化が大問題になっているが、NYで中間層カップルが子供を育てることなど、とうてい無理だ。

■財源確保の富裕層課税は過去に失敗している

 では、ここからはマムダニ新市長が、その公約通り、NYを変えることができるのかを考察してみたい。多くの市民を貧困化から救い出し、フツーの生活ができるようにすることができるのだろうか?
 彼が掲げた、家賃の値上げの凍結、公共バスの無償化、市民スーパーの設置、保育園の無償化などは、実現可能なのだろうか?
 結論から言うと、かなり難しい。ほぼ無理である。なぜなら、市独自では、どれもできることではないからだ。市議会、州政府と州議会の協力はもとより、連邦政府の協力も必要になる。
 もっとも難しいのが、マムダニが財源確保の方法としてあげた富裕層や大企業への増税。これを実行するには州議会と州知事の賛成が絶対に必要になる。
 富裕層課税は、かつてビル・デブラシオ市長が試みたことがあるが、州側の支持を得られず失敗している。マムダニの富裕層課税案はデブラシオ案より過激なので、ほぼ無理と言っていい。
 また、実現したとしたら、超富裕層は別として、最低課税ライン付近の富裕層は、市を出て行ってしまう可能性がある。高額納税者がいなくなれば、市財政は逼迫する。

■公共バスの運賃無償化にも高いハードル

 NYのバス(メトロポリタン交通局:MTAが運行)はノロノロ運転のことが多く、時間に余裕がないと利用できない。基本運賃は、地下鉄と同じ3ドル。これを無償化すると、マムダニは公約した。
 しかし、MTAはニューヨーク州が管轄するので、実現のためには州側の協力が必要となる。
 しかも、MTAは深刻な赤字を抱えており、無償化すれば赤字は拡大する。無償化で失う運賃収入はバス運営予算の19%とされ、これを補う財源がない。
 アメリカの地方自治体は、日本の地方自治体と違い、政府からの交付金はなく、財源は課税などにより独自に確保する必要がある。また、州憲法や市憲章の規定で、原則として赤字財政は組めないことになっている。
 したがって、公共交通を無償化するには、財政削減をするほかない。

■家賃凍結は市長1人だけでは決められない

 賃貸住宅の家賃凍結もハードルが高い。アメリカの賃貸住宅は、日本のように借家人側に大きな権利がない。家賃は1年ごとか2年ごとに更新されるのが原則で、新家賃に合意できなければ、借家人は引っ越すほかない。
 マムダニは、これを凍結するとしているが、家賃調整に関する決定は市の家賃ガイドライン委員会が行うことになっている。この委員9人を市長は任命できるが、単独では家賃政策を決められない。また、値上げができないと、多物価が上がっている中で、改修はままならず、物件の劣化は避けられない。
 はたして、マムダニはどうやってこのハードルを乗り越えるのか? 結局、インフレを抑えるのは、連邦政府とFRBの仕事であり、NY市単独ではほぼなにもできない。
 民主的社会主義というが、社会主義は、生産に関わるものを国有化することで、ほぼすべてを私有化する資本主義とは相反する。社会主義では市場がなくなり、価格は需給で決まらないから、経済は減退してしまう。やり過ぎれば、NYの繁栄は失われる。
 はたしてNYはどうなるのか? トランプのこの先とともに目が離せない。

のメールアドレスまでお寄せください→junpay0801@gmail.com

山田順
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。主な著書に「TBSザ・検証」(1996)、「出版大崩壊」(2011)、「資産フライト」(2011)、「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)、「円安亡国」(2015)など。近著に「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。

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